2023年10月20日金曜日

仮相界という牢屋


仮相界という牢屋

この仮相界は非常に波動が低い世界。現象を見、心があると認識することで、波動を下げてしまう。
怖い世界である。想ったことが顕れる世界。
本来は高バイブレーションの空の世界から現象化しているのであるが、現象の結果だけを見てしまう為、現象に生きるようになってしまう。
宇宙は1つなる生命体であり、無限生命である。無限生命の中で現象、見えるものがあるということは1つなる生命の顕れであるということに気づかないといけないのである。
子供が生まれた時、神の預かりものとして育てる。神にお返しする。昔は子供を神の預かりものとして育てた。
今は自分の子供として、お金を取り、裕福な生活ができるように教育をする。
全知全能の神の子を小さな枠に入れ、現象の生き方を洗脳して行く。
学校で学ぶものは知識であり、実際には約立たない。

能力を出す時、脳幹部の思考を停止することで、超能力がでる。
宇宙は神一元の世界である。仮相の人間には何の力もない。すべて神が行なっているのである。それを自分がやっていると勘違いをしているだけである。
この事に気づき、すべて神の子であり、神の器であることに気づくことができれば、1つなる生命体であることを知れば、争いはなくなり、地上天国が顕れる。

キリストが云われている言葉は重い。
この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し

仮相界から本当の我に戻らなければならないのである。戻るには学問、教養は一切必要としない。素直な心だけが必要なのである。お金も一切必要としない。教養がある者ほど、教養が邪魔をして戻れなくなる。仮相界という牢屋から抜け出しましょう。自分の意識だけが必要なのである。

 

2023年10月19日木曜日

1つの中に2つはない


1つの中に2つはない

宇宙は1つということは見えるものはすべて見えないものの顕れであり。万象万物は1つであるということになる。見えるものはすべて1つであり、鉱物。植物、動物、人間すべて1つなる生命の表現媒体であるということが理解できる。
この見えるものだけを見てしまう為に、生老病死の四苦に囚われ、エネルギーを落とし、また再生される。現象が自分ではなく、現象を顕しているものが我なのである。すべて1つの顕れ、1つが我であることが理解できる。現象は様々な形があるが、すべての姿、形は1つの生命の顕れであることを理解して行く。
この理解が生老病死の四苦からの解放が可能になる。意識の切り替えで行う。
宇宙は1つの家族なのであり、1つの生命の顕れ媒体である。
天地一体である。1つの中に争いは起きない。争いがあるということは分離感で天には帰れない意識体である。人類はまだ善悪の木の実を食べ続けている。爭い、対立の二極化から抜けだせない。


 

今の一瞬の刻しか使うことができない


今の一瞬の刻しか使うことができない

神、仏とは宇宙の中性の法則である。
この法則は見えない。自然界もこの法則によって動いている。
この法則の中は時空間がない為に今の一瞬しか使えない。明日の時間も昨日の時間も使うことはできない。生きるとは一瞬の刻しか使うことができない。
今の一瞬に集注し生きることしかできない。意識をかけた時間だけがが使えるだけです.
生きるとは今の一瞬に集注することです。意識をしていない時は使っていないということになります。

一心集注することで自分を無くし、使うことができる。集注力で時間を使う。
宇宙は神一元であり、神に一心集注をかけて行く。我は神の中にいる神の子なのだから。
すべてが神、生命の現象であり、人間という現象は姿、形の名前である。実在はしていない仮相。幻想である。
人間の使命はこの肉体を使って宇宙の生命エネルギーを受け流し、地上界の波動を上げることが使命である。

 

宇宙には1つなる生命、神のみが独存する


宇宙には1つなる生命、神のみが独存する

天地一体。これですべては1つである。ということが理解できる。地上界は見える世界。天は見えない世界。これが1つであるということはバイブレーションの違いで、見えるもの、見えないものに変化しているだけである。
地上界にいる人間は天の顕れであることが理解できる。1つの生命をキリストは「原因なき、原因」とも云われている。宇宙は中性であるということである。地上界はこの中性の法則によって動いている。この原因である法則のことを見えない為に神と呼んでいる。神とは宇宙の中性の法則のことである。
この法則のことをキリスト、仏陀と呼んでいる。宇宙全体が神であり、仏である。
神、仏を造って祀っている宗教は偶像崇拝である。宇宙そのものが神、仏なのである。
神、仏は無形無双の無限宇宙である。愛の法則、慈悲の法則である。

