2024年5月30日木曜日

内は神、外は神の顕現道具


内は神、外は神の顕現道具

宇宙は1つなる生命体が実在している。1つなる生命は細胞体であり、宇宙は1つの細胞体。この細胞体の中で様々な形態が造られ、現象化している。
生きているのは生命が様々な形態を顕し、生命、神がエネルギー活動をされている。
人間も神の使命を果すお役目を持ち、顕現されている。宇宙には1つなる無限生命のみが実在している。宇宙そのものが無限生命であり、愛の法則、宇宙の法則の中で生命が現象を通して生きている。人間が生きているのではない。神が人間の顕現媒体を通して生きているのである。
人間の顕現媒体の内に神が宿り、現象を通して神が顕れている。             原因は神であり、神が結果である表現媒体道具を造り、自らを顕している。        宇宙には神以外存在しない。現象はすべて神を顕現する為の道具である。

お釈迦様が云われるように「外を見るな、内を看よと」。内は神、外は人間。       内は心の目で看なければならない。すべては内なる見えない生命が原因であり、現象を顕している。神は宇宙の本源本質であり、これは心の目で看る以外できない。




 

2024年5月20日月曜日

現象は1つなる生命の中にある現象


現象は1つなる生命の中にある現象

宇宙は1つなる生命が多神を顕している。実在しているのは生命であって見える現象ではない。
原因、結果の法則。見えるものはすべて原因なる結果である。結果は実在していない。
原因の世界は見えない生命界であり、こ゚の生命界が結果なる現象を顕している。
人間は万物の霊長であり、原因なる生命によって造られ、神に似せて造られている。
神の化身として現象化している。神は人なり、人は神なりである。
生命を顕すために人間という姿、形の現象を顕している。この姿、形に囚われて本来の生き方を見失っている人類。宇宙は永遠なる生命のみの世界であり、現象の世界は存在しない。
原因は見えない。結果は現象として見える。現象は原因の働く場であり、顕現する為の媒体として顕れているだけである。内なる原因なる生命エネルギーを顕現する為の現象であり、この見える現象に生きてしまっている。本来の我は内なる原因であり、原因は1つなる生命、神である。
結果があるのではなく、原因があるのである。宇宙に実在しているのは原因のみである。
人類の1人、1人の中に神の種が蒔かれている。こ゚の種に気づき、本来の我に戻り、使命を果して行く。これが本来の我である。現象は顕現道具であり、道具に生きると修行無常の生老病死の四苦に持て遊ばれ、輪廻で繰り返される。イエスが云われるように「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」である。現象界に生きてはならないと云われている。生命のパンを食せよと。



 

2024年5月19日日曜日

本来の我は観自在、無碍自在の我


本来の我は観自在、無碍自在の我

宇宙に実在しているのは観自在、無碍自在なる無形無双の無限生命体である。
これが宇宙の根源である。こ゚の生命エネルギーが万象万物を顕している。見えるものはすべて神の化身である。宇宙には1つなる無限生命が見える万象万物を顕している。この顕れているものに惑わされているだけなのである。実在するのは見えない生命体、宇宙そのものが生命体であり、宇宙生命体が、現象化している。実在するのは無形無双の宇宙生命が多神を顕している。
多神を見て人類はあると思い込み、消え行く現象に惑わされ、仮相に生きている。
本来の我は無形無双の宇宙生命であり、永遠なる生命エネルギーそのものである。
宇宙はプロフェクトバランス、完全なる調和、完全なるバランスが宇宙生命体である。
すべては完全の中に存在している。この永遠なる完全バランスを崩し、仮相に囚われ、生きているのが人間である。
人間が宇宙の中に存在していると錯覚し、宇宙の化身として現象していることに気づかず、自分で生きようとする為に自らバランスを崩し、有限な生き方をしている。
人間は神の現象であって仮相なのである。この世を仮の宿、俗世、浮世と呼ぶ。
現象界は実在界ではない。実在界に戻る修行の場である。仮相から実相に戻る為の仮の宿である。
 

