2023年9月23日土曜日

不安、恐怖、悩みは生き方が間違っているというメッセージである。


 不安、恐怖、悩みは生き方が間違っているというメッセージである。

悩み、不安、恐怖は何故起きてくるのか?
自分が正しいことをしている時は迷いはない。正しいことをしていない時、偽りの心と正しい心の2つの心がある時、不安、悩みを持つ。1番の恐怖は死であるが、死なないものが死ぬと思っていることにより、恐怖心が起きてくる。初めから人間は死ぬものであると思って居れば恐怖心はない。これは今の生き方が間違っているというメッセージなのである。病気もメッセージであり、これ以上進むと肉体を維持できなくなるというメッセージである。使い方が誤っていますよというメッセージなのである。
人間は完全なるバランスで形態を現象化している。病気、死はアンバランスにより起きてしまう現象である。人間は消え行くものであり、実在はしていないのである。実在していないものをあると信じる心が不安、恐怖、悩みを抱く。宇宙の万象万物は1つなる生命の現われであり、実際にはないものである。本物には不安、恐怖、悩みは存在しない。本物は実在で永遠に無くならないものであるから。こ゚の実在しているものは宇宙に1つしかない。これを生命と云い、神と云っている。法則のことを神と云っているだけである。人間の云っている神は造り上げた妄想の神である。宇宙は1つなる実在する生命によってすべての万象万物は生命の現われとして現象化している。すべてが神なのである。すべての源は1つである。原点は1つである。原天である。
出なければ宇宙は存在することはない。宇宙から人間を見ると塵にも与えしない。1つなる生命は1つなる法則であり、これが宇宙の法則であり、この法則によって万象万物は姿、形を現わしている。こ゚の法則から外れる時、不安、恐怖、悩みが生じてくる。法則に逆らって生きているというメッセージが不安、恐怖、悩みである。このメッセージを受け止めることで自分を見つめて行く。完全なる中に不完全は存在しない。見えるものは不完全なる現象であり、現象生きようとする心の迷いである。本物と偽物の識別をしなければならない。


2023年9月22日金曜日

本当の我は無我なり

 


本当の我は無我なり
肥田先生は超能力を引き出す時、脳幹部の思考停止と云われる。考えてはいけない。五感を停止させると。肥田先生も3大学4学部を同時に卒業されている。肥田先生が大学に行かれる時、村の為必要なものを選んで進学している。一般の方々は自分の生活の為に行くのが一般的であるが、肥田先生は大学には自分の為には行っていない。
能力は思考停止により、行うことを自ら体得されている。能力は学んで出すのではないということである。
能力は学ぶべきものではなく、内なるものを引き出すということになる。
今まで良い大学に行って学んで能力を身に付けることではないということになる。
知識は人の為ならずということになる。
内なる力を引き出す時、無我にならないと引き出せない。
自分があると引き出すことはできない。一般的に人間という身体に力があると思っているが、身体には力はない。宇宙は全知全能の力であり、知恵である。人間は全知全能を受け渡す受信機ということになる。自分という我を捨てた時、無我の境地になる時、初めて受け渡しができるということである。
人間は宇宙の全知全能の力を受けて流す道具にしか過ぎない。その為に造られた生命の被造物である。人間は無我を現わす被造物、生命の被造物、神の被造物ということになる。
肥田先生も人間は神の子であり、神の器であると云われている。
無我は宇宙生命体そのものであり、普遍生命であり、神そのものである。それが本当の我であったということを証明してくれた。



本物はなくならない。無くなるものはすべて偽物である。


 本物はなくならない。無くなるものはすべて偽物である。

この世に本物は存在しているのだろうか?
本物とはなくならないものを指す。この世で実在するものは存在しない。すべて消え行くものである。この世の見えるものの中には本物は存在していないということになる。この世は偽物であるということであるということになる。
人間はこの世で消え行く偽物を集めて幸せになろうとしている。本物ではないので心を満たすことはできない為、心を満たそうとして更に多くの仮相を集めようとする。幾ら集めても偽物なので、心が満たされることがない。
お茶の時に出す茶懐石料理がある。茶懐石料理には本懐石と点心懐石料理がある。点心懐石は見た目は綺麗なのだが、心が満たされない。本懐石は素材を生かしシンプルに仕上げる為、何故か少ない量で心が満たされる。すべてエネルギーの現われである。見えるものは現象であり、現象を現わしている生命エネルギーが本質である。茶の湯も本質を見る為に使うのであれば有効であると思うが、形を作り、形を習うシステムから自分を見つめることはできない。
お茶を学んでお茶に死んではならない。日常すべてがお茶なのである。
キリストが真理は「手より足よりも近い所にいる」と云われる。武道でも「極意とは己がまつ毛の如くにて近くにありて見えざりにけり」すべては青い鳥である。汝の神は汝自身なり。汝の仏は汝自身なり。本物は外ではなく、裡にあるということです。


