2024年2月22日木曜日

我は生命である


我は生命である

宇宙には1つなる生命以外存在しない。宇宙に実在しているものは1つなる生命のみである。
様々な見えるものがあるがそれは1つなる生命が現象化させているものである。
聖書にも「すべてのすべてありてあるのものすべては神である。生命である」と。
この言葉を素直に認めれば良いのです。真理は1つである。2つあることは間違いですが。
現象界で神を外に求めたり、現象の中で神を信じることは間違いになる。
それは1つなる神とは自分の中にある生命なのであるから。神とは生命のことであり、1つの神と云うのは1つの生命が様々な形態を造り、その中で生命活動をしているものが神なのである。仏なのである。1つなる生命がなければ人間という現象は顕れない。すべての万象万物も顕れることはないのである。法則が神なのである。仏なのである。生命なのである。
現象界は陰の世界であり、この仮相界で争いをすることは滑稽なのである。この世はバーチャルの世界なのです。

 

地上界の食べ物


地上界の食べ物

エネルギーには3つのエネルギーが存在している。

固体エネルギー、液体エネルギー、気体エネルギーである。現象は固体エネルギーである。
固体エネルギーは石炭であるが、非常に不純物が多く含まれ、エネルギーに変換するには周りに害を与えてしまう。固体エルギーよりは液体エネルギーは害は少ないが不純物がある。気体エネルギーは不純物は出さない。
固体エネルギーからエネルギーを取り出す時、不純物が多い。食べ物からエネルギーを取り出す時、非常に効率が悪い。ごみ箱から餌を取りだすようなものである。
気体エネルギーが固体エネルギーを現象化しているのなら。直接気体エネルギーを取った方が害は少ない。固体から気体へエネルギーを取るように変えなければならない。しかも気体エネルギーは無料である。
我は気体エネルギーそのものであり、自分で造った敢えて低波動の不純物の多いものからエネルギーを取ることはしなくても。

 

2024年2月21日水曜日

この世は気づきの為の現象界


この世は気づきの為の現象界

宇宙は1つなる生命体。万象万物は1つなる生命の現象。すべては1つの実在があるのみである。
人類は実在しないのに実在していると錯覚している。まだ幼児期な存在なのである。
何故、幼児期なのか?というと1つなる生命体の中に居りながら、人間も実在していると思っていることである。宇宙は永遠なる生命の中に居ながら有限なる生き方をしている。これが理解できないのである。
すべては生命の現象であり、こ゚の生命が存在しなければ万象万物は存在しない。
宇宙は完全なる生命体である。完全なる生命体の中において不完全なるものは存在しない。
人間は存在しないが、人間は永遠なる中に居ながら、実在しない生老病死の現象に囚われ、この四苦に持て遊ばれている。宇宙はすべてバランスであり。アンバランスが現象を不完全にしていることにまだ気づいていない。
人類は生命の結果であり、実在しないことに気づかない。
外を見ると他人に見えるが内を看ると自分であることに気づかない。
自分で自分を殺している。殺していると云っても現象なので、本源本質は死ことはないが。
現象の克服が仮相人間の気づきが最大の課題である。




 

陰と現象


陰と現象

宇宙は1つなる光体である。万象万物は光の陰として現象化lしている。
見えるものは固体エネルギーとして顕れている。液体エネルギーは形はf持たない。
気体エネルギーは見えない空エネルギーである。
この世の現象界は三位一体である。気体エネルギーが液体エネルギー。固体エネルギーを現象化させている。
人間は固体エネルギーである。非常に低いエネルギーなのである。
気体エネルギーが固体エネルギー、液体エネルギーを顕している。
人間は固体エネルギーであり、液体エネルギーであり、気体エネルギーである。
意識が姿、形に行けば固体エネルギーになり。内なる生命に意識が行けば気体エネルギーになる。内なる気体エネルギーが外なる現象として固体エネルギーの見える姿、形を顕している。
すべて三位一体の1つなる生命体なのである。
人間という顕現道具は内なる気体エネルギーを顕現する為に造られた顕道具なのである。
この道具に生きてしまうと、波動が低くなり、本来の気体エネルギーに戻ることが出来なくなる。
今、現象化しているということは波動を下げてしまったという証である。
この波動を上げるには三位一体の空波動に意識を合わせなければならない。
イエスが云われているように
この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し。という言葉で説明されている。
本宿は空なのである。



2024年2月19日月曜日

現象は心の顕れ


現象は心の顕れ

宇宙は1つなる生命体である。宇宙は中性エネルギー体である。原因なき、原因。生命エネルギーである。
これが宇宙の根源である。宇宙の根源神である。
神とは火と水である。
火と水の完全調和体が宇宙生命体である。これが全知全能の力であり。知恵であり、創造の原理である。
この1つなる生命が万象万物を通して全知全能の力、知恵を顕現している。
現象を顕している中には必ず現象を顕す本源本質の分霊が内在し現象を顕している。
地上界に放浪して居ても本宿に戻る神の種が蒔かれている。こ゚の種は1人、1人のすべての人類に蒔かれている。この中心なる光の種が外なる現象を顕している。これが本当の我であり、この内なる我に現象界で気づき、本宿に元って行く作業を今生で成さねばならない。
有限なる我から永遠なる生命に戻って行く。これが現象界で成さねばならない使命なのである。

 

人間は全知全能の神の力、知恵を顕す顕現道具


人間は全知全能の神の力、知恵を顕す顕現道具

宇宙には1つの生命体が実在しているだけである。
この1つなる生命が神我顕現で現象化しているだけである。すべては1つの生命体である。
現象を見る為に現象があると思い違いをしているだけである。現象は顕れであり、それを顕している原因があるということである。
イエスはこの顕している原因を生命のパンとかイースト菌と云われている。
お釈迦様は憶念しなさいと。自灯明、法灯明を汝の主としなさいと。
イエスもお釈迦様も同じことを云われている。宇宙法則。生命のことを云われている。
生命がなければ人間の現象を顕すことができない。万象万物も現象化されることはない。
宗教家は人間はどのように生まれて来たのかを知らずに仏に教えを説く。原点を知らず、教えを説く。原点を知れば生き方が自然と解る。宇宙の法則を理解することで自ずと答えがでてきる。聖書も仏典も言葉の背後にあるものを顕そうとして書かれているのである。
生命。法則を理解するためのものなのである。真理は1つである。聖書も仏書も真理に従って修正しながら読み解く必要がある。


 

現象の我は本来の我ではない


現象の我は本来の我ではない

実相と仮相。現象は仮相である。消え行く存在であり、偽物である。本物ではないということである。
今まで見える現象を自分と見て生きて来た。
原因結果の法則である。結果は現象であり、これを自分と信じて生きて来た。それが間違いだと気づかされた。死ぬのは当り前と思ってきたが、永遠なる世界の中に居て有限なるものはない。有限だと思っていたのは自我という迷妄であることが理解できた。
宇宙生命は1つの永遠なる生命体であり、その中で生命活動をしているということなのであった。1つの中に爭いはない。1つの生命なのだから。
現象は波動が低い為に現象として顕れるが、波動が高ければ現象として顕れることはない。
自分が波動を下げてしまった為に生老病死に巻き込まれていたのである。生老病死は仮相界の現象の出来事であり、波動が上ればこのような現象に囚われることはなくなる。
今まで現象界に生きて来てしまったが、本来の成すべきことを果し、昇天して行かなければならない。現象の仮相に惑わされず、本来成すべきことを成さなければならない。