2022年11月8日火曜日

パワースポットは汝の内にあり。


 パワースポットは汝の内にあり。

宇宙は中性なる永遠なる生命体である。無限大のエネルギー体であり、すべてがエネルギー体である。
宇宙は見えない永遠なる無限大のエネルギーであり、自然界も宇宙法則の相似形であり、形あるものはすべて生命エネルギーが宿しているが故に形として現象化されている。ピラミットの中心にはエネルギーが存在する。其処にお棺が置かれている。形のあるものはすべて中心があり、其処にはエネルギーが宿り、現象形態を現わしている。人間も身体の中心に生命エネルギーが宿り、形態を現象化させている。
人間は万物の霊長と云われ、鉱物、植物、動物より、高バイブレーションである。最も高いパワーを持っている。この波動を認めないと使う事はできない。見えるものは低波動であり、見えないものは高波動である。人間形態の中心には神の高波動のバイブレーションが宿っている。この高バイブレーションは神であり、宇宙の無限大のエネルギーを受け流す受信機である。人間は神の波動を受け流す媒体が人間の形をしているだけである。人間がこの世で生きる為にいるのではない。エネルギーを受け流す媒体なのである。神は無形無相の高バイブレーションであり、人間の媒体に宿る受信機も同じ神の波動を持っている。こ゚の受信機である高バイブレーションが本当の自分である。自分探しというのはこの神の波動が自分であると実感することである。
パワースポットとは神のエネルギーのことである。人間にはこのパワースポットが人間の中心に宿している。このパワースポットを使い、解脱し、人間を卒業して行く。本来の我、神我に戻って行く。


2022年11月7日月曜日

病気は自分の意識が造り出す。


 病気は自分の意識が造り出す。

万象万物は永遠なる完全なる宇宙生命体の中に存在している。永遠なる生命体の中には病気は存在しない。宇宙生命体は無限生命体であり、形は持たない。形を持つのは波動の低い自然界である。
人間は本来宇宙生命体であり、見えない存在であるが、外の見える世界に意識を合わせるため、中々高波動の本来の我に戻れない。現象界は諸行無常の変化の世界であり、この仮相の世界をあると信じる心がある為、この現象界を抜け出せない。小学校の卒業試験にパスできない。
この仮想の現象界をあると認めてしまうと諸行無常の変化の世界の生老病死の四苦に捕まってしまう。本来肉体は意識によって動かされているが、肉体を自分と思っているため、諸行無常の変化に飲まれてしまう。肉体が病気になるのではなく、意識がアンバランスになり、肉体を病気にしてしまっている。肉体は意識の表現体であり、意識に忠実に動く操り人形である。
嬉しい時には肉体は嬉しい表現をするし、意識が悲しいと思うと悲しい表現をしてくれる。
意識に忠実に表現してくれる。
人間は意識の表現媒体であり、肉体を自分と思うのではなく、意識が自分であると切り替えることで病気から抜け出すことができる。肉体を自分と思っている時は生老病死から抜け出すことはできない。本当の我は肉体ではない。意識、心である。肉体は心の操り人形であり、心は肉体の操り人形ではないのである。すべて想ったことが顕れる世界が宇宙生命体である。
見える世界は幻想であり、これに惑わされてはならない。万象万物はすべて現象である。
万象、地球を取り巻く星々を惑星(惑わす星)と書く。幻である。日本語は真理を現わす言葉である。真理は1つなるものである。中性なる愛のバランスであり、すべての原点である。




