2023年10月6日金曜日

宇宙神、宇宙は神であり、神は宇宙である

 宇宙神、宇宙は神であり、神は宇宙である

宇宙神 

 宇宙は神なり

神は宇宙なり

神は生命なり

生命は愛なり

原因 結果の法則

原因が神なら結果も神

原因が神 生命なら

結果現象も神 生命なり

万象万物は神 生命の化身である

人間も神の子 神の宮である


自分を持つと何故ダメなのか?


分を持つと何故ダメなのか?

宇宙の本源本質は中性である。1つなる無限大の生命体である。すべてのすべてありてあるものは1つなる生命体である。自分は存在しないのである。無我なのである。これが本当の自分なのである。
宇宙は1つの生命体であり、見えるものは見えない生命の化身、現象である。
この現象は生命の表現媒体として顕れている。2つで一つなのである。色心不二である。
この現象が自分として自分を騙しているのである。現象はすぐに変化してしまう諸行無常の世界である。現象は何故顕れているのかというと見えない生命を表現する為に現象として顕れているのである。
この現象を自分として錯覚してしまうと生老病死の四苦に囚われ、諸行無常の四苦に持て遊ばれてしまう。この見えるものに囚われると諸行無常の仮相界から抜け出すことはできなくなる。生きている内の成仏できなければ死んでは成仏できないと云われている諸因である。
この世で自分を持ってはいけないのである。無我が本当の我であり、観自在、無碍自在の我が本当の我に気づいて行く場所が仮相界である。本宿に戻る為の仮相界であることに気づくための場所である。消え行く世界でお金を儲けに生まれて来ているのではないのである。
気づいたものから本宿に戻って行く世界である。

 

人類がこの仮相界から脱げだすには?


人類がこの仮相界から脱げだすには?

人類の歴史を見ると争いの世界である。これを当たり前に認め、この仮相界の中で生きている。
宇宙は中性であり、陰陽の法則で永遠なる生命体であることを理解しなければならない。

ロケットを地上から飛ばすと地球は宇宙と仕切りがなくつながっている。空に浮いている。
これは宇宙は1つの細胞体であるということである。
人間も小宇宙と呼ばれている。人間の中身は細胞体である。小宇宙と大宇宙は同じもの、すべては細胞体であるということになる。
すべては1つにつながっている。宇宙は1つなる生命体であることが理解できる。
現象の見えるものから、判断すると分離感になり。本質が見えなくなってしまう。
キリストはこの1つなる宇宙のことを天と云い、すべての本源本質である中性なる生命を原因なき原因と呼んでいる。キリストはこ゚の生命から説かれている。
この生命はみることはできない。この見ることのできない生命を神と呼んでいる。
聖書は見えない生命を説くのに例え話を使わざるをいない。モーゼの十戒も見える奴隷解放ではなく、人間一人一人が現象に囚われている姿を奴隷解放という見える形にしているだけなのである。宇宙は1つなる生命体であり、奴隷を造り出しているのは自分自身であることに気づくためのものである。宇宙には善のみで、悪は存在しないのである。善悪の木の実は一人一人が勝手に創り出した迷妄であることに気づけば仮相界から抜け出すことができる。
仮の宿から本宿に戻る。天地一体、天は本源本質、原因、地は本源本質の現象、結果の世界。
見えるもの、見えないものは2つで1つであることを理解して行く。すべては自分の中にある。天は自分の中にある。すべては1つなのである。 

キリストと仏陀は宇宙法則を説かれている

キリストと仏陀は宇宙法則を説かれている

キリストは天地一体と云い、12人の弟子は上から降りてきたものであると説く。原点から生命から説かれる。生命のパンを食せよと。生命とは天のことである。

仏陀は現象から説かれている。色心不二、見えるものと、見えないものは1つのものであると。

キリスト教も仏教もこれを引き継ぐことはできなかった。現象を顕している実相を見ることができなかった。これが今の人類の宗教である。
宗教という字は宇宙を示すと書きます。キリスト教だとか仏教だとかではない。宇宙の法則、自分とは何かを知るためのものである。神、仏にスガルためのものではない。
宇宙の法則を理解し、本当の自分を知るにはキリストと仏陀を合わせて紐解くことで真理をが見えてきます。
すべての宗教は1つになります。真理は1つである。宗教戦争があるということは真理ではないということになる。宗教に生きることではない。自分を知る為のものである。
本当の自分は内にあるものを外に求めてしまう為に自縛してしまっているだけである。


