2023年10月24日火曜日

自我と分離感


自我と分離感

宇宙は完全なる1つなる生命体。こ゚の生命体は見えないミクロの生命がマクロの現象を顕している。
人間はこのトリックに引っかかってしまっている。
完全なる中において死があると信じて宗教家に上納金を収めている。宇宙はすべてが神であり、仏なのである。神、仏とは宇宙の法則のことであり、キリストはこれを愛の法則と云い、仏陀は慈悲の法則と云われている。ブッダも宇宙即我と云われている。ブッダが中道と云われているのはこの法則のことである。すべては1つなる生命である。
人間は1つのものを分離し、現象をあると思い違いをし、自縛している。1つなる神の生命体の中で、人間をやっている。
完全の中に争いも対立も存在しないのである。見えるものは見えない宇宙の本源本質の顕れであることを理解して行く。神1元の中にいるものはすべて神であり、仏である。砂浜の砂1粒、石1つも神である。人間という自分を持ってはならないのである。無我なのであるから。





 

2023年10月22日日曜日

現象に生きるとは


現象に生きるとは

宇宙は1つなる無限生命、普遍生命である。
すべて1つなる永遠なる生命の中にいる。
現象はすべて1つなる生命の化身である。
見えるもので神ではないものはない。見えるものすべて神の化身である。
神様は人間が造った建物にいるのではない。すべてが神であり、宇宙は神であり、祀りようがない。神の中に神の社があるのは滑稽である。
宇宙生命は完全バランスである。現象界は外部からの影響がある。この中に現象に左右されずバランスを崩さないことが求められる。外部に左右されるとアンバランスになり、現象から抜け出すことができなくなる。現象の抵抗をエネルギーに変換して現象をバネとしてその流れに身を任せ、グライダーの如く、鳥の如く、空と一体となり、バランスをくずさない。
地上界の作用、反作用を利用しながら生きて行くことが求められる。
見えるものに心が囚われるとアンバランスを起こし、空に戻れなくなる。輪廻でまた再生される。今、私は再生されている。天に戻れなかったのである。またこの世に生まれるということは不幸なことなのである。

 

すべては空である


すべては空である

宇宙は1つなる空である。原因、結果の法則がある。見えるものには必ず原因がある。
原因は宇宙の本源本質である生命、空が無限生命として、永遠なる生命として実在している。
人間も空の現象である。現象として人間が存在しているが、人間は生命の操り人形として動かされているだけなのである。人間が自分で考え、動いているように思っているが、実際は見えない生命が動かしているのである。現象の中には必ず生命が宿っている。生命は見えないが生命が肉体を使って想念によって全知全能の力、知恵を使っている。
想念が生命エネルギーを使っている。
楽しい時は楽しい表現をするし、悲しい時は悲しい表現をしてくれる。
すべては生命、空エネルギーによって空が姿、形の媒体を使って活動をしている。
宇宙の完全完璧の中で肉体を使って働くことではない。肉体を使って生命エネルギーを放射させることである。命の使いが使命なのである。


 

何故の答えは1つである


何故の答えは 1つである

宇宙は1つなる生命体の現象である。すべては1つである。言葉も1つの顕れ、すべて同じ意味である。

神という言葉は生命、エネルギー、霊、光、調和、愛、波動、バイブレーション、微生物、様々な言葉の使い方があるが、すべて1つなる生命を顕している。様々な現わし方をしているが、すべて1つのことなのである。
これを見えるものだけを見る為、違ったものに見てしまうが、すべて1つに現象である。
人間は万物の霊長と云われているが、これを見抜くことができない。現象に囚われ過ぎてしまっているため、見えるものが見えなくなっている。爭い、対立はまたまた人間は幼児期だと云われても仕方がない。太陽系の方々に助けて頂いていることも気づかずに。
波動が下がってしまっている為に気づかない、自分達で波動を下げているのに気づかない。
これは人間の生き方が間違っているといメッセージに気づかなければならない。やることなすこと結果対処でするため、お金がかかってしまう。することがすべて真逆なのである。


 

肉体は乗り船である


肉体は乗り船である

仏陀は肉体を乗り船と例えている。諸行無常の世界を行く乗り船であると。
乗り船の船長は我であるいうことになる。
今の自分の現象には創業者の社長と雇われ社長の二人がいる。これでは会社の運営はうまくいかない。
自我というのは二人の社長がいるということになる。会社を操るには創業者の社長に委ねなければ会社は運営できない。
人間を自分と思っていることは二人の社長がいるということになる。自我が強い人は雇われ社長の権限が強うということである。
創業者の生き方と雇われ社長の生き方が違う為に不具合を起こし会社を存続の危機にしている。人間が病気になるということは会社が不調和を起こしている状態である。
会社の社長は1人にしなければ倒産になる。人間も倒産になるようなもの。
本来の創業の社長に戻すことが自我の克服である。雇われ社長は他から雇ったのではなく、自分で仮相社長を造っているだけである。意識の切り替えである。
すべて自分が創り出した迷妄に自分が悩んでいるだけである。これは自分で造ったものは自分で意識を切り替えなければならない。自己責任である。意識は内にあり、自分でしなければならない。
 

結果から原因に戻ることはできない


結果から原因に戻ることはできない

原因は意識であり、意識が現象結果を顕している。
意識が原因と結果が同じであれば戻ることはできるが、意識が違うと分離感になってしまい、同じにはならない。
現象をあると思う自分で造った意識、自我意識、外念。内なる意識は生命意識、神意識であり、分離してしまう。現象の中には神の意識が現象を顕しているが、外なる現象意識が主になってしまうと分離してしまう。
人間という現象は生命意識、原因によって造らており、実在しない仮相、幻想なのである。
結果の現象から原因に戻ることを昇天というが、結果外念意識から内念、憶念には戻ることはできない。意識の切り替えで戻る時、現象の中にある原因意識から戻らければならない。
只、意識を変えず、瞑想しても原因には戻れない。宇宙は1つなる生命体であり、善のみの世界、善悪の分離感、自我の外念意識の人間からは戻れない。


 

2023年10月20日金曜日

人間に生きるとは神への反逆行為である


人間に生きるとは神への反逆行為である

宇宙は1つなる生命体である。無限生命体である。生命はエネルギーであり、フリーエネルギー体が宇宙である。エネルギーが様々な形態を顕し、生命活動をしている。万象万物は生命エネルギーの放射媒体である。
人間という神によって造られた放射媒体、被造物を自分と勘違いをして、勝手に使っている。形を見て自分と思っているだけで、神の放射媒体の宮である。全知全能の力、知恵を受け流す宮殿なのである。この中に自我という盗人を入れて掻き回されているのは自分自身が造るサタンである。
この自我との戦いに勝利しなければならない。本当の我と自我の我との戦いである。
この戦いに敗れれば自我という盗人に負け、地獄界を這いまわることになる。
勝利すれば天国の住人になる。この世に天国も地獄も存在している。
死んでから天国に行くことはない。生きている内に天国に行けなければ死んでは天国には行けない。意識の状態が天国か地獄を決めているだけだから。