2022年10月3日月曜日

すべては1つ


 すべては1つ

見えるものは様々あるが、宇宙は1つなる無限生命体である。1つなる中に見えるものは存在しない。有限なるものは存在しない。よって見えるものはすべて1つなるものの現象であるということになる。
1つと云うこと意味を持った言葉がある。
  • 天地一体
  • 自他一体
  • 霊肉一体
  • 表裏一体
  • 色心不二
すべて見えるもの、見えないものは1つである。見えるものは見えないものによって見える姿、形を現わしている。見えないものがなければ見えるものは現れることはできない。
宇宙は波動の世界であり、バイブレーションが下がると見える姿、形を現わす。バイブレーションが上がると見えなくなる。人間は姿、形が見えるということはバイブレーションが低い為に見えている。何故、見えているのかというと本来、高バイブレーションなのであるが、見えるものに意識を合わせてしまったために低バイブレーションの見える姿、形を現わしている。姿、形を自分と信じているため、姿、形から抜け出すことができない。現象界に安住し、永遠なる宇宙生命のなかで有限なる幻の中の仮相界で生きている。仮相界は諸行無常の世界。消え行く世界の中で生老病死の四苦に惑わされその中で当たり前に生きている。人間と云う姿、形は宇宙の生命エネルギーを地上界に放射されるために造られた神の器なのであるが、器の形を見て自分と勘違いをして信じて疑わないで生きている。
もし、人間が自分であるというのなら、生まれる時も、死ぬ時も自分でわかるはずである。
人間もすべての万象万物は1つなる宇宙生命の化身である。
見えるものは1つなる無限宇宙の中には存在することはない。こ゚の存在しない消え行くものをあると思ってしまう為、実在しない自分を維持しようとし、自己保存の為に争いを引き起こす。1人、1人が元の神の子に戻り、神の器を使って本来の成すべき使命を果たさなければならない。



2022年10月2日日曜日

たった1つの生命の法則


 たった1つの生命の法則

人間は精子と卵子の結合により、生命が具現化してくる。見えないミクロの世界で人間は造られる。宇宙も見えない陰陽の法則により造らている。この見えないミクロの世界で造られた細胞が集合体となり、見える形になってくる。最初にあるのは見えないミクロの世界で造られたものが現象化している。見えないミクロの生命の法則によって具現化され、見える集合体になる。宇宙は1つなる中性なる生命が様々な波動の条件の中で生命が具現されてくる。
宇宙の中で具現されているものは様々なバイブレーションの違いによって多種多様の形態の生命体が出現している。これを後から名前をつけているだけである。
人間も実在していない。実在とは永遠ということである。人間は消え行く存在である。有限である。この消え行く仮相の人間をあると思うと造り主と造られたものが2つで1つであるものを見えるものだけをあると思うと消え行く見えるものの中で生きようとするため、争いが生じる。見えるものは見えないものによって造られており、見えないものは1つなる宇宙の生命体がすべての見えるものを現象化させていることを知れば、永遠なる生命体として生きることができることをキリスト、お釈迦さんが云われている。宇宙生命が様々な現象を現わしている。
宇宙は物質界ではなく、霊界である。人間は万物の霊長と呼ばれている。
生命は1つであり、見える様々な形態は現象である。
すべてのすべてありてあるものは1つなる宇宙生命である。宇宙生命体の中に万象万物は現象化されているだけに過ぎない。


2022年10月1日土曜日

本当の我とは


 本当の我とは

原因、結果の因果の法則がある。現われているものには必ず現わしている原因がある。
見えるものには必ず現わしているものがある。
人間も現れであり、現わしている原因がある。
人間の内部は細胞体である。細胞体の集合体が人間の形をしている。細胞体は目に見えない。顕微鏡で覗くと小さな生き物が活動している。人間はミクロの細胞体の集合体であり、ミクロの細胞体が人間の形を現わしている。生きているのは見えない細胞の集合体である。人間が生きているのではない。形は生きていない。細胞は宇宙生命バランスで生きていることに人間は気づかず、バランスで生命活動をしている微生物を善玉、悪玉と勝手に決めつけて悪玉菌を取り除こうとする。2つで1つであることに気づかない。人間も宇宙の法則で生かされている。
人間は自分で動いているように思っているが、人間の肉体自身には動く力はない。意識が肉体を動かしている。
  • 何処へ行きたい。
  • 何かをしたい。
  • 何を食べたい
すべて心の想いが肉体は動かされている。意識の忠実な表現媒体である。肉体が自分なのか?見えない意識が自分なのか?ということになる。本当の自分は見えない意識が本当の我である。
良いことを意識すれば良いことが現われ、悪いことを意識すれば悪いことを肉体は表現してくれる。病気を意識すれば病気を表現してくれる。肉体が勝手に病気になるのではなく、自分意識が表現してくれているだけである。肉体は操り人形、ピノキオである。
意識は見えない。見える肉体が自分ではなく、見えない意識が本当の我である。原因は見えない宇宙の陰陽の創造原理、結果は見える現象人間になる。本当の我は意識である。