見えるものも見えないものも神、仏である。神、仏を外に求めると分離感になり、宗教家の餌食になってしまう。1つの中に2つはないのである。
この現象の意識の仕方なのである。見えるものは見えない神の被造物であり、これを2つに分けてはならない。造り主と造られたものは1つである。
これを神が造ったものであると認めても神を外に求めてしまう。分離させてしまう。
天地一体ということはすべては1つの神である、見えるものの中に見えない神が宿っている。すべては神一元、これが宇宙神である、宇宙は神であり、神は宇宙である。すべては1つ。


 

すべては生命の御業


すべては生命の御業

宇宙は1つなる生命体、これを神と呼ぶ。神とは宇宙生命体のことである。無形無双の生命エネルギーである。人ではない。すべての創造主である。万象万物の父である。
この宇宙生命体の中に人類は仮相として顕れている。万象万物の御業はすべて生命が行なっている。
地球の地上界には人間が現象化している。この人間にだけ自由意志が与えられている。
人間は生命の仮相でありながら、自分が生きていると勘違いを起こし、地上界を我物顔で荒らしわわって略奪し、同じ生命を殺し、仮相界を生きている。
この使っているエネルギーは神のエネルギーなのである。人間という器は神のエネルギーを器を通して現わす媒体として現象化しているものをその形を見て自分と錯覚し、勝手に使っているだけである。レンタカーを自分の車の如く使っている。ガソリン代も払わず。
人間が行なっている御業はすべて神のエネルギーが行なっている。
御業を行っている神の子が我が中に宿り、働いているのである。人間はこの事の気づかないのである。

 

2023年10月18日水曜日

1つなる生命の分離


 1つなる生命の分離

天地一体。天と地は2つで1つであり、天によって地を顕している。天は創造の父、地は現象の母である。想念は実現の母である。
父と母は2つで1つである。母の中に父が宿っている。
現象は2つで1つであり、父と母で1つであり、完全なのである。これを見えるものだけを見て、見えない造り主を見ない為に分離感が生まれてしまう。見えるものと見えないものは1つであると知れば、すべては1つであることが解れば争いはない。すべてが1つの生命の顕れであることがわかれば、人類皆兄弟となる。
この分離感が克服しなければならない問題である。
これを逆に宗教家に弱みに付け込まれ、利用されている。現象から結果から幾ら治そうとしても治らない。根本はこの分離感である。ないものをあると信じる自分の心が分離感を造る。
分離をすると不安、恐怖、悩みを持ってしまう。原点は完全なのである。不完全にしているのは他でもないっ自分自身なのである。

自分で造った罪を神様のすがって「助けて下さい」というような乞食の真似はしない方がよいと思う。自分の中に助けてくれる神がいるのだから。



外なるものは内なるものの顕れ


外なるものは内なるものの顕れ

見えるものは見えないものによって顕されている。
外なるものの現象は内なる生命意識によって表現媒体として具現化されている。意識は見えないが想念、想ったことを顕わしている。

楽しいと想えば楽しい表現を肉体はしてくれる。悲しいと思うと悲しい表現をしてくれる。
意識に忠実に表現してくれる。

意識の我を表現媒体を自分と勘違いをしてしまうと表現媒体は常に変化して止まないものであり、生老病死の四苦に囚われてしまう。不安、恐怖、悩みに持て遊ばれてしまう。
高波動の我の波動を下げてしまう。高波動であれば生老病死の四苦に巻き込まれないが、低波動になると同調してしまう為に、巻き込まれてしまう。
内なる波動は高バイブレーション、外は低バイブレーション。意識を何処に向けるかで、天国か地獄かが決まる。意識の状態である。