2022年3月31日木曜日

UFOと気合応用強健術


 UFOと気合応用強健術

宇宙空間を移動する時、UFOUは燃料は積んでいない。エネルギーをチャージしながら宇宙空間を移動している。
人類の科学はまだ燃料を積んでロケットを飛ばし、宇宙に行っている状態である。
肥田式の気合応用強健術は動きながら、エネルギーをチャージしなが動く。宇宙は中性であり、中心バランスが無限大のエネルギーである。形の中には必ず中心がある。この中心に合わせることで無限大のエネルギーを無料で取り入れることができる。肥田先生の「天寵無限」である。
宇宙空間は全て無限大のエネルギーの調和体である。見えるものがあるのではなく、見えないものがあるのである。原因、結果の法則で見えるものは必ず原因がある。原因がなければ結果は顕れない。
簡易強健術は足を固定して行うが、気合応用強健術は動きながら中心バランスを取り方を鍛錬する方法です。動くことでエネルギーをチャージして行く。疲れることがない。疲れるのはエネルギー不足である。アンバランスになるからである。
琴の名手と云われる白楽天が奏でる琴の音色は琴が弾いているのか、白楽天が弾いているのかと云われるくらい琴と一体化になっている。すべては1であり、1つのエネルギーが存在するだけである。肉体と心が1つになる時、肉体からエネルギーが引き出される。見えないものと1つになるということはよくよく考えると人間は1つのエネルギーの現われであるということになる。人間が行動し何かを行うと思ってきたが、エネルギーが人間を動かしている。生かされている。
見える氷は水蒸気の現われであり、水蒸気が水になり水が氷になる。同じものがバイブレーションの違いで変化しているだけであることに気づかされる。
肥田式の中心力を学んでいて自分はいないことに気づく。肥田先生がつくられた「天真療法」強圧微動術」いずれも中心力が基本ベースである。肥田先生はこのことを理解され、作られたていると思います。人間は食べ物を食べてエネルギーを入れ、自分で動いていると勘違いをしている。食べ物を1週間食べなくても息を止めるとすぐに死んでしまう。人間は息によって生かされている。空エネルギーを取り入れるには逆圧を使わないと入ってこない。肥田先生が横隔膜の大緊張と云われているのは内圧を上げる為のものであり、エネルギーは引き込まれてくるのである。故に肥田式の息づかいは逆式なのである。


2022年3月30日水曜日

21世紀は見える世界から見えない世界になる。


21世紀は 見える世界から見えない世界に変化する。

宇宙は中性エネルギーであり、陰陽の法則の絶対バランスによって永遠なる生命体を維持している。
原因、結果の法則であり、宇宙は原因なき原因でフリーエネルギーである。宇宙は無限生命体であり、有限は存在しない。見えるものは結果であり、原因は見えない生命体である。1つなる生命が多神を創っている。中性エネルギーは中心エネルギーであり、宇宙は中心なる根源生命エネルギーでつながっている。
肥田式は正中心、聖中心の力、知恵につながっている。宇宙は知恵の宝庫であり21世紀は宇宙の無限なるエネルギーを無料で使う時代になってくる。争いのない世界である。このエネルギーを使うには意識力を高めなければならない。想念は実現の母である。想ったことが現われる世界。肥田先生はこの宇宙の知恵を中心力を使い、現象界に降ろされた。中心力は宇宙力である。21世紀は波動の世界に移行してくる。低波動の地球から高波動の平安の世界に移行してくる。1人、1人の意識によって現象化する時代に。


2022年3月29日火曜日

でんでん太鼓と肥田式強健術


 エネルギーは言葉成りき 初めに言葉ありき

肥田式の型は機械的に身体の中心に宿る生命エネルギーを引き出そうとする鍛錬である。
それには身体の使い方を理解する必要がある。
身体を使う時、でんでん太鼓のように使って行く。下半身の力によって上半身を弓のように使い、利動力で上半身を動かして行く。「伸ばせばバターの如く、縮めば鋼鉄の如く」と云われているのは宇宙の利動力を引き出す為である。
三骨軽打法という中枢神経への刺激を鍛錬の最初と最後に行っているが、これもでんでん太鼓のように身体を使うことでより効果的に中枢神経を刺激することができる。筋肉も量ではなく、質の良い筋肉が要求される。昔は身体という字を躬という字を使っていた。利動力とは宇宙の無限生命エネルギーであり、知恵である。力は外にはない。内なる力はこの宇宙生命エネルギーのことである。この力は意識力によって引き出される。この力が肉体を通して現れる。鍛錬をして肉体が力強く動いていると思ってしまうが、実際にはエネルギーが肉体を動かしている。心が肉体を動かしている。心と肉体は別々ではない。1つである。裏と表の関係である。2つで1つである。エネルギーを顕す為にエネルギーが肉体が作っている。肥田先生がダイヤモンドの宮殿と云われるのはエネルギーによって造られたエネルギーの住処なのです。宇宙は1つなる生命体である。聖書に書かれている「すべてのすべてありてあるもの」は1つなるエネルギーである。この言葉はモーゼの映画「十戒」の最後に出てくる言葉でもある。
心が素直になることでより大きなエネルギーは引き込まれる。純真なる心は学びに最も大切なものである。自分の心が学びの結果を決めてしまう。「誠」という字には肥田先生の純真さが込めれれている。


