2022年8月15日月曜日

中心バランス

 

中心バランス 

宇宙は1つなるバランス生命体。完全なる中心バランスである。中心バランスとは陰陽の調和であり、其処には中性の光が生まれる。これが力であり、知恵である。宇宙の全知全能の知恵が宇宙の力である。宇宙はこの光の王国である。
宇宙のこの無限なる絶対調和が宇宙の本源、本質である。宇宙の創造神である。これが宇宙の見えない本源、本質である。万象万物はこ゚の完全バランスの中で生かされている。
宇宙はこ゚の1つなる中心バランスによって構成されている。モノが具現するのも中心バランスであり、ものが消えるのもこのバランスが崩れる為の起きる。原点は変化することはないが見える現象だけが変化する。
人間の現象もバランスを失う為の形は見えなくなるだけで本源本質はなくなることはない。人間は姿、形がなくなることを死と呼んでいるが、形はなくなっても本質はなくなることはない。モノが現象するのはバランスであり、消えるのもアンバランスである。
宇宙はすべて絶対バランスである。この中で万象万物は現象化している。生命が様々な形態を現わしている。人間も同じである。バランスで姿、形を現わしている。
人間が病気になるのはこのバランスを自ら、狂わしている為に起きる現象である。
肥田先生が「天真療法」でこの事を説いても皆、医者に走ってしまう。人間は神によって造られた器である。人間は生きる為に存在しているのではない。神の器として存在しているのである。人間は存在しないということに気づかない人類。生命は宇宙生命であり、其処には個人的な人間は存在していない。肥田先生はこのことを知って居られた。肥田先生の言うことを素直に聞くものだけが回復している。我欲の強いものはバランスを失い、肉に死んでしまっている。中心バランスが生命であり、本当の我である。人間は神の子であり、神の器である。自分は存在しないのである。



2022年8月12日金曜日

仮相の我から実相の我へ


 仮相の我から実相の我へ

宇宙は1つなる無限生命体である。1つの中に2つは存在しない。見えるものはすべて現象であるということになる。無限生命ということは生命は無限であり、無限ということは見えない生命体であるということである。無限ということは永遠ということである。見えるものは無限生命の仮の姿であり、現象である。現象は消えて行く存在である。
人類はこの仮想の姿、形をあると信じ、本来の実相の我を忘れ、見える仮相の我に生きてしまっている。本当の我は無限生命であり、永遠なる神の生命体であることに気づかないでいる人類の現状である。仮相に生きてしまうとアンバランスを生み出してしまう。地球のアンバランスを招き、自縛の道をたどることになる。無限生命は完全バランス、こ゚の完全バランスを自ら崩してしまう。1つなる無限生命の中には争いはないが、仮相の世界には分離感のため、争いを引き起こす。争いはアンバランスの結果である。有限なる我から無限なる本当の我に戻る。
人間という仮相の現象の自分から実相の見えない永遠なる生命に戻る。
宇宙には有限なる見えるものは存在しない。見えるものはすべて仮相である。
色即是空、空即是色、色心不二であり、見えるものは見えないものの現われであり、生命の化身である。八百万の神は1つなる生命の化身である。すべては神であり、無限生命である。




2022年8月9日火曜日

見えるもの、見えないもの


 見えるもの、見えないもの

宇宙は唯一の生命体であり、これだけが独存する。
1つの中に2つは存在することはない。見えるもの、見えないものすべて1つである。見えるものは1つの中の現われ、現象である。宇宙は1つなる細胞体であり、見えないものも細胞体であり、その中には時空間は存在しない。1つなる宇宙細胞体、1つなる生命体、宇宙に存在し、見えるものは人間小宇宙の中の臓器のようなものである。宇宙は1つの神体である。すべては1つの宇宙生命体。
1つの中にある見えるものは実在しないことを理解しなければならない。人間はこれが理解できず、現象界の幻想に生き、無いものをあると信じるため、分離感が生まれ、争いの中に自己保存の為に生きてしまっている。宇宙は無限大の質料と無限大のエネルギーが宇宙生命体であることに気づかない。気づけば争いはしない。消え行く幻想の中から脱皮ができずに人類はいる。仮相の中で自分が一番偉いと思い違いをしている。滑稽である。これに気づいた1人、1人が自分の波動を上げ、現象界から離脱して行く。これが現象界で成すべきことである。



