2024年3月28日木曜日

現象をあると思う心が地獄の住人である


現象をあると思う心が地獄の住人である

宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、1つと云うことは完全であるということである。
原因、結果の法則、これは1つの法則である。
原因は神であるなら、結果も神である。
これを神と現象である人間を分けてしまった為に永遠なる生命を分離させ、有限なる現象に分けてしまった。これがエデンの園から追放されたということになる。
1つの生命は永遠である。こ゚の生命を見えるものだけを見て見えない生命を切り、有限なる現象に生きることになってしまった。
現象と生命は2つで1つなのである。生命と現象は切り離せないのである。
木から花を切り取り、花瓶に挿すようなものである。有限になってしまう。
人間も同じである。生命から現象を切り離したら永遠なる生命から切り離すことになる。
現象に生きるとは生命から離れて生きるということになる。
完全なる中に居て有限なる地獄界に生きる。これは自ら現象を認めることで自分で地獄界の迷妄に入ってしまうのである。人間は存在しない、存在すると思うから生老病死の四苦に囚われてしまう。イエスが云われる肉に生きるは死であると。生命のパンを食せよと。


 

 霊太陽が万象万物を現象化させている


霊太陽が万象万物を現象化させている

宇宙生命は1つであり、1つなる生命が多神を顕しているのである。1つなる生命が多神を顕しているが、1つなる生命と多神は1つである。
神の被造物は被造物と神は1つであり、分離はしていない。分離していると思う為に、2元論になってしまう。原因、結果は1つである。
宇宙は神1元である。神以外存在しないのである。人間には自由意志を与えられている為、見えるものだけを見て、それを実在と見てしまう。これが人類の大きな間違いなのである。
現象の中には必ず、実在の生命が宿っている。内なる生命が外なる現象を顕している。
お釈迦様が云われる自灯明、法灯明である。
人間と云う現象は何故現象化しているのか?
永遠なる生命が肉体の顕現媒体を通して生命エネルギーを顕現する為に媒体として存在しているのである。
仮相人間が生きる為ではない。消え行く仮相に生きても意味はないのである。
仮相界は生老病死の変化して止まない世界である。永遠なる我が変化して止まない消え行く世界に生きることは絶体にないのである。現象界は仕事場なのである。
現象界でも仕事はその場を良くする為に働いているではないですか。
人間も生命エネルギーを顕現し、地上界の波動を上げる為に存在しているのである。
地上界で人間が生きる為ではないのである。
人間という仮相に宿る神の種に気づき、生命を顕現させる。顕現させることで地上界の波動を上げる。これが現象界で成さねばならない使命なのである。


 

2024年3月27日水曜日

人間は真理を知らない罪人


人間は真理を知らない罪人

宇宙は1つなる真理である。1つなる実在である。
1つなる真理が多神を顕している。
真理とは永遠なるものである。宇宙には1つなる真理が実在している。万象万物は1つなる真理の現象である。
真理は現象の中に宿っている。真理がなければ現象は顕れない。現象があるということはその中に真理が内在し、真理が現象を顕しているということになる。
現象の中に蒔かれている神の種を開花させなければならない。今、人間だと思っている我を内なる神に気づき、肉体ではない、内なる肉体を顕している真理が我であることに気づき、心の華、精華を開かさせる。お釈迦様が云われるように肉体は真理の乗り船なのである。
人間は真理の乗り船を自分として生きているため、自分が盗人であることにも気づかない。
宇宙は1つなる無形無双の生命である。1つなる生命のみが実在している。これが真理である。それでも仮相なる見える人間に生きようとする。現象は真理の乗り船なのである。
これに気づくまで、再生されられる。宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、永遠なる生命体の中に居ながら、有限なる生き方が当たり前だと感じている人間。現象に囚われてしまっている人間。現象に生きるから有限になる。生命に生きれば永遠。有限に生きることは神への反逆行為である。










 

