2023年12月22日金曜日

自己責任


自己責任

宇宙は1つなる生命体であり、完全なる生命体である。無限生命体である。この中に万象万物は存在している。存在しているというより、現象化しているのである。聖書にも見えるものは神の被造物と書かれているが、人類は神と被造物を分けてしまった。その為に分離感が起こり、永遠なる1つなる生命野中で争いを起こしている。宇宙には1つなる無限生命の無形無双の実在界が存在するだけでこの見える仮相界は存在はしていない。宇宙は霊界であり、見える物質界界は存在しないのである。でなければ無限宇宙にはならないのである。宇宙は空の世界なのである。
人類はまだこの事に気づかないだけである。すべてが空であることに。
すべてが1つの中で自分がしたことは自分で責任を取らなければならないのである。
見えるものは1つなる生命の顕われであり、1つなる生命として生きる法則を現象を自分と思い違いをして生きてしまった責任、永遠なる神の生き方を有限なる生き方にしているのは他ならぬ自分自身なのであり、すべて自己責任なのである。
波動を下げて現象化している人類は見える波動の低い世界から本来の見えない実在界に戻るための世界でもある。キリストが云われるように「神が完全であるが如く、そなた達も完全であれ」と云われている。
この仮相界は人類が蝶のように青虫が波動を上げ、さなぎになり、蝶に変身させる仮相界なのである。この世の現象に分離感で人類が生きようとすると地球はアンバランスになり、幾度と繰り返している天変地異になり、また再生されてしまう。今が最後の審判である。
これほどまだ幼児期な人類なのである。人類は宇宙で一番偉いと錯覚をしている。宇宙はUFOで移動をしているのに、人類はまだロケットを飛ばし、自分の住処を自分で壊している幼児期な生き方をしている。神の中に居て自分が神であることを知らない哀れな人類なのである。幾度と繰り返される天変地異これは人類は犯している罪なのある。
1人、1人が意識を切り替えることで、可能になる。


 

2023年12月21日木曜日

光陰


光陰

光りは陰であり、影は光である。陰は光の顕れである。
霊肉一体。霊は肉であり、肉は霊である。1つのものである。宇宙は1つなる生命体。霊は見えない。肉体は見える。見えないものが見える現象を顕している。
霊は生命であり、見えるものは生命の顕われであるということになる。
光りは見えない、陰は見える。二つで一つである。宇宙は一なる生命体、生命の顕われが見える万象万物である。宇宙は1つなる生命が多神を現象化している。
宇宙は光であり、万象万物は光の陰である。宇宙の本源本質は光であり、光は完全バランス、生命体である。生命は無形無双の1つなる生命体。永遠なる生命体である。
すべての原因は1つなる生命体がすべての現象を顕す創造主である。
この原因結果の法則が宇宙宙生命であり、生命そのものである。すべては1つである。
1つなる中に争いは起きない。地上界で争いが起きているのは1つなる生命を分離して見えるものだけがあると錯覚している為に起きてしまう。見えないものと見えるものが1つであると見ることができれば争いは起きない。すべては1つの顕れであることに気づくまで、争いは続く。人類は、まだまた幼児期であるということである。天災と云われているものはすべて人災であることを気づかない。ノーベル賞をと取った人でも気づかないのではないか?
それ程、幼児期な人類なのである。





 

2023年12月20日水曜日

善悪の木の実は自分を成長させる


善悪の木の実は自分を成長させる

宇宙は1つなる見えない生命界であり、万象万物は1つなる生命の化身である。完全完璧なる永遠なる生命体。
人間と名付けられた神の化身には自由意志が与えられている為に、現象をあると思い違いをしてしまった。神の働く場を。神のみが独存しているのである。
神は無形無双の生命であり、神の現象、神の化身を自分であると錯覚し、神との分離感が起きてしまった。宇宙には人間は存在しないのである。存在していたのなら、宇宙は成り立たないのである。
我は神の化身、神を顕す器であり、神そのものであることに気づかない為に実在しない仮相の姿、形の神の働く器を自分と錯覚し、変化して止まないものに囚われ、生老病死の実在していない仮相の四苦を自ら抱え込み、死に対する恐怖、不安、悩みを自ら四苦を抱え込む。
現象は本当の自分に戻る為の気づきのメッセージの為に用意されている。生老病死の現象を通して早く気づきなさいと。最大の気づきのメッセージは天変地異である。
天変地異は太陽系に影響を与えてしまうためやってはいけないことなのであるが、これに気づかない未だ幼児期な人類なのである。
善悪の木の実をは本来の我に気づくためのメッセージなのである。天変地異の最大の気づきのメッセージが来る前に気づかなければならないのであるが。このメッセージは完全バランスを崩すことにより起きる現象であり、1人、1人の意識のバランスが崩れなければ天変地異は起きないのである。地球の、乱れは人間の意識の乱れ、心の乱れ、物質寄りの意識を直すことで地球の乱れは修正できる。1人、1人の意識の切り替えで可能なのである。お金はかからない。 






