この世は仮の宿、俗世と云われているのか。
仮の宿ということは本宿があるということになる。
本宿とは何か?宇宙は1つなる生命であり、1なる生命が八百万の形態を現わしている。万象万物を現象化させている。現象化しているものはすべて消え行くものである。一時的な現われである。これを仮の宿と呼んでいる。現象化されているものにはすべて本宿の生命が宿っている。生命が現象の媒体を使って生命エネルギーを放射させるための媒体であり、この現象化された仮の宿の人間を自分と思い違いをして仮相の我に生きてしまっている。今の人類の我々。消え行く仮相の現象に翻弄させられながら、生老病死の四苦の中で生きている。
宇宙は霊界であり、バイブレーションの世界であり、物質界ではない。変化して止まない世界であり、バイブレーションが下がれば現象は変化してしまう。低気圧になると水蒸気が雨になり、雪になるようなものである。形態のバランスが崩れると現象は変化してしまう。人間はこの変化を死と呼んでいる。人間は死があると思っているが、死はないし、人間も存在していない。仮相である。人間が存在しているとすると宇宙は1つなる無限生命体ではなくなる。
故に、人間の世界を仮の宿、俗世、浮世と呼んでいる。人間は生きてはいない。生かされている存在であり、宇宙生命の操り人形である。操り人形はバランスで動かされている。
いや、そんなことはない。人間は自分で生きていると思っても、生まれる時、死ぬ時、自分では決められない。自分は寝ていても心臓は止まることはないではないか。誰が動かしているのか?自然界は成すべき事をしている。人間は地球のバランスを崩す為に現象化しているのではない。人間は人災を天災と呼んでいるが、これは波動が低い為に考える事ができないのである。人間も仮の宿で成すべきことがある。