2023年9月26日火曜日

1つなる宇宙生命体の中には争いはない


 1つなる宇宙生命体の中には争いはない

今、人間は形を見て人間と思っているが、形は現象であり、実際には実在しないものである。この見える現象に囚われて、現象に生きてしまっている。実在しないものから離れることができない。催眠状態である。こ゚の催眠は分離感を持ち、自己保存の為に争いを起こす。
宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体が様々な形態を現わし、1つなる生命が生命活動をしているだけに過ぎない。宇宙は全知全能の知恵と力である。人間が幾ら頑張っても勝てる相手ではない。宇宙から見ると人間の存在は見えない。それでも人間が1番偉いと思っている。
宇宙から見ると塵にも与えしない。塵にも与えしない人間も宇宙の1つなる生命体の1部なのである。人間には素晴らしい特権が与えられている。それは宇宙の全知全能の知恵、力を使える自由意志が与えられている。人間は神によって造られた神の顕現道具である。道具の形が人間の形をしているだけである。宇宙の生命体として動くだけである。自分という我を持ってしまうと仮相の地獄界を生きることになってしまう。私も今、仮相界にいるのであるが。


2023年9月25日月曜日

宇宙生命と色心不二

 


宇宙生命と色心不二

宇宙は1つの生命体であり、すべての根源である。
神理は1つ。1つなる生命が万象万物を現象化させている。すべてのすべてありてあるものは1つなる生命である。
仏陀は色心不二ということを云われたのか?
現象は見えない生命の現われであることを示された。その意味は?
原因、結果の法則のことを云われている。原因は造り主、結果は被造物。造り主と造られたものは同じもの。原因は永遠なる生命体、結果も同じ永遠なる生命体である。現象の中には永遠なる生命が宿り生命を維持している。
現象はエーテル質料であり変化してしまうが、生命は永遠である。現象が自分ではなく、現象を顕している生命が本当の自分であることをこの色心不二という言葉で示された。

見える現象は変化して止まない諸行無常の世界。不増不減、不生不滅ではあるが、現象に囚われると生老病死の現象の四苦に囚われ、持て遊ばれてしまう。本来の我は永遠なる我であるのに。本当の我は我が裡にあることを知りなさいと。

仏陀は慈悲の心、キリストは愛ということで生命の法則を説かれている。宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、万象万物はその中で生命が生きている。意識を外に向けると自縛。内に向けると永遠。キリストが「肉に生きるは死」と云われていることもこの事である。何処に意識を向けるかである。色心不二は原因、結果の法則でもある。

日本語は真理を顕す言葉である。真理は1つである。
色心不二、天地一体。表裏一体。霊肉一体、自他一体。これが真理です。


2023年9月24日日曜日

何故、戦争が起きてしまうのか?

 

何故、戦争が起きてしまうのか?

肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて「宇宙倫理の書」を書かれた。最初、何故宇宙倫理の書なのか解らなかったが。
宇宙は1つなる生命体であり、すべてが1つであるということである。1つの中に争いは生じない。
宇宙はミクロがマクロに変化している。見える万象万物は1つなる見えないミクロの生命体が現象化している状態である。この見えるものだけをあると信じる心が分離感を生み、自己保存のために争いを引き起こしている。天地一体、ミクロがマクロを顕している。マクロだけを見るから分離感になってしまう。善悪の木の実を食べてしまう。
ミクロは無限大である。地上界にあるものは見えないミクロが顕している。ミクロは無限大である。地上界の見えるマクロの世界で奪い合いをしなくても無限大に存在しているのである。人類はまだこの事に気づかない。
人間が宇宙に存在していると錯覚しているが、人間も宇宙の生命体の現象の1つである。
実在はしていないのである。それを実在していると勘違いをして仮相に生きているだけである。
人間が文明を進化させていると思っているが、人間が本当の自分を認識できない為、文明が発達すればするほどアンバランスを起こし、天変地異を繰り返してしまう。
これは宇宙法則違反であるというメッセージである。人間も現象なので、変化するだけで死ぬことはないのであるが。
人類は原因から結果を出せは問題はないが、結果で結果を出そうとする為、地上界のバランスを崩してしまう。でもこれに気づくものは少ない。人間は自分でアンバランスにして招いた人災をこれを天災と呼ぶ。人類はまだまだ幼児期だと云われてもしかたがない。
永遠なる生命体の中であえて争いを起こし、地上界で醜い争いをしている。
天地一体。すべては1つなる天の現われが地上界である。

人間は万物の霊長と云われ、太陽系に迷惑をかけないよう地球の波動を上げなければならないのに。人間は現象にの仮相に生きようとするため、争いを起こしてしまう。宇宙は無限大の永遠なる生命体であり、人間も永遠なる宇宙生命体の中で生きているのである。仮相をあると見る心が争いを引き起こす。



