2023年11月18日土曜日

宇宙そのものが神、仏である


宇宙そのものが神、仏である

宇宙は1つなる愛の法則の無形無双の生命体である。
この無形無双の生命が全知全能の力、知恵であり、創造の原理である。
神様、仏様というと見えないが故に特別な存在であり、仏像のような形があるように云われてきていたが、それがそのような存在ではないことに気づかされた。今まで思って来た神、仏とは何だったのか?
宇宙そのものが神、仏、法則が神、仏であれば、神、仏を祀ることはないではないか?
今まで宗教に脅かされ、騙されてきていたのかと思うとゾッとする。
その分離感の為、争い、対立を起こし、同じ生命のなかで争いを起こして来ていた。
それを利用されてきた。赤ずきんちゃんだったのである。
戦争は宗教が起こしている。何の為の宗教なのかである。
でもこの世は仮相界であり、目くじらを立てる必要はないのである。宇宙は霊界であり、現象が消えてもなくなることではない世界である。仮相の世界で色々な経験を積み、生きている内に空に戻る為の世界である。
完全なる神、仏の世界の中で、形をある低波動の世界の中で、永遠なる生命が我であることに目覚める為の仮の宿。この低バイブレーションの見える世界から見えない高バイブレーションの空に戻って行くための現象界なのである。この世の一時的な仮相界で幾ら幸せになっても空の本当の永遠なる実相の世界、永遠の世界には戻れないからである。



 

見えるものには、必ず顕しているものがある


見えるものには、必ず顕しているものがある

無から有は顕れることはない。顕れているものには必ず、顕しすものが存在している。
宇宙は1つなる生命体。1つであれば顕れすことはできないのではないか?それは細胞体であるから見えない細胞が集合化して見えている。
顕すものがあまりにも小さい為、見えないだけである。原因、結果の法則である。見えるものと見えないものは2つで1つである。
人類は原因、結果の法則を理解すれば、争いはしない。見えるものだけを見るため、分離感を持ち対立、争いを起こす。
実在しているのは見えない生命、この宇宙の本源本質がすべての現象に宿り、現象化している。現象は実在していないが見える存在。実在している生命は見えない存在であるが、永遠なる現象化させている本源本質。見えない本源本質が現象を顕している。
私もこの現象界に存在しているということはまだ悟れず、また現象界に戻されたということである。落第生であるということである。


 

2023年11月17日金曜日

人間は実在してはいない


人間は実在してはいない

宇宙は無形無双の見えない生命体。この1つなる生命体のみが実在している。其処には姿、形は存在しない。あるのは見えない無形無双の空の世界。
形のない世界。その中には形は存在しない。人間は存在しない.万象万物も存在しない。その空の世界、生命界の宇宙。
人間は生命によって現象化されている。現象化されているものを見て生きている現象界。その見える現象の中で生きている者には見えるものを顕している見えない生命の世界を理解することをすることはできない状態である。
この見えるものを顕している見えない世界を理解するにはアドバイスがなければ理解は不可能に近い。そのように云われればなるほどと理解することができる。
水蒸気が水になり氷になることは当り前に思っていたが、水蒸気が本当の我であることを気づくことを考えても見なかった。宇宙は波動の世界であったのである。
見えない世界、生命の世界は高波動世界。それが神、仏の世界であった。現象化している低波動の人間形態はは高波動の見えないものが形態に宿り、現象として生命が顕している。すべては1つの世界。高波動の空の世界が現象として顕れている。故に低波動で高波動を見ようとしても見えない。我の波動を上げて行くことで実感して行くしかない。
悟りとは低バイブレーションの意識から高バイブレーションの意識に上げて行くことである。


 

