2024年6月17日月曜日

我は1つなる生命


我は1つなる生命

宇宙は1つなる生命体である。こ゚の生命体のみが実在している。万象万物はこの1つなる生命の化身である。生命は化身を通して無限大の生命エネルギーを顕現させる為に自ら化身を造っている。
生命が顕している現象をあると信じ、仮相の神の顕現道具を自分として人間は錯覚してしまった、この錯覚から目が覚めない限り、気づくまで輪廻をさせられる。
現象我の錯覚、形を見て動いてしまう、肉体を動かしているのは想念意識である。
想念が現象を顕し、動かしているのであって、現象が動いているのではない、
宇宙は意識界である。「想念は実現の母」すべて想念によって現象を顕している。
見えるものは想念の結果である。結果があるのではない。想念によって具現されている。
宇宙は1つなり意識、神の意識によって顕されている。
実在しているのは神の意識が実在している。見えるものは結果現象であり、生命の表現媒体である。顕しているのは生命である。1つなる生命だけが万象万物を顕している。宇宙には1つなる生命のみが実在している。1つなる生命が我であり、宇宙である。迷い道に入ってしまった我から脱却しなければならない。この世は仮の宿、俗世、浮世と呼ばれる意味がこの事である。仮の宿には本宿がある。自分が戻る場所である。





 

2024年6月16日日曜日

すべては自己責任


すべては自己責任

宇宙は1つなる生命体。完全完璧な永遠なる生命体。この中にいるものはすべて完全である。
この完全なる中に万象万物は現象化している。人間も然りである。
何故、永遠なる中に居りながら、有限なる人生を送る。死を意識して生きる。
宇宙は1つなる生命であり、1つなる生命が顕現媒体として神によって造られたものを自分と勘違いをしてしまい、実在しない生老病死の四苦に持て遊ばれている。
宇宙には1つなる生命のみが実在している。宇宙には姿、形は存在しない。万象万物は1つなる無形無双の生命の化身として顕れている。この見えるものに囚われ、実在の我を見失っている。
現象は実在の我を現象を通して顕すために顕現媒体として具現している。人間は使命を果たしていない。
現象をあると思う心が自縛させている。実在しない現象をあると信じ、永遠なる我から有限なる我に意識させてしまった。この有限なる我から永遠なる我に戻らなければならない。これは自己責任において行わなければならない。自分で犯した罪は自分で償う。罪とは万物の霊長たる使命を果たさず、現象界を我が物顔で生きている人類。神への反逆行為なのです。完全の中に居て有限なる生き方を当たり前に思っている姿である。
有限なる我から永遠なる我への変性は自らが自己責任で行なわなければならない。人間と思っている姿は本来の使命を果たしていない。それがイエスが云われるように肉に生きるはしであると。
宗教は現象界の行為であり、天上界に導き、助けることはできない。意識は自分の中にあり、宗教でも治すことはできないのである。


 

2024年6月15日土曜日

働いているのは人間ではなく神である


働いているのは人間ではなく神である

宇宙は1つなる生命、神一元の世界。一なる生命の世界に万象万物は存在しない。人間も然り。見えるものは仮相であり、生命によって造られた化身である。人類は人間が居ると信じて疑わないが、宇宙の無限のなかに有限なる人間が存在するのだろうか?
良く考えれば、小学生でも解ることである。人間は質料で常に変化して止まない。
今、地上界で人間が生きていると信じていることは太陽系に取って災難なのである。
何故?宇宙は1つなる無限生命、普遍生命、永遠なる生命が宇宙なのである。
太陽系の人類が人間が存在すると信じることで、分離感が生まれ、地球のバランスを壊すしていることになるからである。宇宙は1つなる生命体であり、1つであれば争いを起こすことはないのである。今、地上界で戦争、争いを起こしているのは分離感の生き方を人類がしているからである。
人類は自分が住む地上界の生きる地、水、火。風を自ら壊し、自分達も生きらなくしている。
これほど人類は幼児期であると云われても仕方がない。
人間が生きていると勘違いをしているから間違うのである。生きているのは全知全能の生命、神なのである。神とは法則であり、真理である。神様がいるのではない。
宇宙は1つなる生命磁場体であり、これが神なのである。すべては1つということは宇宙は平安であるということである。爭いは1つなる生命を分離感で見ている証拠である。
宇宙は1つなる中性生命体であり、分離感で物事を見るものは波動が低い為、本源本質に戻ることはできない。気づくまで戻ることはできない。
 

2024年6月14日金曜日

内は神、外は神の顕現媒体


内は神、外は神の顕現媒体

宇宙は神一元。神のみが独存する。万象万物は神によって現象化している。1つなる神が万象万物に宿り、現象化している。すべては1つなる生命の顕われ。宇宙は無限生命であり、1つなる生命体である。この宇宙内に1つなる生命が万象万物を通して生命活動をされている。
人間も1つなる生命によって具現化された生命エネルギーの化身である。
生命によって現象化されたものには使命がある。それは現象を通して生命エネルギーを顕現するという使命である。これが万象万物に与えられたやるべきことである。         動植物は逆念がない為、生き方を全うしているが、人間には自由意志が与えられているため、自由意志を間違って使い、自縛してしまっている。                   この自由意志は神我顕現の為に使うべきものを現象である外なるものに意識を向け使ってしまった。意識を外に向けてしまうと地上界を分離感で争いを起こし、地上界を闇の住処にさせてしまう。この分離感が地上界をアンバランスにしている。               人類、万象万物は神の化身である。すべてが神であることを忘れ、地上界を荒らし廻っている。これが現象界をあると信じている人間の分離感である。分離感が最大の敵なのである。我々人類は1つなる生命に気づく時がきたのです。戦争で戦争がなくなることはない。   この世は仮相界であり。実相界ではなく幻影の世界なので、戦争で人を殺しても形が変化するだけである。本源本質には変化はない。