 

宇宙心 心は1つ


宇宙心 心は1つ

宇宙は1つなる生命体。生命は中性であり。1つと云うことは善のみである。無限大の生命。生命は愛の法則である。完全なる法則、永遠なる法則。
この法則により、現象が起きる。
善悪の木の実というのは善なるものを勝手に現象だけを見て、消えて行く現象をあると信じ、1つなるものを分離させ、実在しない見えるものだけを見てしまった。これが善悪の木の実である。分離をさせなければ善のみ、1つなる争いのない平安なる世界なのである。
この1つなる生命を人類は実在しない見えるもの。現象に生きてしまった。
善のみの世界を善悪の世界を作り出したのは仮相に生きる人類である。
仮相界で起きる善悪の現象は善に気づくための現象である。諸行無常の世界は自分で創り出した迷妄なのである。本当の我に気づくためのーー。

仮相は現象であり、人間は細胞体が集合化して形を止っている、これを人間と名付けているだけなのである。現象界にある見えるものの名前はすべて後から付けたものである。人間も然り。
人類はこの現象に囚われて自縛しているだけなのである。この自縛から解放するには自分の意識を変えるだけである。

 

原点は1つということは?


原点は1つということは?

1つという意味の言葉から。

無限生命、普遍生命、天地一体、色心不二、
自他一体、表裏一体、霊肉一体。
地球は天地一体→天と地は1つであるということになる。見えるもの、見えないものは1つであるということである。普遍生命→生命に区切りがないという意味になる。無限生命→生命は1つである。
すべては1つと云うことは見えるものは見えないものの顕れであるということになる。
宇宙は1つなる生命体であるということは見えないものが見えるものを顕しているということになる。
人類は何故、1つの中で争いをしているのかということになる。見えるものだけしか見ることができないということになる。
現象だけしか感じることができない。現象は見えない空が現象を顕している。現象は変化して止まない諸行無常の世界であり、現象を顕している不変不動の空の世界が本当に自分である。見えないものが見える現象は法則によって起こる現象であることをキリスト、仏陀が説かれたが、理解できず、宗教は現象界を如何に生きようかというものになってしまった。
1つのものを2つに分離させてしまう為に宗教戦争になってしまう。
分離感の中で平和は訪れることはない。すべての原点は1つから発生していることに気づくまで争いは続く。
すべては1つという意味は天が地を顕しているという意味である。天は無限大である、地上界で資源争いを起こさなくても空から必要なものは調達できるということである。
これが1つという意味である。
人類に必要なのは意識の切り替えなのである。お金はかからないのである。


この世を仮の宿、俗世、浮世と何ぜ云うのだろう?


この世を仮の宿、俗世、浮世と何ぜ云うのだろう?

仮の宿があるということは本宿があるということになる。物事には必ず原因、結果の法則が働く。
では本宿とは何処なのであろうか?
聖書には「すべてのすべてありてあるものは1つなる生命であると」神であると書かれている。
人間及び万象万物は事実、宇宙の中に存在している。宇宙は1つなる中性生命体である。無限生命、普遍生命とも云われている。この中に人間だけが特別に存在しているのか?
人間も宇宙生命体の一部なのである。
仮の宿と云われているのは本宿に戻らなければならないということである。
では仮の宿で何をしねければならないのか?
宇宙は無限なるエネルギー体であり。人間はこの宇宙生命エネルギーを受けて流す媒体である。使命という言葉があるが、命の使いなのである。この世でお金儲けをするために生まれてきたのではないのである。現象界の消え行く世界で幾らお金を稼いでも消えてしまう自分。
一人一人が自分で考えなければならないことである。
その為の気づきに病気があり、争いがあり。不安があり、悩みがあり、恐怖がある。
この生老病死は現象界、仮の宿に気づきの為にある。自分がアンバランスになっていることに気づくためにある。病気は有難いメッセージなのである。完全なるバランスの中にで生まれているのに外を見る為に自分でアンバランスにしているだけなのである。
本宿に帰るために何をすべきかは自分で考えなければならない。

すべての答えは自分自身の中にあり、自分も知っているのです。