2022年6月6日月曜日

肥田式は上虚下実の鍛練である。

 


肥田式は上虚下実の鍛練である。

今、人間は筋肉を付けることで力が出ると思っている人が多いと思います。その為に量の筋肉を求める。人間の動き方で上虚下実ということを理解している人が少ない。上半身に筋肉を付けてしまうと上半身の自由性が無くなってしまう。これで能力を逆に落としてしまっている。必要な筋肉は量ではなく、質の筋肉が必要なのである。「伸ばせばバターの如く、縮めれば鋼鉄の如く縮む筋肉」が必要なのである。筋肉の量を付けるということは自分の力で対応しようとするため身体を壊してしまう。部分だけを強化する為身体のバランスを失ってしまう。バランスによって力は出ることを理解していない。力はバランスなのである。バランスがエネルギーなのである。宇宙の法則なのである。肥田先生が中心力10、部分9の割合で動く時、幾ら激しい動き方をしても身体を絶対に壊すことはないと言い切っている。中心バランスなのである。上虚下実ということは上半身を弓のように使うことである。体の字を昔は「躬」という字を当てていた。上虚下実の身体の使い方は下半身の動きと上半身の動き方が違うのである。力で使うことを小手先というのである。伸ばして使うことは無限のエネルギーを引き込み使うことである。日本の古武道の使い方である。肥田式の抜刀も切っ先三寸を使う。引き切りで無限のエネルギー、利動力を使うのである。自然界は全てそのようになっている。渡り鳥はジムで筋肉鍛錬して何千キロも飛んではいない。作用、反作用の法則を使っているだけである。人間はこの現象界でグライダーの如く、向かい風に向かって飛ぶことで、自分はエネルギーによって動かされている存在であり、生かされていることを理解する。ヨットも向かい風に向かって前に進むのである。進む力は自分では出してはいない。エネルギーがヨットを動かしている。ヨットは動かされている。
これを理解するには中心力10、部分9の力の配分で動いている事に気づく必要がある。これが上虚下実の意味である。肥田式はこれを利動力という形で使っている。風の鳥と云われるヒマラヤの8000mの山を越えるアネハヅルは逆風の風に向かってその奥にある上昇気流を命がけで捕まえる。命がけで行動を起こす時、誰でも人間はエネルギー、知恵が使えるという法則を知る。知恵はエネルギーであり、同じものである。学んで使うことではなく、必死の気で動く時、知恵と力が使えるのである。肥田式は1息に命をかける鍛錬である。
逆風はエネルギーであり、知恵である。これが我である。姿、形は知恵を表現する為の媒体である。肥田先生も人間は神の子であり、神の器であると云われている。
抵抗は素晴らしいエネルギーであり、抵抗の奥には本来の全知全能の神の子の我がいるのである。