2023年9月22日金曜日

本物はなくならない。無くなるものはすべて偽物である。


 本物はなくならない。無くなるものはすべて偽物である。

この世に本物は存在しているのだろうか?
本物とはなくならないものを指す。この世で実在するものは存在しない。すべて消え行くものである。この世の見えるものの中には本物は存在していないということになる。この世は偽物であるということであるということになる。
人間はこの世で消え行く偽物を集めて幸せになろうとしている。本物ではないので心を満たすことはできない為、心を満たそうとして更に多くの仮相を集めようとする。幾ら集めても偽物なので、心が満たされることがない。
お茶の時に出す茶懐石料理がある。茶懐石料理には本懐石と点心懐石料理がある。点心懐石は見た目は綺麗なのだが、心が満たされない。本懐石は素材を生かしシンプルに仕上げる為、何故か少ない量で心が満たされる。すべてエネルギーの現われである。見えるものは現象であり、現象を現わしている生命エネルギーが本質である。茶の湯も本質を見る為に使うのであれば有効であると思うが、形を作り、形を習うシステムから自分を見つめることはできない。
お茶を学んでお茶に死んではならない。日常すべてがお茶なのである。
キリストが真理は「手より足よりも近い所にいる」と云われる。武道でも「極意とは己がまつ毛の如くにて近くにありて見えざりにけり」すべては青い鳥である。汝の神は汝自身なり。汝の仏は汝自身なり。本物は外ではなく、裡にあるということです。


2023.9.22日、ブログ再開です。

 2023.9.22日、ブログ再開致します。

2022年11月20日日曜日

宇宙は1つなる法則、無限生命なり


宇宙は1つなる生命体
無限生命体
万象万物は1つなる無限生命の現象
すべての本源本質は
1つなる生命の法則があるのみ
1つなる永遠なる絶対バランス
万象万物は生命の現象であり実在はしていない
人間も然り
実在しない人間はないものをあると信じ、
1つなるものを2心で見
善悪の木の実を食べ続けている
永遠なる1つなる宇宙法則を無視し
 1つなる生命の原理を認めず
自ら自分の首を絞め
本当の自分に生きないで
消え行く現象の仮相の中に豊かさを求め生きている
すべては2つで1つ
本来の自分が仮相の自分を現している事に
気づこうとしない
宇宙は全知全能の生命エネルギーそのものであり
宇宙にはこれ以外何もない
人間は1つの宇宙の全知全能の知恵、力によって造られた
人間は宇宙の塵にて人間の形をつくり 息を吹き込まれたと
人間は宇宙の
知恵、力を引き出す為の器であり、顕現道具である
顕現道具が生きようとする為に間違いを起こす
顕現道具が人間の母なる羊水の中で造られる為
勘違いを起こしてしまう
宇宙にはたった1つの生命があるのみである
人間は1つなる宇宙生命の化身である
原因 結果の法則
原因がつくり主 結果は造られたもの
原因と結果は同じもの
我は造られたもの 宇宙はつくり主
我は人間ではなく宇宙そのもの
全ての原点は1つである
真理は1つである
外に答えを求めることなかれ 
全ての答えは汝の裡にあり
地球は人類が宇宙バランスを学ぶ為の小学校であり
この小学校がなければ中学校には行けない
自らつくる天変地異で
人類の小学校を崩壊してはならない
天変地異を防ぐ手立ては1人、1人が持っている
お金はかからない
人間は全知全能の宇宙意識の化身である
できないものは何一つない存在である
宇宙は神1元、無限生命が我である
神は外に居るのではない
宇宙法則そのものが神である
全ては宇宙法則によって造られ
法則の中で生かされている



鍛錬記ブログはこれにて終了に致します。

 

2022年11月18日金曜日

見えるもの、見えないもの


 見えるもの、見えないもの

宇宙は1つなる生命体であり、1つの中に見えるもの、見えないものがあるということになる。
見えるものがあるということは無限の中に有限は存在しない為、見えるものはすべて現象であるということになる。
この見えるものをどうしてもあると思ってしまう。自分の意志で肉体を自由に動かすことができるため、疑うことをしない。
何故、見えるものをあると信じてはいけないのか?見えるものはすべて仮相であり、実在はしていない。仮相である見えるものを認めてしまうとその波動になってしまう。
見えるものは波動が低い。人間という形態には神の高バイブレーションの波動により形態を維持している。この肉体形態は神の波動を受けて流す道具として造られている。外を見ることで波動が低くなるため、受け流すことができなくなる。現象を我として生きようとすると現象の変化して止まないものの中で生きることで、生老病死の四苦に惑わされ永遠なる無限生命体の中で有限なる人生、輪廻を繰り返してしまう。波動が上げれば輪廻は繰り返すことはなくなる。外を見て生きるということは永遠に生きるのか?波動の低い人間、見えるものにいきるのか?が1人、1人に問われている。これは自由選択であるため、強制はできないと云われているものである。


