人間は万物の霊長である
人間は万物の霊長と云われている。万物はすべて霊であるということである。宇宙もすべて霊であるということになる。宇宙は1つなる生命、霊の世界であり、これが宇宙の本体である。宇宙は見えない高バイブレーションの世界であり、見える万象万物は霊が波動を下げて現象化している状態。1つなる霊が様々な形態を現わし、その中で生命活動をしている。
生命は見えないエネルギーであり、見える質料に宿っている為、見えない生命を見落としてしまっている状態。見えるものは見えない生命によって生かされている。生命が人間という人形(ヒトガタ)を動かしていることを死という形で知らせている。意識が抜ければ肉体は動かなくなることは誰もが知っている。それでも目に見える肉体を自分と思ってしまっている。見えないものと見えるものは1つであるということを日常で言葉に出して使っているのだが。
霊肉一体、表裏一体、天地一体、色心不二、これらの言葉の意味はすべて1つであるという意味である。見えるものは見えないものによって現わされているということである。すべてが霊であるということを日本人は当り前に日常で使っている。
宇宙はすべてが霊1元、見えないものを神、仏と呼んでいる。1つの中に神、仏が別々のいるのではない。1つの宇宙の中に様々なものは存在しない。1つなる生命体、無限生命の中に形あるものは存在しない。見えるものはすべて1つなる見えない生命の現象である。生命が我である。
見えるものは波動が低い為に見える象を現わしている。高波動になれば姿、形には現れない。
高バイブレーションの生命が形態の中に宿っている。
高バイブレーションなる我が見える低波動に合わせてしまう為、形があると思うようになり、 囚われ自らを縛ってしまう。形の偶像をあると思う心が分離感を生み、争いを引き起こす。
この世は本当の我に戻る為にある現象界である。陰の世界である。肉体を現わしているということは波動が低いということを意味する。聖書はバイブルと云われている。高波動に戻る為に書かれた書である。見えないものをたとえ話によって見えない自分に気づく為のものである。
実在しない見えるものをあると信じ、自分で波動を下げてしまったものは自分で上げなければならない。これがカルマである。
低波動を上げることを肉体離脱と云っている。人間も昆虫達と同じように脱皮して行かなければならない。昆虫たちは脱皮するために宗教は持っていない。昆虫も人間も同じである。今、仮相の人間は仮相を自分と思い、争いを起こし、1つなる生命の現象の殺し合いをしている。見える現象を殺しても生命は殺すことはできない。見える象が変化するだけである。
どのようにすれば現象界から争いがなくなるのか?それは1人、1人がこの低波動の世界から抜け出すこと以外にない。抜け出すことで周りの波動が上げることができる。1人、1人が自分の波動を上げることが人類救済である。本来の自分に1人、1人が戻ることである。形の持たない我に戻ることである。空の世界に戻る。1人、1人が自分に戻るこが地の星から光る星に変わる唯一の方法である。