不老不死
肥田先生の著書に書かれている秦の始皇帝の話。
秦の始皇帝は自分の中に不老不死の仙薬があることに気づかなかった。とハッキリ断言している。
何故、そのように言い切ることができるのか?
宇宙は1つなる生命体で永遠なる生命体であることを理解されていたからである。宇宙は無限生命であり、人間は永遠なる生命体の現象であることを知っていたということになる。それが強圧微動術、天真療法の骨子にもなっている。
宇宙は完全バランスの中性の生命体であり、陰陽の生命バランスの生命体である。
宇宙倫理の書も原点は1つである。この宇宙には1つなる生命体があるのみで人間は存在しないことを知っておられた。常に肥田先生は無私、無我でおられる。この世を「塵の世」と云われている。人間を離脱されていたのだと思う。肥田先生のことを波動の低い人間が詮索することはできない。次元の低い人間が理解できない世界に肥田先生は居られる。肥田先生の逸話に中に「的に当てると100発100中であり、当ててから投げるから当たるのだ」と云われても一般の人には理解はできない。宇宙は永遠なる無限生命体であり、人間1人、1人はこの無限生命の中に存在していることは確かなことである。生命は1つであり、肥田先生の生命も我々の生命も同じ生命である。誰もが宇宙の永遠なる生命の中に生まれ、生かされている。故に人間には死は存在しない。形を見るから死と思ってしまうが、死と思ってしまうと自縛ですが、昆虫のように脱皮して行くのであって仮の宿から本宿に戻る途中なのである。青虫がさなぎになり蝶になって行くように人間も人間芋虫から解脱して行くのである。死は次へのステップなのである。
故に不老不死なのである。見える世界は実在しない仮相界であり、この世を生きようとすると生老病死の四苦に悩まされ、低波動の人間から抜け出せなくなる。「汝に見るもの受け継がん」また気づくまで人間をさせられる。