2022年11月6日日曜日

人間はバランスで生かされている。


 人間はバランスで生かされている。

宇宙は1つなる絶対なる中性バランスが宇宙生命体である。2つで1つの絶対バランス、陰陽の法則である。この中性バランスが生命であり、すべての根源なるものである。これ以外何もない。この根源なる生命は形を持たない。法則が独存している気体の世界である。空の世界、何も見えない世界だけが存在している。宇宙の1つなる生命、空生命が実在している。現象の人間からはこの見えない生命が自分であることは理解し難い。
原因、結果の法則は見えないものが見えるものを現わしている。すべて原因は形を持たない。パンも様々な形のパンを作ることができるが、その材料は1つの小麦粉が原料である。原料は形を持たない。人間も現象化された形であり、様々な形のパンのようなものである。人間の材料は宇宙の質料とエネルギーが材料になる。現象化されるのはバランスによって具現化される。其処に生命が宿り、細胞分裂により細胞が集合化され、見える形になってくる。
見える形の中にある細胞は形が変化してまた原点に戻るが、細胞の集合体の形が無くなることを死と呼んでいるが形が無くなるのであって材料とエネルギーは無くなることはない。見えなくなるだけである。原点は1つ。宇宙は1つなる中性バランス、これが中心生命である。すべて中心バランスによって生命活動がなされている。
自然界もこの宇宙のバランスの見える形のバランスで動いている。人間はこの現象をあると信じてしまう為、形が無くなることを死と呼んでしまう。質料が変化しているだけなのであることに気づかない。雨が降る時、山を見ていると気圧の変化で木々の間から水蒸気が上がり、雲になって行く様子が見える。見えない水蒸気が冷やされて雲に変化して行く様子が手に取るように見える。同じものである。見えないものと見えるものは同じものである。低気圧の時には見えるが高気圧の時には見えない。波動が低くなると見える。人間も形があるということは波動が低いということになる。
見えるものも見えないものもすべて中性バランスの中で変化している。肉体もこ゚の中性バランスで細胞群が働いている。このバランスを崩さなければ病気にはならない。病気は気の病であり、悩み、不安、恐怖を持つことでエネルギーが使われ、エネルギー不足になることが気の病である。人間は仮相の人間を生きようとする為にエネルギーを生老病死の四苦に使ってしまう。病気の原因はアンバランスの生き方により起きてくる。肥田式の天真療法は身体のバランスを整えることにある。




2022年11月5日土曜日

宇宙は愛の創造原理


 宇宙は愛の創造原理

宇宙は1つなる生命体である。1つなる生命は質料とエネルギーの絶対調和、陰陽のバランスである。このバランスが生命であり、創造の原理である。
宇宙は無限大の生命エネルギーであり、意識によって具現することができる。すべての万象万物はこの生命によって具現されている。今の3次元の世界でも同じように行われている。
意識したものが顕れる。何処へ行きたい。何かをしたい。美味しいものを食べたい。すべて自分の意識が肉体を通して現実化している。肉体が何かをするのではなく、意識が肉体を動かしている。見えない意識が肉体を動かしているのである。人間は肉体が自分と思ってしまう為に肉体意識で動いてしまう。意識は無限大であり、何でも創造することができる。
今の人類社会は人間が創造したものが顕れているだけである。良いことを思えは良いことが現象化する。悪いことを意識すれば悪いことが顕れる。争いを意識すれば争いが顕れる。想像したものが顕れているだけである。「想念は実現の母である。」人間にだけこの想念を自由に使える権限が与えられている。今、この意識想念を人間は良い方向には使っていない。自爆のために使ってしまっている。
意識は創造であり、見えるものは結果現象である。人間は見えるものだけに囚われて見えない意識に目を向けない。意識が現象化させるのであって物質が物質をつくるのではないのである。意識は無限大である。しかも無料である。この意識が創造原理であり、完全なる、中性なる宇宙生命である。完全なる中にいるものは完全なるものを具現できる。この想念を正しく使うことで人類を争いのない世界に導くことができる。お金はかからないのである。
宇宙は完全なる永遠の世界であり、人類は仮相の有限なる生き方から本来の永遠なる生き方に気づいて行くためにこの現象界の幻影の仮の宿がある。何故、この世を俗世、仮の宿、浮世と云う名がついているのだろうか?日本語は真理を現わす言葉である。真理は1つなる見えない永遠なる生命、神のことである。宇宙の陰陽の中性バランス。こ゚の中性バランスが宇宙生命であり、創造の原理である。意識の世界、1つなる宇宙意識の世界である。宇宙はお金のかからない完全なるフリーエネルギーの世界、人間という姿、形は宇宙の無限大の生命エネルギーを顕現させる器が人間の肉体なのである。肉体を使って働くのではない。宇宙は無限大の知恵、力であり、これを現わす為に人間と云う媒体が造られているのである。
自分を捨てた時、力が出るのは宇宙力の力である。自分がある時、この力を使うことはできない。無我の境地、自分は存在しないという証ではないか。人間と云う見えるものに囚われてしまうと力を出すことはできない。無限の中に有限なるものは存在しない。人間も万象万物も現象である。宇宙は見えない原子と電子の世界である。形のない世界である。



