2024年3月20日水曜日

能動原理と受動原理


能動原理と受動原理

能動と受動は2つで1つである。天地一体であり。天は能動であり、地は受動である。天と地は2つで1つである。天が地を顕し、天を顕す媒体として地がある。
現象界は2つで1つなのである。心身一体。霊肉一体。見えるものだけを使うとバランスを失い、崩壊してしまう、原因、結果の法則であり、原因が結果を顕しているのである。原因がなければ結果を顕すことはできない。現象は原因の結果なのである。原因結果は完全バランスであり。このバランスが崩れると現象は崩壊する。人間の現象もバランスで保たれている。
人間は現象だけを見ている為、このバランスが崩れることが病気であることに気づかない。
現象界でこの原理を理解し、肉体が我ではなく、肉体を顕している天が我であることに気づき、現象は天の無限大の生命エネルギーを顕現する為の媒体であることを知る。
天地一体、霊肉一体、心身一体、自他一体とは天と地は1つになり、顕現させるという意味を持っている。現象と現象を顕している霊は1つなのである。実在しているのは神のみが実在している。宇宙は神のみが独存する世界なのである。



想念によって現象化される


想念によって現象化される

現象は想念によって顕れる。
想念は実現の母である。
今の自分の想念が今の我を顕している。すべて今の重いが現象として顕れている。すべて自分の想いの結果である。
良いことを想えば良いことが顕れ、悪いことを想えば悪いことが顕れる。これを現象界で学び想念意識のコントロールを学ぶ。
悪いことを想えば自らが不調和になり、バランスを失う。宇宙はすべて完全バランスであり、現象は変化して止まない世界である。現象は完全バランスの結果であり、生命エネルギーの顕現道具であり、生命エネルギーによって造られた神の宮である。
神の宮である現象肉体をあると信じて、仮相に生きている人類、あると意識したものが顕れてしまう。良くも悪くも。
現象は仮相である。実在しないものを信じることにより、それが顕れる。
それを顕しているものは神であるが、神は神を顕すために現象を顕しているのであるが、この現象を自分と思って神の反逆行為をしているのが人間である。人間は仮相であり、実在しないのである。実在しているのは神のみ、生命のみなのである。



 

2024年3月19日火曜日

人類は神ベの反逆行為に気づかない


人類は神ベの反逆行為に気づかない

宇宙は1つなる完全完璧なる永遠なる生命体である。この完全なる生命体の中に見えるものは生命の現象として顕現している。
1つなる生命が生命の化身として顕れている。
この無形無双の神の法則によって現象化されている。顕しているのは神というか、法則が現象化させているのである。この現象化されている 姿、形の人間の形態道具を自分と思い錯覚してしまった。
これは神への反逆行為であるということである。現象は生命によって、法則によって具現されているだけなのである。すべては法則によって現象化されている。人間の存在は現象であり、人間は実在していないのである。神の生命エネルギーを顕現させる媒体が人間なのである。
宇宙は神の法則、生命の法則のみが実在しているだけである。
人間は細胞の形に名前を付けているだけで人間は存在していないのである。人間は形の名前であって細胞の集合体なのである。人間は生きてはいないのである。生命エネルギーを顕現させる媒体が人間の形をしている肉体細胞が生きているのである。生きているのは細胞であり、人間ではないのである。
何ぜ、この迷妄に陥ってしまうのか?それは人間には自由意志が与えられている為である。
人間は外観であり。内は細胞の集合体である。人間が生きているのではなく、細胞が生きているのである。万象万物も細胞であり、細胞体に名前を付けているのである。宇宙は1つなる細胞体なのである。1つの細胞体の中には時空間はないのです。
現象の細胞体はバランスで細胞を管理している。ガンもウイルスではなく、つくり主とつくられた細胞のアンバランスで起きるげんしょうである。
この完全バランスによって形態が維持されている。このバランスをアンバランスにしてしまうのは現象を見て現象をあると信じる心がアンバランスを起こす。
現象は消えて行くが、亡くなることではなく。普遍原質に戻るだけなのである。不生不滅である。
初めから完全なのです。完全を不完全にしているのは現象の姿、形をあると信じる人間の心が不調和を起こしている。完全なるものを不完全にしているのは現象をあると思う人間の心なのである。存在をしていないものをあると思う心が自分を自縛しているだけなのである。
宇宙には人間は存在していないのに、存在していると思う心が自縛させている。
神が現象を起こしているのに、すべては神なのに見えるものだけを見て自分と錯覚しているだけである。現象を自分と思っている人間は罪人である。
神の顕現道具を勝手に使い、神への反逆行為をしておきながら、神に助けて下さいと物乞いする。人間は細胞の外なる形である。生きているのは人間の外なる形ではなく、人間の内なる細胞なのである、人間は外なる形を人間と呼んでいるだけなのである。内なる細胞が本体なのである。人間は細胞の形の名前なのである。


 

