宇宙には争いは存在しない。
宇宙には姿、形は存在しない。 あるのはそれを顕す原因があるだけである。見えるものはすべて波動が低いものが見えているだけである。人類はこれに気づくものが少ない。
人間は何ぜ現象化しているのか?が問われている。人類から争いがなくならないのは宇宙は1つであることを理解していないからである。キリスト教も「すべてのすべてありてあるものは神である。生命であると云っているが?それを実行するのであれば争いはなくなる。逆に争いが多くなっている。この世は現象を見て本当の我に気づく為のものであるから、自分がどのように捉えるかだけの問題である。波動が低ければ気づかない世界なのである。1つなる生命が現象化し、見える形を現わしている。それをあると信じる心が分離感を生み、争いの世界を演じてしまう。1つの永遠の中に生まれ、常に平安の中にいることに気づくまで。最初から幸せの中にいる。現象界は実在しない世界であり、それに気づく世界である。自分の中に幸せがあることに気づかない。汝の救いは汝自身なり。自分で気づかなければ救いはないということになる。人類は見える仮相ものだけに囚われている状態の中にいる。見える現象界は波動の低い状態である。1人、1人が波動を上げることでこの低波動の消え行く現象界から離れることである。この世の波動の低い、仮の宿、俗世から離脱する為にこの世に現れている。