2022年11月3日木曜日

分離感が人類を縛っている。


 分離感が人類を縛っている。

今、人類は争いに明け暮れている。人類は何故、争わなければならないのか?
宇宙は1つなる生命であり、1つの中で争いが起きてしまうのか?
これが善悪の木の実である。1つなるものの中には善悪は存在しない。宇宙は気体の世界であり、物質の世界ではない。見えないものがバイブレーションを下げることで見えるものに具現化している。具現化されたものだけを見てしまう為、分離感を抱いてしまう。元は1つなるものである。1つなるものの現われである。
現れをあると思う心が争いを引き起こしてしまう。見えないものが見えるものを現わしていることが理解できれば、見えないものからものを具現することができる。この事に気づくために人類は争いを起こしているように感じる。人を殺し、戦いに勝っても幸せになることはできない。本当の幸せは争いの中ではなく、自分の中にあることを知る為の学びである。本当の自分は肉体が死んでも死なない。仮相の我に死んでも本当の自分には死ぬ事はない。この世は実在しないバーチャルの世界である。我は宇宙の永遠なる生命が我であるから。
この分離感が人類を縛ってしまっている。この分離感からの解放が人類の解放である。そこには争いはなくなる。人類の使命は宇宙生命エネルギーを肉体の媒体を使って放射させることであり、現象の世界を生きることではないのである。宇宙は無限大の全知全能の力であり、知恵である。すべて持って生まれているのである。
「十で神童、十五で天才、二十過ぎれば只の人」人間と云う現象に生きると全知全能の知恵も力も使えないということである。生きているのは生命であって人間ではないのである。
人間と云う幻想に生きるから全知全能の力が使えない。
この世で一番怖い人間は「地位もお金も命もいらない」人間である。自分を捨てられる人間が1番強い人間である。何かを身に付けて強くなることではないのである。誰も持っているものである。自分を捨てる。無我になることである。無我になると何故強くなれるのかと云うと宇宙の力が使える。中心力、宇宙力が使える。宇宙力が肉体を通して現れる。無限大のエネルギーが本当の我である。本当の我は見えない生命である。人間は生命の化身である。人間が消えても生命は消える事はない。永遠である。









2022年11月2日水曜日

争いは生き方が間違っているというメッセージ。


 争いは生き方が間違っているというメッセージ。

宇宙は1つなるものである。1つなる宇宙の中に存在している。1つの中に争いは存在しない。争いがあるということは1つではなく2つが存在するということである。宇宙は1つなる宇宙である。その中で何ぜ争いが生じてしまうのか?それは1つの中で分離感を持つために争いが生じてしまう。宇宙は1つなる生命が独存するだけである。1つなる生命体の中で見えるものと見えないものが存在するが、見えないものが見えるものを現象化させている。すべては1つなるものの現われである。1つなるものの様々な現われをあると思う心が分離感を生み、自己保存の為に争いを引き起こす。本来は永遠なる1つなる生命体であるが分離感のため有限な意識になってしまう。永遠なる生命体の中に居ながら争いを起こすことで有限な生き方に波動を下げ、自ら進んで地獄に落ちてしまう。一度波動を下げると上げることは困難である。我々は永遠なる天国にいながら、見えるものに囚われ、仮相の地獄界に生きてしまっている。天国、地獄は意識の状態である。目に見えるものを追い求めて生きるものは地獄界の住人ということになる。宇宙は1つなる天国の世界である。誰もが1つなる永遠なる天国に存在しているのであるが、実在しない仮相の地獄を自らつくり、仮相の世界でしか使えない財産、幸せを求め、不安、恐怖、悩みの生老病死の世界を楽しんでいる。不安、恐怖、悩みがあるということは生き方が間違っているというメッセージなのである。本来は永遠なる平安があるのみである。この世を俗世、仮の宿と云われているのはこの世は本宿ではないということである。この世の争いは生き方の間違いを見つめるメッセージである。争いでは両方が良くなることはない。争いはアンバランスなる波動が起こしてしまう。1人、1人の心の波動を上げることで争いはなくなる。そろそろ人類の波動を上げようではないか。宇宙は永遠なる生命体である。幾ら見えるもの、現象を破壊しても本質の生命はなくなることはない。死んでも死なないのである。仮相界を自ら作って争いを起こし、演じているだけに過ぎないのである。
すべてのすべてありてあるものは1つなる永遠なる法則であり、1つなる宇宙生命である。
人間は宇宙の中には存在はしない。見える万象万物はすべて仮相である。幻影なのである。
実在するのは永遠なる1つなる生命、陰陽の法則だけが実在する。