生命とは完全完璧なる宇宙法則


生命とは完全完璧なる宇宙法則

宇宙は1つなる完全完璧なる永遠なる生命体である。宇宙の本源本質である。この1つなる生命が様々な形態を造り、形態に宿り、生命が生きている。見えるものが生きているのではなく、見えるものが見えないものが実在し、衣装を纏い、1つなる生命が、見えるものを通して生命活動をしている。
人間には自由意志が与えられているため、想念によって自由に具現することができる。
人間は神の被造物として現象化しているが、この現象を自分と錯覚して、現象に生きてしまった。現象に生きてしまったと云っても神の顕現道具には変わらないので、現象で神の生命エネルギーを勝手に使ってしまい、永遠なる生命の我が、有限なる生き方に自らを自縛している。
完全なる永遠なる生命しか宇宙には実在していない。この現象化している神の現象を我と錯覚して変化して止まない現象に生きてしまった。
完全を不完全にしてしまったのは変化して止まない仮相現象を自分と信じ、生老病死の四苦に持て遊ばれている。
完全なるものの化身の現象だけを見て、変化して止まない現象を受け入れて不完全と思う心が自分を自縛させている。完全でなければ現象は顕れないのである。
不完全から完全にはなることはない。結果から原因には戻すことはできない。
仮相の現象の中には必ず原因が存在している。これに如何に気づき、完全なる我を知ることで、使命を果すことができる。天地一体。天なる原因が地を顕している。天と地は1つなのである。現象だけを見てしまうため、顕している本源本質を切ってしまっている。
裏が表を顕している。裏とは神、生命である。
生命を顕現させる為に現象化してるのである。人間は神の顕現道具なのである。







 

2024年3月17日日曜日

現象人間から法則を学ぶ


現象人間から法則を学ぶ

現象人間は直立二足方向で生きてている。
身体の使い方で「小手先」と云う言葉がある。
これは上半身リードで身体を動かしてしまいことである。身体を動かす時、上虚下実で動かすことで、上半身を虚の状態で動かすことができる。
何故、上半身を虚にしなければならないのか?
身体の作りは下半身には70%の筋肉、上半身は30%の筋肉である。
上半身は胸は肋骨で守られ、頭も頭蓋骨で守られている。これだけ見ても上半身には力を入れれてならないことが理解できる。
昔から能力を出す時。脳幹部の思考の停止をされる。五感のシャットアウトである。
上虚になるということは何も考えないということである。無我の境地を造る。
今まで学校教育で学んで能力を出そうとしてきたことが、間違いであるということになる。
宇宙生命は無形無双の虚の世界。無我の世界。生命の世界。
この事からも現象は結果であり。無我の世界、生命の世界。全知全能の世界がすべての現象を顕している。生命は法則であり、愛の完全なる法則である。
これが宇宙の本源本質である。本源本質は1つである。完全なる生命、永遠なる生命法則のみが実在している。


 

宗教では人を救えないのか 何ぜ


宗教では人を救えないのか 何ぜ

宗教とは宇宙の教えと書く。法則である。法則によて人間は現象化している。宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に有限なる現象である人間は仮相であり、実在していないのである。
でなければ宇宙は無限生命にはならないのである。
1つなる生命とは完全なる生命体であり、完全なるが故に現象として顕れているのである。この世を俗世、仮の宿、浮世と云われるのはこのためである。
現象は1つなる生命を顕現する為の現象であり、生きる為に人間が創られているのではないのである。この真逆の考えが人間を迷妄の迷路に陥ってしまうキッカケになっている。
実在しない仮相の現象に身を置く為、様々なものに悩まされ、エネルギーが奪われて行く。
変化して止まない現象の人間から不安、悩みを取り除こうとしても消え行く不安を消すことはできない。それを取り除こうしているのが宗教だろう。
生命法則によって現象化している現象人間、万象万物すべて1つの生命の顕われである。
宇宙は神1元、生命界、生命界が現象を顕している。消え行く現象から悩みを取り、豊かな云生き方をしようとしても無理なのです。宗教は現象を生きようとするが、法則は完全であり、完全を不完全にしているのは現象をあると信じる心、実在しない自我の心である。人間意識である。これが邪魔をしている。
真理は1つである。すべて完全なものを不完全にしているのは現象をあると信じる人間の自我である。宗教があるとすればこの現象の克服でないのか?これは宗教でなくてもできる。


 

2024年3月16日土曜日

肉体は生命の顕現道具


肉体は生命の顕現道具

宇宙には1つなる生命のみが実在している。
原因なき、原因である。
無限大の生命エネルギーのみが実在している。
この1つなる実在している無限大の生命エネルギーが現象媒体を通して顕れている。
この現象を実在と思ってしまっている人類。この迷妄からの脱却が人類の進化のネックになる。
宇宙は1つなる生命体。実相界。これ以外に何もない。実相界が現象と云う仮相界を顕している。すべては1つなのである。肉体は生命である原因を顕す媒体が肉体なのである。
この肉体に生きると変化して止まない生老病死に囚われ、悩まされてしまう。
見えるものは見えない生命の化身、見えるものの中に必ず顕す原因が宿っている。
この原因である造り主が現象を顕している。人間というのは外から見た形を人間と呼んでいるのである。人間を顕しているのは生命である。神である。神は人なり、人は神なりである。
人間は神の子であると云っても神そのものであるというものはいない。原因結果は同じであるが祖神様と神の子を分けてしまっている。宇宙は1つなる生命なのである。祖神様と神の子は1つなのである。これを別々に分けているのが宗教である。1つのもの2つに分けてしまって争いを引き起こしているのが現代の宗教である。宗教家はそのようには思ってはいないと思いますが、分離感が争いを起こしているのである。これに気づく宗教家はいない。