 

2023年12月19日火曜日

人間という呪縛


人間という呪縛

人間とは何か? 
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。
人間は宇宙の中で生まれた現象である。宇宙の現象である人間が宇宙はどのようになっているかをさがしても宇宙の中にいて宇宙を探しても見つけることはできない。宇宙の外にでれば見つけることはできるかも知れないが?
人間は宇宙生命体の中で造られた現象であり。見えない宇宙の法則を探すことはできないだろう。
問題は人間が実在しているということを信じ、人間に生きていることが問題なのである。
人間は人間が生きるためには造られてはいない。宇宙生命のエネルギーを人間という器を通して顕現するために生命エネルギーによって造られた媒体であることを理解し、本来の使命を果たさなければならない。人間として生きるということは神への反逆なのである。
人類は今まで何をしてきましたか?
自然を破壊し、1つなる生命によって現象化している人間を分離感の為に殺し、自己保存の為に生きている人間。これが現実ではないか。人間は本来万物の霊長である。神に似せて造られたものなのであるのに。
現象に生きるため生きるから分離感で争いを起こす。生命に生きれば人間という呪縛から離れ、解放される。すべてっ自分で自分に呪縛をかけているのである。






 

2023年12月17日日曜日

霊的な食べ物


霊的な食べ物

宇宙は1つなる生命エネルギーであり、生命エネルギーが万象万物を顕している。
見えるものは見えない生命エネルギーによって現象化されている。
人間も生命エネルギーによって具現化されている。
姿、形ののあるものはすべて生命エネルギーの化身になる。 
仮相の人間は本来、生命エネルギーが形を止っているのだから、生命エネルギーが顕しているのだからエネルギギーを外部から取ることはないが、現象の姿、形の人間を信じているため、外部からエネルギーを調達しなけれなならない。外部から取ろうとするエネルギーも生命エネルギーによって現象化されているものなのである。
本来の我は生命エネルギーであり、生命エネルギーを放射する為に造られた顕現道具を自分と見間違え、外部からエネルギーを取る入れようとしている。
人間から見るから霊的な食べ物とか正食とかいう云い方をするが、すべての人間が食べようとしているものは生命エネルギーによって造られたエネルギーの化身である。
人間も生命エネルギーの化身であり、本来はキリストが云われるように何を食わんと何を飲まんとわずらうことなかれ。なのである。
自分は原因なる霊的我なのか、現象の結果なる我なのかである。
原因に生きるは永遠、結果に生きるは死であるとキリストが云われている。



 

2023年12月16日土曜日

得ようとするものは奪われる


得ようとするものは奪われる

何故、得ようとするものは奪われるのか?
宇宙は1つなる完全なる生命体であり。永遠なる全知全能の生命である。すべての万象万物はこの中に現象として顕れている。現象があるのではない。生命が現象を顕しているだけである。完全なる生命でなければ現象を顕すことはできない。
現象は見えない生命の化身である。化身は生命の働く場であり、生命を顕す道具、器にしか過ぎない。
完全の中に居てこれから学ぼうとするものは我は完全なることを知らない為に答えを外に求める。答えは内にあり、内は完全であることに気づくだけなのである。
神の中に居て神を探している。これでは青い鳥を探すことはできない。
意外と知識では理解していても実際は答えを外に求めてしまう。小さな時から答えは外にあると教えられ、教育されてきているため、答えを内の求める人は少ない。学びとはすべて持っていることに気づくことであることを。

 

2023年12月15日金曜日

現象界は人類の学びの場である


現象界は人類の学びの場である

原因、結果は1つと云うことは原因と結果は同じものであるということある。
同じものであるというのは宇宙は1つなる生命が実在しているということでもある。
原因、結果というのは原因は見えない生命体であり、その生命細胞体が分子構造を組み現象化している。造り主と造られたものは1つであるということである。
宇宙は1つなる完全なる生命体、すべての創造原理である。原因は様々な形態を顕す創造原理、生命である。こ゚の生命が様々な現象を顕している。様々な姿、形があるのではなく、1つなる生命が様々な現象を顕しているのである。考え方が真逆なのである。
現象から見るから、他人がいると思ってしまうが、生命から見ると1つなる生命が様々な現象を顕しているということになる。1つから見ると争いはないが、現象の分離感から見ると対立、抗争と1つの中で争いが起きてしまう。今、人間界で争いが起きているということは実在しない現象の仮相界から見る為、この偽りの世界、仮相界から抜けせないのである。
今生界は本来の我に戻る為の仮相界であり、幼児期な人類の大切修行の場所なのである。
この学びの場所がなければ本来の我に戻ることはできないのであるが、人類は大切な学びの仮の宿を自ら壊している。実相界の無形無双の永遠なる生命界が本来の我であることに気づき、宇宙の三位一体の世界が宇宙生命体であることに気づく。この世はその為の仮の宿なのである。