すべての現象は1つなる生命現象


すべての現象は1つなる生命現象

宇宙は1つなる本源本質の生命体である。宇宙には1つなる生命のみが実在する。万象万物は1つなる生命の化身である。これが真実である。
宇宙には無形無双の1つなる真実のみが実在する。
現象は1つなる生命が形態に宿り、自らを形態を通して顕している。見えるものとそれを顕している見えない生命は1つである。
波動が低い為、見えるものしか判断できない。それは現象があると信じている為、顕している真実が見えないのである。邪念がある為、真実が見えないのである。
意識は三位一体であり、気体が固体を顕している。見えないものが見えるものを顕している。
すべて同じものである。1つの真理が宇宙にはあるのみである。
宗教家は見えるものから法を説いているが、現象からは真理は理解できない。
仮相から実相は紐解けないのである。実相は神であり、仮相は人間である。
人間は神実の顕現道具なのである。神は内にあり、それを顕現するために人間と云う形態が存在している。人間は神を顕す顕現媒体道具なのである。人間は神によって造られた神の顕現媒体なのである。現象は見えない生命の顕われであり、見えるものはすべて神の顕れ、神の権限媒体である。現象はすべて神の顕れである。すべては1つなる神の現象である。
現象は神を顕現させる媒体。媒体がなければ神を顕すことができない。人間と云う顕現道具を通して地上界の波動を上げる為に現象化しているのである。波動が上れば争いをなくなる。
波動が低い為に争いが起きているのである。1つであれば争いはおきることがない。



2024年3月26日火曜日

現象は神、仏が顕している


現象は神、仏が顕している

宇宙は1つなる根源、無形無双の生命エネルギーが実在しているのみ。
この無形無双の生命を神、仏、と呼んでいる。
無形無双の1つなる宇宙生命、神、仏が八百万の神を顕している。
神が外に居て現象を顕しているのではなく、神、仏が現象の中で八百万の神を顕しているのである。
原因、結果の法則。原因、結果は1つである。
原因なる神、仏が様々な形態を造り、その中に宿り、現象を顕している。
外なる神が現象を顕しているのではなく、内なる神が現象を顕している。
現象の中には必ず神、仏が宿っている。これから神、仏になるのではなく、初めから神、仏が宿り、現象化させているのである。天国は汝の内にあり。神は汝の内にありと云うことになる。
神、仏を外に求めていては神を見つけることはできない。また神は内にあると云いながら、神と自分を分離してしまうものまで出てくる。神と現象は1つである。神は人なり、人は神なりである。
これから神になろうとしてもなれない。我は初めから神であり、神が神に成ろうとしてもなれない。得ようとするものは奪われる。




神は自ら造る媒体を通して顕われる


神は自ら造る媒体を通して顕われる

宇宙は神1元であり、神以外実在しない。
無形無双の神が八百万の神を分霊を通して顕している。
人間は万物の霊長であるということは知っていてもすべてが霊であることまでは考えない。
宇宙は霊体であり、霊が様々な形態を造り、霊がその中に宿り、現象化されている。霊が形を止っているのであって形は現象として見えているだけなのである。
自分の中に神が宿っていると思っていても神と人間は別で一体になるという考え方になってしまう。
素直に神のみが実在していると思うことができれば、すべては神であることが理解できる。
原因結果は同じもの1つであることが中々認められない。人間は神とは別物であると信じて、現象から神を見てしまって人間は神の現象であることを認めない。
聖書にあるように
すべてのすべてありてあるものは神であると云っても中々理解できない。
人間が動いているのではなく、神が形態に宿り、神が働いているのである。
卵は人間が食べる為のものではなく、卵の中のヒナが孵化するためのものであり、人間も内なる生命、神が光を顕現する為にある神の顕現媒体が人間なのである。







2024年3月25日月曜日

観自在 無碍自在の我


観自在 無碍自在の我

宇宙は1つなる無刑無双の霊体である。観自在、無碍自在の世界、自由自在の世界である。
この霊界のみが実在している。これが宇宙の根源である。
この根源エネルギーが宇宙の全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。
宇宙は1つであり。すべてが霊であり、神であり、仏であるということである。
神、仏は1つなる生命が現象化させる力であり、知恵である。宇宙の根源生命エネルギーである。
この根源生命エネルギーによってすべての万象万物に生命が宿り、具現化されている。見えるものすべてが神の具現である。「すべてのすべてありてあるものは神であり、仏である」
生命エネルギーによって現象化している万象万物は生命の完全バランス、愛の法則によって現象化されている。
原因は完全、結果も完全であるが、これを不完全にさせているのは造られた現象をあると信じる心が完全なる現象を不完全にしている。
観自在、無碍自在の我が現象の我を自分だと錯覚するとバランスを崩す。現象をあると思う心が分離感を生み、アンバランスを起こし、肉に死ぬことになる。肉に死ぬとまた人間に再生される。