神という自覚


神という自覚

宇宙は1つ目である。すべては生命。生命とは陰陽の法則。宇宙には沢山の法則は存在しない。1つの法則しか存在しない。生命は1つなる生命の法則であり、これを神、仏と呼んでいる。神、仏は遠く彼方に居るのではなく、1つなる法則の中に万象万物が現象化している。すべて神、仏という法則の中に人間という姿、形の生命の現象が顕れている。形は現象なので存在はしない。消え行く、変化する質料である。姿、形は宇宙の塵、水様質料で造られる。質料形態は生命が宿り、生きているように見えているだけで、質料形態は生命のエネルギーによって動かされているに過ぎない。
生命は見ることができない。これは実感し、自覚して行かなければならない。現象からは見ることはできない。自覚して行かなければならない。生命の世界は不立文字の世界、神の世界、仏の世界、霊界の世界である。高バイブレーションの為、見えない世界である。
見えるものは低バイブレーション、バイブレーションを上げて行けば見えないものになる。
神、仏が遠く彼方に居るのではなく、同じ世界にいるのである。三位一体の世界なのである。

 

これから神、仏になるのではない


これから神、仏になるのではない

宇宙は原因なき、原因。宇宙はそのままにして原因、神、仏である。人間、万象万物そのままにして神、仏なのである。
初めから一人、一人は神、仏の中にいる神、仏である。神、仏を人格的な存在と見てしまうと紐解けなくなる。神、仏とは宇宙法則のことであり、中性である。これを愛とか慈悲と云っている。仏様を飾って手を合わせることではない。
宇宙そのものが法則そのものであり、神、仏である。偶像崇拝とは神、仏は姿、形だけではなく、現象を見て起こる心、不安、悩み、外を見る意識が偶像になる。
生命、神、仏が様々な形態を現象化させている。見えるものは神の化身である。現象は顕れた像であり、変化してしまう生命の化身である。現象に神が宿り、顕している。顕しているものは実在あって、顕されているものは内なる生命を顕す為の器であり、生命を顕す為の一時的な現象であり、消え行くものである。見えるものは実在の仮相である。

2023年11月16日木曜日

宇宙は1つなる真理、空であり 神である


宇宙は1つなる真理、空であり 神である

宇宙は1つなる生命体、久遠の生命体、原因なき、原因、内は天、外は地、すべては天地一体。
1つなる生命体が宇宙である。
すべての現象は1つなる生命体が顕している。
現象があるのではなく、生命が実在している。現象は生命が形を止ったもの。
現象から見てしまうと見えるものがあると見えてしまう。生命から見ると生命の顕われと見える。造り主から見るのか?造られたものから見るのかで違って見えてしまう。
またすべては1つだからと言って現象は見ないで、原因だけしか見ないものも出てくる。
原因から見るのか?結果から見るのかによって生きるものになるか?死ぬものになるかが判断されてしまう。
真理は1つであり、見えるものも見えないものも同じ1つのものである。
天地一体、色心不二の1つなる生命体である。宇宙は1つなる生命の真理が実在しているのみである。バイブレーションの変化で生命が見える現象として顕れているだけである。
この見えない陰陽の法則のことを神、仏、天照大神と名付けているだけに過ぎない。
神、仏様がいる訳ではない。宇宙そのものが、神であり、仏なのである


 

想念力


想念力

「想念は実現の母」意識したものが現象化されてくる。見えるものは想念によって具現されてくる。
宇宙は1つなる創造の原理であり、想念によって宇宙の力、知恵、全知全能の力が顕わててくる。

良いことを想えば良いことが顕れ、悪いことを想えば悪いことが顕れてくる。意識のかけ方で様々な現象が顕れてくる。この1つなる愛の法則によって宇宙は成り立っている。宇宙は中性であり、創造の原理であり、全知全能の力、知恵である。
大宇宙は小宇宙であり、小宇宙は大宇宙である。大宇宙の原理と小宇宙の原理は1つである。
生命原理は1つなのである。これを真理と呼んでいる。
大宇宙を理解するには小宇宙を理解することで可能であるということになる。
現象界で想念力を理解することは簡単にできる。何処に行きたい、何かをしたいという想念が、現象化されてくる。夢を持つことで夢を叶えることができる。これは想念力である。
小宇宙の法則は大宇宙の法則でもある。自分を知ることで、宇宙が理解できる。