2024年6月13日木曜日

我は実相の神なり


我は実相の神なり

宇宙は1つなる生命体であるが、何故、実相と仮相があるのか?
天地一体。見えない宇宙生命体が生命エネルギーを顕現させる為に生命が顕現媒体を造り、生命エネルギーを顕現させる為に神によって神の被造物が造られている。万象万物は生命エネルギーが顕現させる為に神によって造られている。人間も神の顕現道具である。宇宙には人間は存在しない。人間の現象は神の被造物、神の顕現道具があるだけである。人間という神の顕現道具である。
見える現象からは実在の我は見ることはできないが、3次元の世界でも見えない意識によって肉体は動かされている。想念意識によって現象化されている。
神意識、神は意識であり、1つなる意識があるだけであるが、意識の仕方が現象を見ることで様々な意識の仕方をしてしまう。現象の生老病死に生きると様々な意識の仕方が起こってくる。
何でも意識したものが顕れてしまう。良いことも悪いことも。
神は意識であり、1つの意識によって神を顕現する為に造られている意識を現象の形を見て現象から拾い上げ、有限なる意識に囚われ、生老病死という現象に持て遊ばれてしまう。
本来の使命は無限大の生命エネルギーを肉体を通して顕現させる。これが本来の目的である。これが今生でなさねばならない。使命である。使命を果たせなければできるまで再生させられる。これから神に成ろうとすることではない。神の無限大の生命エネルギーを顕現させる。神としての自覚を持って使命を果たす。元々神なのだから。神は助けてはくれない。自分自身が神なのであるから。汝の救いは汝自身なりである。神なる我が乞食になって外に求めてはならない。イエスが云われるように肉に生きるは死であると。




 

2024年6月12日水曜日

実相と仮相は2つで1つである


実相と仮相は2つで1つである

宇宙は1つなる永遠なる愛の生命体。完全バランス、完全調和、中性である。
人類はこの愛の法則をの片側だけを見てしまっている。宇宙は磁場であり、生命磁場が循環をしている。イオン化現象である。
電気的現象である。バッテリーのようなものである。エネルギーは高い方から低い方に流れるが、またイオンは低い方から高い方に流れる。 すべて循環である。高気圧のエネルギーも低気圧の方に流れるが低気圧から中性に戻る。低気圧の時、下水が臭うのはそのためである。
お釈迦様が「外を見るな、内を看よ」と云われるのは中性なる完全バランスを看よと云われているのである。五感の内、外ではない。実相を看よと云われている、陰陽の法則、中性なるものを看よと。これを神、仏と呼んでいる。
人類は現象だけを見て実相である霊的なものをみようとしない。また反対に現象を見ないで霊的な物だけを見ようとする人達もいる。見えないものだけを見ようとするものも自我である。
原因、結果は1つなのである。天地一体、色心不二、自他一体。霊肉一体。天なる生命が地を顕しているのである。霊とは中性であるということである。霊的質料と霊エネルギーの完全調和、生命、霊光である。神我顕現は現象を通して行う為に神によって造られた神の顕現道具なのであり、顕現道具がなければ神我顕現はできないのである。
神が現象を顕している。神は人なり、人は神なり。神一元の世界である。




 

2024年6月11日火曜日

宇宙に実在しているものは1つなる生命のみ


宇宙に実在しているものは1つなる生命のみ

宇宙は無限生命、普遍生命、1つなる生命のみが実在している。1つなるものの中に他なるものは存在しない。
現象として見えているものは1つなる生命の化身として顕れている。生命が質料媒体を通して現象化させている。生命は何かの媒体がなければ顕すことができない。見えない生命は見える媒体を通して顕れている。見えるものは現象であり、現象と生命の2つがあるということは宇宙は無限生命ではなくなる。
1つなる生命が八百万の形態に宿り、様々な形で生命を顕している。見えるものはすべて神の化身であり、宇宙そのものが神である。宇宙神を祀ることはできない。
神は生命であり、愛の法則である。永遠なる生命エネルギーである。
人類はこの法則に気づかないため、現象をあると錯覚し、宇宙の法則に違反し、神の法則を無視し、永遠なる宇宙の中で、有限なる生き方をしている、この有限なる生き方は神によって造られた地上界をアンバランスにし、自らの愛の住処を住めなくしている。
人類は文明を発達させればさせるほど、地上界のバランスを失う。これが天変地異である。これも人類の気づきであるが、太陽系にも迷惑をかけてしまう。
人類はこの仮相界から1つなる実相界に戻らなければならない。