宇宙真理は1つ。2つあるということは真理ではない。キリスト教、仏教に幾つの宗派がありますか?
すべてが1つでなければ間違いであるということです。
1つのものから紐解くと迷い道には入ることはない。
宇宙そのものが真理であり、真理は自分自身そのものが真理であることに気づくことである。人間という結果の仮相は真理によって創造されている。創造されたものの中に必ず真理が宿っている。この真理は汝の手より足よりも近い所にあるとキリストも云われている。
宇宙は永遠なる生命体、フリーエネルギー体であり、他からエネルギーを調達することはない。生命エネルギーそのものが真理であり、我である。生命エネルギーを放射させる為にこの肉体媒体を自ら創造している。この肉体は生命エネルギーの道具であり、神の器である。
神は無所得であり、この世で豊かな生活をするために現象化しているのではないのである。
真理に生きるとは生命に生きるということになる。キリストの生命のパンで生きる。
五感ではなく、直感で生きる。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2023年11月10日金曜日
すべては1つ 真理は1つ
神が完全であるが如く そなたたちも完全であれと
宇宙は神であり、神は完全なるもの。人間も完全なるものの中に存在しているのである。
姿、形が現象化しているということは完全なる中に存在している証なのである。
この完全なる中に居るのに現象を見てしまう為、不完全であると思ってしまっている。
現象は神の生命エネルギーを放射する為に造られた神の顕現道具であり、これを自分と錯覚してしまう為、生老病死の四苦に悩まされてしまう。完全とは永遠という意味である。外なる現象の顕現道具は消え行く存在であり、これがあると思う心が自分を苦しめている。
宇宙は完全なる1つなる生命体である。宇宙に死は存在しないのである。不増不減。不生不滅の不変不動の中性なる生命体である。
すべて完璧の中で無形無双の生命が生きているのである。
不完全にしているのは自分自身であることに気づく。すべての真理は1つなのである。
神であり、仏陀であるということである。
お釈迦様はこの世の生老病死は迷妄であることを中道という形で示された。これが弟子たちには理解できなかった。真理は無形無双の生命バイブレーションであり、この真理は知識では理解することはできない。直感啓示で実感するしかないものであるから。
水は上から下へ流れる
宇宙真理は1つである。1つなる真理が様々な果相現象を顕している。
真理は本源本質である。宇宙の1つなる真理がすべての原点である。天地一体。天が原点であり、地は現象である。天と地は1つである。見えるもの、見えないものは2つで1つである。
原因があって結果があるのであって結果があって原因があることはない。
水は上から下へ流れるのであって下から上には流れることはない。
現象である人間は下から上に水を流そうとするため、法則違反を犯して自らを自縛している。
結果人間が神によって造られた神の表現媒体を使って何かをしようとする。表現媒体は神の全知全能の力、知恵を顕す媒体として造られている。結果人間がこれを逆に使う為、バランスを崩し、自縛してしまっている。
創始者は能動原理、2代目は受動原理
キリスト、仏陀は自ら悟りを得たが、弟子たちはキリスト、仏陀を自分自身に求めず、外に求めてしまう。これが創始者の意志を受け継げない理由である。引き継ぐのは見えるものではなく、真理である。真理は1つである。この内在する真理をどうしても外に求めてしまう。「キリストがこのように云っているとか、お釈迦様がこのように云っているとか、経典にこのように書いてあるとか
、外なる知識に頼って真理を知ろうとしてしまう。その為の解釈が異なり、沢山の宗派ができ、私の宗派が一番正しいとなってしまう。真理は1つであり、その真理は自分の内にあることを忘れてしまう。お釈迦様は1人なのに沢山の解釈ができ、様々な仏教ができてくる。
会社でも同じである。すべて1代限りですね。
真理を求める方は自分の中に先生を求めなければ求めることはできない。外なる先生は内なる真理に気づく為のアドバイザーでしかなのである。
すべては自分の中にある。青い鳥である。
汝の神は汝の内にあり。汝の仏は汝の内にあり。
外に真理を求めれば求める程真理から離れて行く。知識は人の為ならずである。
神は外にはいない。汝の内に神はいる。仏は外にはいない。汝の内にいるのである。
全知全能の力とは
宇宙は1つの生命体であり、宇宙には人間という存在はないということを認識しなければならない。
人間は宇宙生命の現象であることを先に認めなければならない。
1つの中に神も人間も存在するという考え方、分離感を悔い改めなければならない。
宇宙には全知全能の生命エネルギー、神以外、実在するものはない。これが前提である。
存在とは永遠という意味である。人間は永遠なる存在ですか?消えませんか?
この見えるものから中々離れられない。見えるものは存在しないと言っても実際にあるではないかと言われる。
人間は肉体を自分と思っているため、自分で自分の人生を切り開こうとするが、肉体を通して御業を行っているのは人間ではなく、生命である神なのである。
人間は何1つすることはできない。ピノキオのように生命の操り人形でしかない。
人間は無我の状態でいることで、全知全能の力が知恵が肉体を通して顕れる。
如何に無我の状態でいるかである。
超能力を出す時、脳幹部の思考を停止させる。五感をシャットアウトする。無我になる。
五感からの脱却である。無形無双の生命が、肉体を通して顕している。
2023年11月9日木曜日
神は宇宙に遍満する生命エネルギー
宇宙は1つなる中性なる永遠なる生命エネルギーである。宇宙すべてが神なのである。
宇宙が神であることを知らないものが、偶像を崇拝するのである。
宇宙には姿、形は存在しない。霊の現象、万物の霊が現象化しているだけである。
波動が低い為に現象化しているのであって波動が上がれば見えなくなる。
人類は天地一体の波動の低い地の世界に現象化している。地は地の中に地を生かしている天が内在し、地を生かしていることに気づく。天が地を表現している。地は天を顕す天の宮、天の道具である。地と天は同じもの。天と地が同じものでなければ天地一体にはならない。
見えるものも見えないものも1つであるということになる。
天が我を顕しているのであれば我は天ではないか?
素直に考えれば小学生でもわかる問題である。何故か大人になるとこれが理解できない。
それだけゴミがついてしまったということになる。
肉体は神の宮
宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命体が存在、実在しているだけである。この1つなる生命が様々な形態を造り、生命活動をしている。
人間は進化するのではなく、霊的なものが進化するのである。現象が進化するのではない。魂が進化して現象が変化するのである。
霊とは神であり、神が進化することはないが、現象の自我が神に近づくことを進化するというのである。
人間には自由意志が与えられているため、どうしても見えるものに囚われてしまう。
この現象に囚われてしまうと変化して止まない諸行無常の世界の中で生老病死の四苦に縛られてしまう。肉体は生命の働く宮であり、肉体に生きることではない。
水は上から下に流れるように生命の気も上から下に流れるようにすることで、永遠なる生命に
生きることができる。
キリストは肉に生きるは死であると。肉体は神の宮であり、神の働く場であり、神の働く道具である。道具の使い方を間違わないようにしなければならない。