2023.9.22日、ブログ再開です。

 2023.9.22日、ブログ再開致します。

2022年11月20日日曜日

宇宙は1つなる法則、無限生命なり


宇宙は1つなる生命体
無限生命体
万象万物は1つなる無限生命の現象
すべての本源本質は
1つなる生命の法則があるのみ
1つなる永遠なる絶対バランス
万象万物は生命の現象であり実在はしていない
人間も然り
実在しない人間はないものをあると信じ、
1つなるものを2心で見
善悪の木の実を食べ続けている
永遠なる1つなる宇宙法則を無視し
 1つなる生命の原理を認めず
自ら自分の首を絞め
本当の自分に生きないで
消え行く現象の仮相の中に豊かさを求め生きている
すべては2つで1つ
本来の自分が仮相の自分を現している事に
気づこうとしない
宇宙は全知全能の生命エネルギーそのものであり
宇宙にはこれ以外何もない
人間は1つの宇宙の全知全能の知恵、力によって造られた
人間は宇宙の塵にて人間の形をつくり 息を吹き込まれたと
人間は宇宙の
知恵、力を引き出す為の器であり、顕現道具である
顕現道具が生きようとする為に間違いを起こす
顕現道具が人間の母なる羊水の中で造られる為
勘違いを起こしてしまう
宇宙にはたった1つの生命があるのみである
人間は1つなる宇宙生命の化身である
原因 結果の法則
原因がつくり主 結果は造られたもの
原因と結果は同じもの
我は造られたもの 宇宙はつくり主
我は人間ではなく宇宙そのもの
全ての原点は1つである
真理は1つである
外に答えを求めることなかれ 
全ての答えは汝の裡にあり
地球は人類が宇宙バランスを学ぶ為の小学校であり
この小学校がなければ中学校には行けない
自らつくる天変地異で
人類の小学校を崩壊してはならない
天変地異を防ぐ手立ては1人、1人が持っている
お金はかからない
人間は全知全能の宇宙意識の化身である
できないものは何一つない存在である
宇宙は神1元、無限生命が我である
神は外に居るのではない
宇宙法則そのものが神である
全ては宇宙法則によって造られ
法則の中で生かされている



鍛錬記ブログはこれにて終了に致します。

 

2022年11月18日金曜日

見えるもの、見えないもの


 見えるもの、見えないもの

宇宙は1つなる生命体であり、1つの中に見えるもの、見えないものがあるということになる。
見えるものがあるということは無限の中に有限は存在しない為、見えるものはすべて現象であるということになる。
この見えるものをどうしてもあると思ってしまう。自分の意志で肉体を自由に動かすことができるため、疑うことをしない。
何故、見えるものをあると信じてはいけないのか?見えるものはすべて仮相であり、実在はしていない。仮相である見えるものを認めてしまうとその波動になってしまう。
見えるものは波動が低い。人間という形態には神の高バイブレーションの波動により形態を維持している。この肉体形態は神の波動を受けて流す道具として造られている。外を見ることで波動が低くなるため、受け流すことができなくなる。現象を我として生きようとすると現象の変化して止まないものの中で生きることで、生老病死の四苦に惑わされ永遠なる無限生命体の中で有限なる人生、輪廻を繰り返してしまう。波動が上げれば輪廻は繰り返すことはなくなる。外を見て生きるということは永遠に生きるのか?波動の低い人間、見えるものにいきるのか?が1人、1人に問われている。これは自由選択であるため、強制はできないと云われているものである。


2022年11月17日木曜日

暗示と啓示


 暗示と啓示

暗示は外から来るもの、啓示は裡から来るもの。
外は闇、裡は光。現象は想いによって具現してくる。内なる心により肉体を通して具現してくる。内なるものを具現するか?外を意識して具現するかは本人の自由に任されている。
外を見て具現するものは不完全なるものが顕れる。裡を意識して顕れるものは完全なるものが顕れる。モノを造る時、意識が高い人間が造る時、良いものができるが、外を意識して造るものからは不完全なものしかできない。意識レベルによって造られるものが変化してしまう。
原因、結果の法則である。想いが正しければ正しいものが顕れる。結果を求めては良い結果を求めようとしても求めることはできない。すべて想念の仕方で決まってしまう。
モノを具現する力、知恵は外ではなく、裡にある。
人類は今、内なる無限大の力、知恵を使わず、結果の現象の中で結果をだそうとするため、
不調和を起こし自ら生きる為の環境を自ら壊しながら生きている。
人間は万物の霊長であり、現象の暗示の生き方から心の啓示の生き方に変えることで人間という仮相から本来の我に戻って行く。宇宙は無限生命であり、永遠である。永遠の中に居て有限的な生き方を敢えてしなくても良いのではないか?人間と思う心が自分を自縛させている。本来は人間ではない。細胞の集合体の形が人間と呼んでいるだけである。生老病死は肉体を自分と思う心が造り出す。自分が細胞体と思えば肉体が自分ではないことに気づく。病気は肉体を自分であるという自我の心が作り出す。自我は存在しない。バランスが生命であり、自分である。見える姿、形が自分ではない。本当の自分は見えない中なる心、中心、意識が我である。