2022年11月1日火曜日

すべては1つ


 すべては1つ

すべてのすべてありてあるものは1つなる無限なる生命である。永遠なる宇宙生命があるのみ。全て完全の中にいる。これが原点である。この原点からものを見ることですべての問題が解決できる。
すべてが1つなら見えるもの、見えないものすべて1つである。1つの中に時空間は存在しない。この原点から考えることですべてが解決できる。
完全の中に不完全はありえないのである。これが宇宙の法則である。
様々な言葉、様々な現象、様々な形、すべて1つなるものの現象ということになる。日本の国旗も1つ目である。
原因は1つ。結果は様々な現象、原因は1つ。この原因のことを、神、仏、霊光、天照大神と呼んでいる。すべては1つなる宇宙生命体のことである。真理は1つ。宇宙は陰陽の法則である。結果から原因は探ることはできない。真理は1つ。宇宙は1つ。見えない生命を神と呼んでいるだけである。1つの見えない宇宙生命体を見えるものだけで分離感で判断してしまう為に様々な神を打ち立ててしまう。人類がこの現象界から抜け出す為にキリスト、ブッタが現れたが、その道を宗教と言う思想が閉ざしてしまったが、またこの人類の根源の1つなる宇宙の法則の道を開こうとする方々が現れて来ている。
すべての原点は1つである。原点は2つはない。これは真理である。見えるもの、見えないものすべて神である。神一元、仏一元、天照大神一元である。すべては1つなる生命である。
物事を簡単に考えよう。真理は1つである。宇宙は1つなる永遠なる生命、これが原点である。限りなく小さく、限りなく大きい宇宙。これ以外何もない。我も見えない生命である。
真理は単純である。1つの中に争いはない。争いがあるのは2つがあると思ってしまう為に起きてしまう。色心不二。見えるものも見えないものも同じもの。見えない空には無限大の質料が存在する。争わなくても空より自由に取り出す時代になってくる。物質の取り合いで争いを起こしている人類。無限大の空より取り出せば争いは必要なくなる。
宇宙は1つなる完全なるものであり、全知全能の力、知恵である。人間は現象であり、実在していない。人間という媒体を使って知恵を出しているのは見えない生命という神である。
人間は宇宙生命体の媒体であり、神の受信機である。無限大の力、知恵を受け流す媒体が人間という神の器である。肉体が自分であれば死ぬ時、自分で決められるはずであるが、決められないといういう事は自分のものではないということになる。全ては1つなる宇宙生命体の現象、見える万象万物は実在しない仮相、幻影である。地球も空に浮いている。地球からロケットが宇宙に飛び出す時、宇宙と地球との境目はないではないか。全ては1つの現象である。宇宙は見えない気体の世界である。1つなる空の世界。見えるものはバイブレーションが低い為に見えているだけである。見えないものがバイブレーションを下げ、見えているだけであり、全ては1つである。宇宙は1つの細胞体であり、万物万物もその中の同じ細胞体である。人間の中も細胞体であり、細胞体の中は空間は存在しない。宇宙も同じであり、時空間は存在しないのである。