2022年3月28日月曜日

愉快、爽快、軽快


愉快、爽快、軽快

肥田式の鍛練をされている時、時間を忘れ、鍛錬をされている時、中心バランスが取れているいうことです。
何故、中心バランスが取れていると愉快になるのか?鍛錬をすることで無料の無限なるエネルギーが入ってきているということである。宇宙は善のみであるが、悪があるということはエネルギー不足ということになる。争いを起こす人はエネルギー不足ということである。人類に争いがあるのは分離感の為に外にエナルギーを使ってしまう為、自らのエネルギー不足ということです。エネルギーが充満してくれば外からエネルギーを得ることはしない。心が満たされていないうことになる。
心が満足しない為に外からエネルギーを取ろうとする為である。犬も心が小さな犬程、噛みつく。人類はまだ善悪の木の実を食べているということである。エネルギーが満たされてくると争いは無くなる。宇宙は無限なる無尽蔵のエネルギーの宝庫であることに気づかないだけである。争いが生じるのはこの世の諸行無常の仮相の世界を生きようとし、自己保存の為に争いを起こしているだけに過ぎない。人類は無限なるエネルギーの中に居ながら争いを起こしているのはすべて持っている自分に気づかないだけである。消えて行く世界の中で幾ら物質を自分のものにしても心を満足させることはできないことに気づかない。一時的な快楽にしか過ぎない。争いはバイブレーションが低い為に起きる現象であり、これを克服するには1人、1人の波動を上げることである。この世は霊肉一体になる為の現象界であり、外からエネルギーを奪い合い生きる世界ではなく、自分の裡にある無限大の井戸からエネルギーを汲み出し、現象界から脱皮して行く世界である。中心バランスを取り、波動を上げ、二度とこのバイブレーションの低い現象界に生まれてはならないのである。すべてが神の子であり、高バイブレーションなる我であることに気づく為の現象界であるということである。
キリストが云われている。
 肉に生きるは死、生命に生きるは永遠。であると。
肥田先生も中心の鉄扉を開かずして生涯を終わるものは米を抱いて餓死するが如し。と云われている。バランスを失う生き方は生きていても価値がないと云われている。

無限生命の中に居ながら有限な生き方をしている人類。21世紀はこのことに気づいてくる時代になると思います。


 

2022年3月26日土曜日

何ぜ肥田先生はこの世を「塵の世」と云われるのか?

この世は何ぜ「塵の世」なのか? 

肥田先生は「天寵無限」という言葉を使われる。無限なる生命エネルギーが肉体を通して使うことができるという解釈が一般的であるが、この世に現れているものはすべて結果であり、現象である。無限なる生命が主であって肉体はそれを表現する器でしかない。肥田先生が神の子、神の器と云われるのはこのことである。何故断言できるのかというと宇宙は無限生命体であり、無限ということは1つということである。結果は実在しないということになるからである。見えるものはすべて仮相である。大悟徹底された肥田先生がこのことを知らないはずはない。知らないということになると大悟徹底されていないということになる。この世は何をすべきなのか?宇宙は無限生命であり、永遠なる生命体である。この永遠なる生命体の中に生まれ、育っている人類は永遠なる生命体である。今、結果の現象をあると思う心が塵の世であり、中心力を使い、無限なる生命が本当の自分であることに気づく。これが焼失してしまった宇宙倫理の書で云わんとしたことのように思う。すべてが1つであれば争いは無くなる。この世はこの法則を体験し、理解し、実践する場所である。理解して本宿に帰る。その為の仮の宿であるという意味が塵の世の意味であると感じる。中心力は宇宙の生命エネルギーであり、永遠なるフリーエネルギーである。そのエネルギーは裡にある。裡にあるということは自分自身が宇宙ということになる。お釈迦さんが云われた「宇宙即我」である。誰もが中心を持っている。誰もが宇宙であり、神であるということになる。神という言葉を今まで宗教家の専売特許のように思っていたが、科学的にいうと原子と電子であり、宇宙の原点である。神様がいるわけではない。見えない生命エネルギーを神と呼んでいるだけ。神は「火、水」でありエネルギーと質料である。すべての原点を指している。この世は生きる世界ではない。法則を理解し、脱皮する現象界ということになる。一生懸命、働いても消えてしまう世界。死ぬ時、肉体と意識が離れる。今まで肉体を自分だと思ってきた。それを1人、1人が問われている。肥田先生の無私の生き方を見るとそう思わざるを得ない。
 