2022年11月17日木曜日

暗示と啓示


 暗示と啓示

暗示は外から来るもの、啓示は裡から来るもの。
外は闇、裡は光。現象は想いによって具現してくる。内なる心により肉体を通して具現してくる。内なるものを具現するか?外を意識して具現するかは本人の自由に任されている。
外を見て具現するものは不完全なるものが顕れる。裡を意識して顕れるものは完全なるものが顕れる。モノを造る時、意識が高い人間が造る時、良いものができるが、外を意識して造るものからは不完全なものしかできない。意識レベルによって造られるものが変化してしまう。
原因、結果の法則である。想いが正しければ正しいものが顕れる。結果を求めては良い結果を求めようとしても求めることはできない。すべて想念の仕方で決まってしまう。
モノを具現する力、知恵は外ではなく、裡にある。
人類は今、内なる無限大の力、知恵を使わず、結果の現象の中で結果をだそうとするため、
不調和を起こし自ら生きる為の環境を自ら壊しながら生きている。
人間は万物の霊長であり、現象の暗示の生き方から心の啓示の生き方に変えることで人間という仮相から本来の我に戻って行く。宇宙は無限生命であり、永遠である。永遠の中に居て有限的な生き方を敢えてしなくても良いのではないか?人間と思う心が自分を自縛させている。本来は人間ではない。細胞の集合体の形が人間と呼んでいるだけである。生老病死は肉体を自分と思う心が造り出す。自分が細胞体と思えば肉体が自分ではないことに気づく。病気は肉体を自分であるという自我の心が作り出す。自我は存在しない。バランスが生命であり、自分である。見える姿、形が自分ではない。本当の自分は見えない中なる心、中心、意識が我である。

2022年11月16日水曜日

宇宙は全知全能の永遠なる生命体


宇宙は全知全能の永遠なる生命体

宇宙生命体は1つなる生命体であり、1つである。
1つの家族である。1つの家族の中に様々な形態を現わし現象化している。すべては1つの宇宙家族である。1つの生命の現象であり、すべては1つにつながっている。
1つなる宇宙生命は全知全能であり、すべては完全生命体の中に現象化されている。
人間も完全なる中で、1つなる全知全能の生命体によって現象化されている。すべてを持ち合わせて生まれている。全知全能の能力を備えて現象化されている。外から見ると人間の形をしているが、裡には1つなる宇宙の力が備わっている。宇宙の力によって人間という神の化身が現象化している。万象万物の使命は宇宙の無限生命を受けて流す役割を持っている。
人間はその中でも万物の霊長と云われ、素晴らしい神の顕現道具なのである。
人間は消え行く現象に生きることではなく、神の無限大の生命エネルギーを現わす道具として造られている。消え行く現象界に生きることではない。この消え行く現象界でお金を儲けに生まれてきているのではない。キリストが云われている重い言葉がある。「この世で富める者はラクダが針の穴を通るが如し」と。宇宙は完全なる永遠なる生命体であり、その中にいる永遠なる生命体が我である。宇宙には1つなる生命体があるのみである。

 

2022年11月15日火曜日

無限の中に有限なるものは存在しない


 無限の中に有限なるものは存在しない

宇宙は無限生命体であり、1つなる生命体である。
無限とは限りがない、1つということである。
無限の宇宙の中に見える万象万物が存在している。
これは実際にあるのか?1つの生命体の中には見えるものは存在しているとすれば、無限生命体にはならない。永遠なる生命体ではなくなる。見えるものはすべて現象であるということになる。
惑星と云う字は惑わす星と書く。実際には実在はしないものであるということになる。
万物も然り。人間も然り。見えるものすべて現象である。すべて無限生命の現われとして見える現象として見えている。この見える現象は1つなる生命の化身になる。
現象は消え行く存在であり、変化し空の元の状態に変化してしまうものである。
人間はこの消え行く姿、形をあると見間違いを起こし、消えてしまうものをあると信じ、生老病死の四苦に捕まってしまう。ないものをあると信じ、悩み多き人生を自分で納得し、波乱万丈の世界を楽しんで生きようとする。
ないものをあると思う心で生きると気づくまで、輪廻を繰り返さなければならない。
無限生命の中に居りながら、敢えて有限なる生き方をしてしまう。