2024年5月16日木曜日

形の制約は自縛


形の制約は自縛

宇宙は無形無双の見えない生命体である。観自在、無碍自在の1つなる宇宙生命体である。こ゚の生命体が宇宙そのものであり、この中で様々な形態が造られ、観自在、無碍自在の宇宙生命が活動している。
活動しているのは姿、形ではなく、生命が姿、形を通して働いている。
人間は神に似せて造られ、自由意志が与えられている。人間の使命は宇宙エネルギーを顕現させる為に蒔かれた神の種である。光の放射媒体としての使命が与えられている。
宇宙の1つなる無形無双の無限生命が実在しているだけである。この実在している生命は無形無双の観自在、無碍自在の自由意志をもった全知全能の力、知恵である。
この無形無双の全知全能の力、知恵は人間の媒体を通して顕すために神の宮として現象化させている。この神の宮を自分と見間違うと神の全知全能の力、知恵が顕現させることができない。
宇宙は1つなる本体であり、現象である人間がいると思ってしまうと本来の使命を果せなくなる。人間という小さな永遠なる生命が有限なる枠の中でしか生きることが出来なくなる。
宇宙は1つであり、1つの全知全能の力を顕現させる為に様々な形態が顕れている。
人間がこの世で生きる為に造られてはいない。現象界ですべきことは無限大の宇宙生命エネルギーを地上界に降ろす。これが使命である。生命に生きるは永遠、人間に生きるは死である。
永遠なる神の中に居て有限なる生き方は神は求めていない。神としての使命を果すことで本来の生命体の戻る。
意識したものが顕れる。意識が現象意識であれば永遠なる中で、有限なる生き方になる。
自分の自由意志がすべてを決めている。
 

2024年5月15日水曜日

神が肉体を使うのであって、人間が肉体を使うのではない


神が肉体を使うのであって、人間が肉体を使うのではない

宇宙は神一元の世界。見えるものは神によって顕された神の被造物。
原因が神なら結果も神である。神一元の世界。
神は無限生命であり、普遍生命である。無刑無双の生命である。神は自らの住処は自ら造り、働いている、すべて神のみが生きて神のみが働いている。人間は神によって現象化された被造物であり、実在はしていない。神が宿り、働く場として神によって造られた神の顕現道具である。
人間は神の現象であり、神の神の働く場である。
この現象界で人間が生きる為に造られてはいない。現象として造られている人間は神の顕現媒体として造られている。人間は形の名前である。顕現道具に生きることは使い方が真逆なのである。
現象は実在しない。無限生命の中に有限なるものは存在する事はない。
見えるものはすべてに神が宿り、神が現象させている。宇宙は1つなる神の細胞体である。1つの細胞体。コスモ細胞体である、
肉体細胞は神の顕現道具であり、表現媒体である。全知全能の神が経済活動をすることはない。




 

2024年5月14日火曜日

神の表現媒体


神の表現媒体

宇宙は1つなる愛の生命体。これが宇宙の本源本質である。すべての源である。この原点により様々な形態が造られ生命が活動をしている。
万象万物は宇宙生命の表現媒体として現象化している。
人類の迷い道は現象の姿、形をある信じ、この迷妄から抜け出せないでいる。この迷妄から分離感をが生まれ、自己保存の為に争いを起きる。
これに心ある人類が利用されている。
人間は実在しない。実在しているのは無形無双の生命が実在し、仮相現象を顕している。
現象をあると思う心が自分で自分を縛り、翻弄さられる。                宇宙には現象は実在しない。現象は1つなる生命の顕現道具として存在している。現象に生きるから自縛する。生命に生きればこの自縛から解放される。この事を示されたのが釈迦であり、イエスである。
宇宙は完全なるバランス、完全なる調和であり、人間が仮相に生きるためにアンバランスを自ら造り、 迷妄に悩まされる。宇宙は原因なき原因、創造の原理、愛の法則、永遠なのである。バランスを崩しているのは誰でもない、自分自身なのである。永遠の中に居て有限は存在しないのである。




 

2024年5月10日金曜日

我は宇宙生命なり


我は宇宙生命なり

宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命が多神を顕している。宇宙そのものが生命体である。
人類は今、現象界に身を置いている。現象界は非常に波動が低いため、どうしても見えないものを感じることができない。これを打破するには現象の中にある。生命が形態を顕している。この高波動の神の種に気づき、想念によって波動を上げて行く。見えるものを顕している光波動に意識を向けることで、分子細胞を霊化させることで波動を上げて行く。
すべては1つなる生命波動から現象化している。本来の我は1つなる高波動の生命が実在している。すべては1つなのである。1つなる生命であり、1つなる生命が様々な形態を造り、その中で生命活動をしている。宇宙はこ゚の愛の法則によって永遠なる生命活動が成されている。宇宙は原因なき、原因、無形無双の無限生命。限りなく小さく、限りなく大きい。この1つなる宇宙生命が宇宙の本源本質である。
人類は現象に惑わされ、波動の低い固体波動に振り廻され続けている。