2024年2月18日日曜日

本来の我は生命である


本来の我は生命である

宇宙は1つなる生命のみが独存する。
宇宙の万象万物は1つなる生命の化身である。
原因結果の法則であり、原因は見えない生命、結果は見える現象である。
すべての原因は生命であり、結果は様々な現象である。すべての原因は1つであり、これが宇宙の現象を生み出す原因である。
原因は見えない生命である。現象は見える。今、現象の中に居るということはそれを顕す原因があり、それが我であるということになる。現象は実在していない。それを顕しているものが我であるということになる。見えるものはすべて消極であり、実在していないのである。
モノの見方は見えるものにはそれを顕す原因があり、それが本源本質であるということになる。自分も見える現象であるということは本当の我は見えない生命であるということになる。
今まで見えるものだけを見てきたが、見えるものはすべて仮相であり、偽物であり、それを顕しているものが本物であるということになる。見えるものはすべて偽物、本当に我は見えない生命が我であった。



我の使命


我の使命

宇宙に生命は1つである。その化身として万象万物が現象化している。
宇宙は1つの細胞体である。宇宙はプロフェクトバランスである。完全なる愛の法則、生命体である。
宇宙は完全なる永遠なる生命体である。この中に万象万物は現象化している。完全なるものの中に有限なるものは存在しない。
完全なる中に現象化して居て不完全は存在しない。人類は生老病死の四苦に惑わされてしまうということは完全なる法則の中に居ながら、この法則から外れる生き方をして完全なる中に居ながら不完全なる生き方になってしまう。生老病死は完全なる生き方の法則から外れたためにメッセージとしての警告なのである。
現象の中には本来の我である神の種が宿している。この神の種に気づき使命を果すことで肉体から離脱して行く。離脱できなければ使命を果すことはできない。
我は姿、形ではなく、見えない生命なのである。生命が仕事をするために現象として顕わているのである。



 

本来の我が仮相の現象から抜け出せない


本来の我が仮相の現象から抜け出せない

宇宙は1つなる無限生命体である。宇宙にはこの永遠なる宇宙生命の他に存在しない。この無限生命が万象万物を顕している。
原因である無限生命が、結果である現象を顕している。すべては1つなる生命が様々な現象を顕し、生命活動をしている。
現象界にいる人間はこ゚の識別が理解できない。現象界でも見えない意識が肉体を通して顕れていることは何となく解っていても現象意識から離れられない。
現象しか信じない。見えるものしか信じない。
宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、すべての万象万物は1つなる生命の化身として顕れている。現象界も見えない意識によって肉体が動かされていることに気づかない。
これに気づいたものから、本来の我に気づき、現象界から離脱し、地上界の波動を上げて行かなければならない。

 

2024年2月17日土曜日

永遠なる生命が現象を通して生きている


永遠なる生命が現象を通して生きている

人類は仮相である。この仮相をあると信じて生きている。実在しない幻想界に身を置いている。
この現象界を実相界と思い違いをして、仮相界に身を置いている。
この現象界に身を置く為、生老病死という四苦に囚われ、持て遊ばれている。エネルギーを抜かれている。その結果昇天できずに低波動の人間の波動から抜けだせないでいる。
これに気づくまで輪廻が繰り返される。現象に生きるとは消極なるベクトルの中で生きることになる。エネルギーが無くなる生き方をするということなのである。
宇宙は永遠なる生命界であり、生命界が現象として顕している現象に惑わされて生きてしまったために現象として顕れている。波動が低い為に現象化している。
宇宙は1つなる永遠なる神、仏である無形無双の我が現象として顕している世界である。
現象は生命の化身なるものを現象を見て実在していると信じて実在しない生老病死の現象界に身を置いている。本来の我は現象ではなく、無形無双の実在の我、空である。


 

現象は仮相 光の陰


現象は仮相 光の陰

宇宙の本源本質が実相であり。すべての原点である。全知全能の力、知恵、創造の原理、これが宇宙の根源である。これが実相である。
現象は様々な形態があるが、それはこの1つなる実相によって創造されたものが現象として顕れているに過ぎない。
人間も然りである。1つなる生命の現象である。姿、形には何の力もない。姿、形を顕している生命が全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。現象を通して御業を成しているのは形態を創造している神であり、仏なのである。
見えるものに囚われてしまいそうになるが、現象の姿、形には一切、力はないのである。
表現するだけなのである。楽しいと思えば楽しい表現をする。悲しいと思えば悲しい表現をする。人を殺せと思えば逆らわず、忠実に表現する。それが肉体である。意識に忠実なだけなのである。意識の通りに動くだけのものである。
肉体は意識に忠実に動くロボットであり、ロボットを幾ら鍛えても成果はない。意識を鍛えることの方が大切なのである。肉体鍛錬ではなく、意識鍛錬なのです。
陰は意識によって動かされる。人間は陰であり、人間は意識によって動かされているのである。意識は1つであり、神意識があるのみである。自我意識は存在しないのである。


 

我の原点は生命なり 光なり


我の原点は生命なり 光なり

宇宙の原点は1つなる生命である。すべての万象万物は1つなる生命の現象であり、見えない原因なる生命が見える万象万物を結果として顕している。
すべての本源本質、原点が1つなる生命体である。
見えるものは見えない久遠の生命の顕われであり、生命が宿らなければ、現象化できない。
今、現象界に仮相として変化して止まない世界に今の我は存在している。これは自分の自由意志で自分が意識したために現象化している。意識しなければ現象化しないのである。
現象は久遠世界にある顕れである。
宇宙は完全完璧なる1つなる生命体であり、永遠なるとこしえの世界、生命の世界。
宇宙には1つなる生命以外、何も存在しない。こ゚の生命が我が中に宿り、我の内なる生命が宿り、外観を顕している。
見えない我は我が中に宿っている。現象は内在している生命が必ず宿り、顕している。
この内在している本当の我に気づき、生命、光に戻る為の現象界である。仮の宿、俗世と云われている実在しない現象界である。


2024年2月16日金曜日

自我の心


自我の心

宇宙には1つの生命体があるのみである。1つなる生命の中に自我は存在しない。自我は自ら造る迷妄である。
自我とは1つなる生命が様々な現象を通して具現している。この具現している現象を見て実在していると錯覚し、あると信じる心が自我という心を創り出す。宇宙には1つなる心、良心のみが存在しているだけである。
現象を見てそれをあると思う心が造り出してしまう。サタンである。サタンは自分が創り出す悪魔なのである。
サタンは自分が創り出していることに気づかない。
この自我が争いを引き起こすキッカケになってしまう。見えるものは見えない1つなる生命の顕われであり、現象を見て様々な心があると錯覚してしまう。これが自我である。
現象は1つなる生命の顕われてあり、1つだと気づけば争いは生じない。
この自我の克服が人類の最大の克服しなければならない最重要課題である。
現象は1つなる生命、無限大の生命エネルギーを受け流す媒体として人間という媒体が創造されているのである。現象界で人間が生きるためではないのである。
現象が顕れているということは波動が荒く、原点、(原天)には戻れなかったという証なのである。落第生ということである。我も落第生なのである。
本来の我は生命ねルギーそのものであり、空そのものである。