2022年3月23日水曜日

真誠とは

真誠は無限エネルギーを引き出す無我の境地

肥田先生はキリスト教徒とであるが教会に通ってはいない。聖書の中に「すべてのすべてありてあるもの 神である」と書かれている。
1つなる神が多神を創る。日本でも八百万の神と云われ、すべてに神が宿っていると云われる。
1つなる神というのは無限生命エネルギーであり、宇宙は無限大の生命エネルギー体である。この無限なる生命エネルギーが様々な形態を通して現わしている。人間もこの生命エネルギーによって生かされている。生命エネルギーはバランスで生命エネルギーが生まれる。このエネルギーを引き出すには中心バランスによって宇宙の無限なるエネルギーを引き出すことができる。
「真誠」ということは神と一体となる時、引き出せるもので、只、中心を取れば使えるものではないこと語っている。無我になって自分を無くした時、無限エネルギーそのものになり、引き込んでいる。自我では引き出せないことを云われている。人間、誰もが生まれた時には無邪気であり、邪気がないのであるが、生きて行く内に心が曇ってくる。肥田式は心身強健術であり、心と肉体のバランスを取り、霊肉一体になることで宇宙エネルギーを引き込む鍛錬であるということである。肥田先生が肥田式の型は中心力と云われている。肥田先生が3大学4学部を同時に卒業されたが、自分の為には大学には行っていない。すべて村の為である。
「得ようとするものは奪われる」幾ら形をなぞっても肉体鍛錬だけでは片手落ちである。
心と肉体を同時に鍛錬できる体系に肥田式はなっている。宇宙は陰陽の吸引バランスで永遠なる生命体であり、その中に万象万物は息している。万物の霊長と云われる人間は永遠なる生命体ではないのか。形が消えるだけで本質はなくならない。勝手に有限と思っているだけではないのか。故にこの世を塵世、俗世、浮世、仮の宿と呼んでいる。



 

2022年3月18日金曜日

座禅、立禅、動的禅、武禅

座禅、立禅、動的禅、武禅、すべてが中心力

肥田式強健術の簡易強健術はグンゼの女工さん達の為に肥田先生が造られた体操です。肥田式は気合応用が肥田式強健術になります。
動きながら、中心軸によって動く鍛錬である。
日常の動きの中で中心軸をずらさない動的禅である。
簡易強健術は準備動作と本動作に分かれますが、気合応用強健術は本動作から入ります。
中心軸から鍛錬をして行きます。中心力を身に付けるのではなく、自分の中に中心を確認をしてから行う。その為には足の親指、足の踵、足の垂直、足の角度、股関節が重要視されます。
カヤ棒と云われていた青年が必死の気で生み出し、自分で実験しながら道を示してくれている。人間誰でも持っている中心軸、中心より無限の無尽蔵のエネルギーが無料で入ってくる。
エネルギーは力であり、知恵である。人間1人、1人は宇宙エネルギーが使える宇宙の子である。殆どの方々が肉体に力があると思っている。肥田先生は無限のエネルギーは天の恵みであるとおっしゃっておられる。人間は宇宙エネルギーによって生かされているということになる。宇宙エナルギーの化身が人間であるということになる。此処に21世紀を生きる鍵が潜んでいる。肥田先生は戦時中を切り抜ける為に身体の強健を目指されたが、この中心力は肉体鍛錬から意識鍛錬に姿を変え、人類が21世紀を生きる基本ベースに成り得るものである。
肥田先生は蜂蜜に対して人ものを取ってはイケない。一匹のハチが一生かけて集める蜜はスプーン1杯だそうです。それを万物の霊長と云われる人間が横取りをする。恥ずかしいではないか。人間は自然界から略奪をしてはいけない。神の子と云われ、神の力、知恵を使えるのに。
21世紀は空より無限大のエネルギーを引き出し、使う時代になってくる。それには1人、1人の意識を変えて行かなければならない。それには中心力が有効な手段である。