中心の鉄扉と天の岩戸開き
中心とは中なる心、天の岩戸の中も光である。
心と光は同じもの。宇宙は1つなる無限の生命体、愛の法則、絶対調和の光の完全なる生命の世界、創造原理の世界。この光の世界を神、仏、天照大神と呼んでいる。人間という自我の心が本当の我である光を外に出さない。見えるものは宇宙の本源本質によって現わされている現象であり、同じものであることに気づかない。人間という自我を捨てた時、本来の神の力、知恵が自由自在に使うことができる。中心力も天照大神を同じ意味である。人間は仮相であり、見える自分をあると思う心が本来の力が使えない状態にしている。人間が居り、神がいる訳ではない。宇宙は1つなる生命体であり、見えるものも見えないものも同じものである。見えるものだけがあるのではない。見えるものは見えないものによって見える象を現わしている。
八百万の神が存在するのではない。1つなる神が八百万の神を現わしている。宇宙は1つなる生命細胞体である。すべて1つの生命体である。
天の岩戸開きの神話も見えないものを知る為の例え話である。聖書も同じである。それをそのまま受け止めると分離感になり、間違いを起こし、偶像化し、此処が本物の岩戸であるということになってしまう。人間は現象を信じて本質の意味が理解できない。すべては1つである。
聖書はバイブルと云われるように宇宙はバイブレーションの世界である。バイブレーションが低いと見える現象になり、高いと見えなくなるだけである。
色心不二、色即是空、空即是色であり、見えるものも見えないものも1つである。見えるものが亡くなったのではなく、見えなくなっただけで変化しただけである。この言葉が理解出来たら人間は死なないということになる。人間の本質は宇宙生命体であり、永遠であると。人間は死なないのだからお墓は必要ないということになる。見えるものはすべて現象であり、現象を現わしている万象万物の本質は永遠である。本来の我に気づく。万象万物を照らす光が天照大神であり、我自身である。仏陀は宇宙即我と云われている。宇宙そのものが天照大神である。見えるもの、見えないものすべてが神である。