2023年9月23日土曜日

不安、恐怖、悩みは生き方が間違っているというメッセージである。


 不安、恐怖、悩みは生き方が間違っているというメッセージである。

悩み、不安、恐怖は何故起きてくるのか?
自分が正しいことをしている時は迷いはない。正しいことをしていない時、偽りの心と正しい心の2つの心がある時、不安、悩みを持つ。1番の恐怖は死であるが、死なないものが死ぬと思っていることにより、恐怖心が起きてくる。初めから人間は死ぬものであると思って居れば恐怖心はない。これは今の生き方が間違っているというメッセージなのである。病気もメッセージであり、これ以上進むと肉体を維持できなくなるというメッセージである。使い方が誤っていますよというメッセージなのである。
人間は完全なるバランスで形態を現象化している。病気、死はアンバランスにより起きてしまう現象である。人間は消え行くものであり、実在はしていないのである。実在していないものをあると信じる心が不安、恐怖、悩みを抱く。宇宙の万象万物は1つなる生命の現われであり、実際にはないものである。本物には不安、恐怖、悩みは存在しない。本物は実在で永遠に無くならないものであるから。こ゚の実在しているものは宇宙に1つしかない。これを生命と云い、神と云っている。法則のことを神と云っているだけである。人間の云っている神は造り上げた妄想の神である。宇宙は1つなる実在する生命によってすべての万象万物は生命の現われとして現象化している。すべてが神なのである。すべての源は1つである。原点は1つである。原天である。
出なければ宇宙は存在することはない。宇宙から人間を見ると塵にも与えしない。1つなる生命は1つなる法則であり、これが宇宙の法則であり、この法則によって万象万物は姿、形を現わしている。こ゚の法則から外れる時、不安、恐怖、悩みが生じてくる。法則に逆らって生きているというメッセージが不安、恐怖、悩みである。このメッセージを受け止めることで自分を見つめて行く。完全なる中に不完全は存在しない。見えるものは不完全なる現象であり、現象生きようとする心の迷いである。本物と偽物の識別をしなければならない。


2023年9月22日金曜日

本当の我は無我なり

 


本当の我は無我なり
肥田先生は超能力を引き出す時、脳幹部の思考停止と云われる。考えてはいけない。五感を停止させると。肥田先生も3大学4学部を同時に卒業されている。肥田先生が大学に行かれる時、村の為必要なものを選んで進学している。一般の方々は自分の生活の為に行くのが一般的であるが、肥田先生は大学には自分の為には行っていない。
能力は思考停止により、行うことを自ら体得されている。能力は学んで出すのではないということである。
能力は学ぶべきものではなく、内なるものを引き出すということになる。
今まで良い大学に行って学んで能力を身に付けることではないということになる。
知識は人の為ならずということになる。
内なる力を引き出す時、無我にならないと引き出せない。
自分があると引き出すことはできない。一般的に人間という身体に力があると思っているが、身体には力はない。宇宙は全知全能の力であり、知恵である。人間は全知全能を受け渡す受信機ということになる。自分という我を捨てた時、無我の境地になる時、初めて受け渡しができるということである。
人間は宇宙の全知全能の力を受けて流す道具にしか過ぎない。その為に造られた生命の被造物である。人間は無我を現わす被造物、生命の被造物、神の被造物ということになる。
肥田先生も人間は神の子であり、神の器であると云われている。
無我は宇宙生命体そのものであり、普遍生命であり、神そのものである。それが本当の我であったということを証明してくれた。



本物はなくならない。無くなるものはすべて偽物である。


 本物はなくならない。無くなるものはすべて偽物である。

この世に本物は存在しているのだろうか?
本物とはなくならないものを指す。この世で実在するものは存在しない。すべて消え行くものである。この世の見えるものの中には本物は存在していないということになる。この世は偽物であるということであるということになる。
人間はこの世で消え行く偽物を集めて幸せになろうとしている。本物ではないので心を満たすことはできない為、心を満たそうとして更に多くの仮相を集めようとする。幾ら集めても偽物なので、心が満たされることがない。
お茶の時に出す茶懐石料理がある。茶懐石料理には本懐石と点心懐石料理がある。点心懐石は見た目は綺麗なのだが、心が満たされない。本懐石は素材を生かしシンプルに仕上げる為、何故か少ない量で心が満たされる。すべてエネルギーの現われである。見えるものは現象であり、現象を現わしている生命エネルギーが本質である。茶の湯も本質を見る為に使うのであれば有効であると思うが、形を作り、形を習うシステムから自分を見つめることはできない。
お茶を学んでお茶に死んではならない。日常すべてがお茶なのである。
キリストが真理は「手より足よりも近い所にいる」と云われる。武道でも「極意とは己がまつ毛の如くにて近くにありて見えざりにけり」すべては青い鳥である。汝の神は汝自身なり。汝の仏は汝自身なり。本物は外ではなく、裡にあるということです。


2023.9.22日、ブログ再開です。

 2023.9.22日、ブログ再開致します。