2023年11月24日金曜日

生命と現象


生命と現象

生命と現象は原因、結果の法則である。見えるものは必ずそれを顕わすものが存在する。
現象が存在しているが、これは実在しない果相であり、幻、幻想である。
現象が何ぜあるのかというと生命が無限大の生命を現象を通して流す為に現象が一時的に顕れているに過ぎない。生命の循環である。
人間は万物の霊長である。現象化しているものは物質ではなく、霊が形を止っているだけである。人間を霊が止まると書く。(霊止でヒトと読ませる)
宇宙は1つなる生命体が実在している。これ以外何もない。生命と現象は2つで1つなのである。
現象に生きる人間は見える現象だけを見る為、幻想の生老病死の四苦に憑りつかれる。
今の宗教家はこの四苦を少しでも少なくしようと頑張っている。悩み相談所になっている。
イエスが云われるように肉に生きるは死と云われている。現象に生き、死ぬものはまた生まれ、何度でも再生させられると。


 

肉体は心の表現体


肉体は心の表現体

見えるものには必ず中心がある。これが中なる心である。心はエネルギーであり、中心力であり、力、エネルギーは外ではなく、内にある。
この内なるエネルギーを外に顕現するだけである。
この神の表現媒体を殆どの人間が自分と思い違いをしてしまっている。内なる中心なる力、知恵を外に顕現する神の道具を勝手に使っている。
この道具には使い方があり、その通りの使わなければ、壊れてしまう。
内なるものと外なるものをバランスによって使わなければならない。バランスとは1つで使わなければならない。1つとして使うことで内なる生命エネルギーが外に顕現することができる。
この表現媒体が主導権を持ってしまうと分離感を起こし、現象を認める為、生老病死の四苦を持ち込み、囚われ、アンバランスを起こし、生命エネルギーを遮断することになり、バランスを失い、肉体が不調和を起こし、死に至る。
キリストが云われるように肉に生きるは死であると。

 

神を外に求めるなかれ、汝の神は汝自身なり


神を外に求めるなかれ、汝の神は汝自身なり

神とは何ぞやである。神とは宇宙生命体であり、宇宙生命体により、万象万物が創造されている。
万象万物は神の被造物である。宇宙には神一元、神によって人間も造られている。造り主は別にいるのではなく、造られたものの中に宿っている。
原因、結果の法則であり、原因である生命が形態に宿り、生命活動をしているから形態が保持されている。原因が生命なら結果も生命なのである。原因が神なら結果もは同じ神なのである。
宇宙は1つなる生命であり、生命は神であり、仏であり、神、仏によって造られた被造物の中に神、仏が宿らなければ形態を顕すことはできないのである。神様、仏様が別にいる訳ではないのです。人間はこ゚の生命が見えない為に神、仏を外に求めてしまったのです。
生命が内に宿っていなければ姿、形が顕れることはないのである。
神、仏とは生命エネルギーのことである。
人間が死ぬ時、魂が抜けたという云い方をするが魂とは生命エネルギーのことである。
生命エネルギーが肉体から引いただけなのです。生命は死ぬことはない、普遍不動であり、永遠である。生命は宇宙生命、愛の法則、愛光である。



 

大宇宙は小宇宙 小宇宙は大宇宙


大宇宙は小宇宙 小宇宙は大宇宙

大宇宙の中に小宇宙は存在する。小宇宙と大宇宙は同じもの。相似形である。
同じ生命体である。大宇宙は1つなる生命体であり、中性なる生命体である。人間という生命体も宇宙の生命体の一部であり、全体である。
人間というのは小宇宙の細胞体であり、1つなる法則によって創造されている。
生命は1つであり、小宇宙の人間も大宇宙の中の同じ生命体である。
生命が万象万物を顕している。人間も生命によって顕れた現象である。姿、形の現象は消えても形態質料は消えることはない。生命は普遍不動の宇宙生命は消えることはない。永遠である。我も永遠なる無限生命なのである。この1つなる生命以外、宇宙には存在していないのであるから。我は宇宙生命の一部でありながら、宇宙生命そのものであった。


 

人間はこの世で何をすべきなのか


人間はこの世で何をすべきなのか

宇宙は1つなる生命体である。この宇宙に人間は存在するのだろうか?。1つなる無限生命の中に現象は存在しないのである。存在するということは実在するということである。永遠ということである。宇宙に実在するのは1つなる無形無双の生命体だけが実在するだけである。
宇宙は物質界ではないのである。宇宙は霊界なのである。高バイブレーションの世界が霊界なのである。生命エネルギーの見えない世界である。
人間は万物の霊長と云われるようにすべての見えるものは霊なのである。宇宙は1つなる中性なる霊界なのである。
人類は1本の木の葉のように春に芽が出て、冬には落ち葉になって行くようなもので、また次の年には芽を出す。木の葉は常に変化するが、それを創造している木の生命は外相がなければ絶えることはない。縄文杉のように何千年と生命が途絶えることはない。
人間も木の葉でななく、木の葉を創造している生命が我であると。
人間には自由意志が与えられており、使命が与えられている。無限大の生命エネルギーを肉体媒体を使い、地上界に生命エネルギーを受け流す為に現象化している。それで生命の世界に戻って行く。かぐや姫の世界である。



 

キリストと仏陀とは同じ宇宙の真理のこと


キリストと仏陀とは同じ宇宙の真理のこと

宇宙は1つなる生命体。この中の現象は様々な現象を顕しているがすべて1つのことである。2つあることは間違いである。善悪があるということは間違いであるということである。善のみが存在する。
善悪はバイブレーションが低くなることで、質料が見える現象になるため、これに囚われることで善悪の分離感が生じてしまう。
この分離感が人間の波動を下げ、実在しない生老病死の四苦に囚われてしまう。
生老病死は現象界にあって霊界には存在しないのである。霊界は姿、形は存在しないからである。
キリストは宇宙法則のことを愛の法則と云い、仏陀は慈悲という形で中道の法則を説いた。
宇宙は中性なる生命体である。こ゚の生命体が様々な万象万物を化身として顕している。
宇宙の法則が人間を造っている。人間は神の被造物である。
1つなる生命は内に宿っている。外に何かをすることではなく、内にある全知全能の我に向き合う。これが人間として神として生きることである。
この事をキリスト、仏陀は伝えようとしたのです。現象に生きる為の生き方を説いたのではないのです。本来の我は宇宙即我である。本当の我は仮相の人間ではないことを説かれている。キリストも生命のパンということで同じことを説かれている。肉に生きるは死。生命に生きるは永遠と。



 

生命が我であり、肉体は我が宿る器である


生命が我であり、肉体は我が宿る器である

宇宙は中性なる1つなる生命体である。
この生命体は見えない生命体であり、永遠なる微生物である。これが宇宙の本源本質であり。宇宙そのものである。無限生命、普遍生命であり、宇宙に遍満している生命体があるだけである。
生命体は目には見えない。でも実在する。
何故、見えるものには必ず顕すものがある。見えるものだけが存在することはない。
あるということは永遠にあるということである。消えて行くものは現象であり、必ず顕すものが存在する。宇宙は1つなる生命体であるため、1つの中に様々な見えるものが実在することはない。見えるものはそれを顕すものがあるということである。宇宙には1つなる生命が実在する。こ゚の生命が原因なき、原因、宇宙生命、中性なる永遠なる生命体である。
肉体は現象であり、現象を顕す生命が顕している。現象の肉体の中に宿っている我がいるのである。見えない現象に宿っているのが我である。現象を造り、維持しているのが我である。
これを生命、神と呼ぶ。我は神の子であり、肉体は神の器である。