2022年8月8日月曜日

宇宙は意識の世界


 宇宙は意識の世界

宇宙は高バイブレーションの世界。見えない世界。
宇宙は1つなる高バイブレーションの世界と現象界の低バイブレーションの世界が同居している。波動の世界である。現象界、見える世界でもエネルギーが高ければ小さくなって行く。細かくなると食べ物でも美味しく感じる。美味しく感じるのはエネルギーが高いということである。
エネルギーは気であり、人間も気の高い人を気高い人と呼ぶ。宇宙は気の世界、意識の世界。想念の世界。すべて見えない世界のことである。
現象界は見えない気の世界が、現象として現れている世界。見えないものが波動を下げることで見える世界を現わしている世界。見えないものも見えるものも1つの生命体である。
形は宇宙には実在しない。1つなる見えない生命体。陰陽の法則、愛の法則が実在しているだけである。神とは法則のことである。神様がいる訳ではない。法則が神である。ピラミットバランスである。
人間は実在しない。実在しているとすれば宇宙は成り立たない。無限生命体ではなくなる。見えるものはすべて神の化身であり八百万の神である。人類はこの仮相の見える世界に自縛してしまっている。消え行く世界から離れ、1人、1人がが本来の自分に戻って行く。見える世界は幻影であり、この世界から離脱して行かなければならない。肉体と思っているものは霊体であり、エーテル体である。
人間は物質ではない。霊体である。宇宙は霊体である。すべては霊体である。1つなる霊意識の世界、見えない世界、陰陽の法則の世界。




2022年8月7日日曜日

蜂蜜に対して「人の持ち物を取るな」と何ぜ言うのか?


 蜂蜜に対して「人の持ち物を取るな」と何ぜ言うのか?

宇宙は1つなる生命体である。無限生命体である。
全ては1つなるものがあるだけである。自分がいるだけである。宇宙即我の境地である。すべては1つである。すべては自分である。すべては自分が判断を出している。
人の持ち物を取るなという意味は1つなる生命の中で取り合いをするなということである。
全ては1つなのである。分離感をもってはいけない。ということを云われている。
全てが我で有れば自分を出して行くしかない。宇宙即我を表現して行く。すべてを持っている我であり、外からエネルギーを取ることはしなくて良い。人間一人、一人がエネルギーの放射体であるということである。人間にはものを生み出す力が備わっている。それに気づかないだけである。



2022年8月6日土曜日

死は嬉しいもの、悲しいもの


 死は嬉しいもの、悲しいもの

宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、宇宙には死は存在しない。無限生命の中に有限なるものは存在しない。昆虫達は青虫から死んでさなぎになり、蝶に生まれ変わる、人間も固体から空に離脱して行く。肉体の死は脱皮なのである。これは喜ばしいことなのか?悲しいことなのか?死を認めるとまた人間に生まれてくる。脱皮できるまで。自然界の昆虫たちは脱皮して成長をさせている。
人間だけが肉体芋虫にしがみつき、死を恐れ、生きている。昆虫たちは死を恐れて生命保険には入っていない。無限の中に有限なる死は存在しない。見えるものは現象であり、実際にはないものである。何故、人間と言う人形(ひとがた)が現象化してるのかというと宇宙の生命エネルギーを放射させる為に波動の高い万物の霊長と云われる人間の媒体を使っているに過ぎない。宇宙には姿、形は存在しないのである。あるのは空なる生命体が実在しているだけである。人間を動かしているのは目に見えないものが肉体を動かしている。
見えないもの「意識、空気、想念、大気、息、心、」色々な呼び方はあるがすべて1つなる生命のことである。見える現象をあると思う心が死というものを作っているだけである。
宇宙には死は存在しない。









2022年8月5日金曜日

争いは何ぜ起きてしまうのか?


 争いは何ぜ起きてしまうのか?

宇宙は無限生命体であり、1つの中には争いは生じない。宇宙は見えるもの、見えないものはすべて1つなる生命の現われであるが見えるものを現象とは気づかずにあると信じる心が分離感を生み、消え行く世界の中で自己保存が働き、争いを起こしてしまう。
宇宙は無限大の見えないエネルギーと質料であることを知ることで空よりエネルギーを調達できることがわかれば有限なるものの中から敢えて取ることはなくなる。完全なる宇宙生命の中で外部からエネルギーを入れることは必要ない。人間という仮相を使って地上界に生命エネルギーを放射させる為に人間と言う媒体があるのである。永遠なる生命体の中ですでに安泰であるのにあえて有限な生老病死の四苦の世界の中で生きることはない。
見えるものをあると信じる心が争いの元を作っていいる。このことを人類は理解していない。