2022年9月30日金曜日

中心力と神の子


 中心力と神の子

肥田式で中心力をつくると言うが、中心力を作るのではない。宇宙はすべて中心バランスであり、無限大のエネルギーを持っている。この無限大のエネルギーに合わせることで宇宙力を引き込んでくる。
宇宙はすべて中心バランスであり、すべての万象万物は宇宙バランスの中で現象化されている。絶対バランスの永遠なる宇宙のことを神と呼んでおり、万象万物に宿る生命エネルギーを神の子と呼んでいる。万物の中心と宇宙の中心が繋がっている。すべては神一元の霊の世界である。
人間が神と云う存在を見えないが故に分離感で特別扱いをしてしまっているため、神と云う言葉を聞くと宗教と捉え、拒否する人が多い。すべての生命の根源が神である。
この根源の生命エネルギーがなければ人間、万物は現象化しない。人間は万物の霊長と云われている。すべては霊である。霊のことを見えないが故に神と呼んでいるだけである。
すべて完全なる宇宙の中に我々は神によって現象化されている。人間は中心バランスによって形態が維持されている。この中心バランスが崩れると生命が維持できなくなる。
肥田式で中心力を使う為に中心力を身に付けるのではなく、元々中心力によって形態が造られていることに気づき、人間は現象化されている短い時間のなかで何をすべきかを考えることが求められてくる。すべて誰もが使える宇宙力をどのようにして使うことができるのかを考えて行かなければならない。これが肥田先生が云われる人間は神の子であり、神の器であるということである。天寵無限。1人、1人の中に天寵無限のエネルギーを引き出すものが備わっている。


2022年9月29日木曜日

表裏一体とは


 表裏一体とは

表裏一体。自他一体、天地一体、霊肉一体。このような言葉が出てくるのか?
宇宙は1つなる生命体であるということである。
「すべてのすべてありてあるものは1つなる神である」ということが聖書にも書かれている。モーゼの十戒の最後のことがにも出てくる。見えるもの、見えないものすべて1つなる生命体である。お釈迦様も同じことを云われている。色即是空、空即是色、色心不二と。
見えるものは見えないものによって動かされている。人間は見えるものだけに囚われてしまい、見えないものの現われとして捕えられないために、すべては1つなるものの現われであることに気づかない為に争いの世界から抜け出せない。すべては1つであることを知れば争いはなくなる。見えるものは必ず消え行く存在であり、永遠なる生命体の中で有限なる生き方をしてしまう人類。生命に生きる。永遠なるものに生きる。見えないものに生きることを忘れてしまっている。お釈迦様が色心不二と云う真理を示されても現象に囚われているものには伝わらなかった。インドから中国、日本に仏教が伝わってもこの本質が抜け落ち、形骸化した形だけで真理は伝わらなかった。この宇宙真理が閉ざされてしまった。すべては1つということは永遠と云うことである。見えるものの中に見えない真理が宿っている。真理が見えるものを動かしている。見えるものが動いているのではない。すべては空生命によって見えるものは動かされている。


2022年9月28日水曜日

この世は仮の宿、俗世と云われているのか。


この世は仮の宿、俗世と云われているのか。

仮の宿ということは本宿があるということになる。
本宿とは何か?宇宙は1つなる生命であり、1なる生命が八百万の形態を現わしている。万象万物を現象化させている。現象化しているものはすべて消え行くものである。一時的な現われである。これを仮の宿と呼んでいる。現象化されているものにはすべて本宿の生命が宿っている。生命が現象の媒体を使って生命エネルギーを放射させるための媒体であり、この現象化された仮の宿の人間を自分と思い違いをして仮相の我に生きてしまっている。今の人類の我々。消え行く仮相の現象に翻弄させられながら、生老病死の四苦の中で生きている。
宇宙は霊界であり、バイブレーションの世界であり、物質界ではない。変化して止まない世界であり、バイブレーションが下がれば現象は変化してしまう。低気圧になると水蒸気が雨になり、雪になるようなものである。形態のバランスが崩れると現象は変化してしまう。人間はこの変化を死と呼んでいる。人間は死があると思っているが、死はないし、人間も存在していない。仮相である。人間が存在しているとすると宇宙は1つなる無限生命体ではなくなる。
故に、人間の世界を仮の宿、俗世、浮世と呼んでいる。人間は生きてはいない。生かされている存在であり、宇宙生命の操り人形である。操り人形はバランスで動かされている。
いや、そんなことはない。人間は自分で生きていると思っても、生まれる時、死ぬ時、自分では決められない。自分は寝ていても心臓は止まることはないではないか。誰が動かしているのか?自然界は成すべき事をしている。人間は地球のバランスを崩す為に現象化しているのではない。人間は人災を天災と呼んでいるが、これは波動が低い為に考える事ができないのである。人間も仮の宿で成すべきことがある。


 

2022年9月27日火曜日

人間が人間を生きるから間違いを起こす。


 人間が人間を生きるから間違いを起こす。

人間は神の被造物である。人間は生きてはいない。現われている現象である。人間が居ると思うから間違いを犯す。宇宙は無限大の生命体である。無限大の生命の中に有限なるものは存在しない。現象として現れているだけである。何故現れているのか?それは宇宙の生命エネルギーを放射させ、地球磁場を高める為に現象化している。人間が現象界で生きる為に現象化しているのではない。現象化している人間は消え行く存在でしかないのである。宇宙の中で神は人間が豊かな生活をするために地球のバランスを崩し、生きることを望んでいると思いますか?これはノーです。
争いで争いが防げると思っているのか?憎しみだけが残るだけである。地球人は本来の自分に生きないで、仮相の現象に生きる為に小学生でも判ることを感じることができない。これが人類の今の能力である。まだまだ幼児期な人類である。永遠なる生命体の中に居ながら敢えて有限なる生き方しかできない人類。見えるものはすべて仮相であることに気づけば21世紀は光がさす時代になる。宇宙は意識の世界である。現象の見える世界は意識の結果の世界である。
1人、1人の意識レベルが21世紀を左右して行く。