2024年3月31日日曜日

光りの自覚


光りの自覚

宇宙は1つなる光の世界である。霊光のみが実在する。実在がなければ万象万物は現象化しない。
現象化しているということは現象の中に実在する光が存在しているということである。
すべては1つなる実在が多神を顕している。すべては1つの顕れである。
すべての原点は1つであり、見えるものはすべて1つの光の現象である。見えるものもそれを顕す見えないものもすべては1つの光の顕れなのである。
すべては1つの光、生命が現象化させている。宇宙は1つなる光が実在している。他に実在しているものはない。
すべては1つなる光りが実在しているだけで現象は様々あるが、すべての現象は1つなる光によって顕されている。すべての現象は光りなのである。見えるものはすべて光の陰なのである。
光と影は1つである。光が我であり、現象は我を顕す顕現道具である自覚を持つ。
人間は仮相であり、仮相を信じると実在しない諸行無常の生老病死に囚われ自縛してしまう。人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれた、光り、生命を吹き込まれたと。
宇宙に実在しているのは生命、光であって人間は実在していないのである。消えるものはすべて変化して止まない仮相現象なのである。
我は仮相現象の人間ではなく、現象を顕している生命が我である。



 

人間は地上界に蒔かれた天の星々たち


人間は地上界に蒔かれた天の星々たち

宇宙は1つなる光の生命体。地上界には光の天使が蒔かれている。この天使の種は自らの光の種に気づき光を権限して行く星々たちである。
80憶という天使の光の種が地上界に蒔かれている。地上界が光りの星になる為に。
今、地上界は天より光りの種が蒔かれているが、人間には自由意志が与えられている為、現象である人間の姿、形に囚われ、本来の天の使いを忘れている。仕事をせず、仮相界で遊びコケている。その代償として波動の低い現象界から、波動の高い元の自分に戻れない状態なのである。自分で波動を下げて現象界に滞在している。
波動が上るまで輪廻を繰り返される。輪廻は修行です。
天が現象を顕している。我は天によって天を顕現する為に造られた天の顕現道具を自分と勘違いをしている。人間と云う媒体を使って光を放す星々が我なのである。
天の霊光を顕現媒体を使って放射させる。現象肉体は光りの顕現道具なのである。
顕現道具に生きると現現させる光を顕現することが出来ない為、肉体と光はバランスを失い崩壊してしまう。
人間と云う現象に生きるとアンバランスになり、光を放射させるまで再生される。

 

2024年3月30日土曜日

我は真理なり 真理我が中にあり

 

我は真理なり 真理我が中にあり 

宇宙真理は1つなる生命である。真理は1つなる実在である。永遠なる生命である。
真理は神であり、仏である。
この1つなる真理が原因なき原因であり、様々な結果現象を顕している。原因と結果は1つである。
これが真理である。1つなる生命が原因であり、この原因が真理である。宇宙の原因は1つなる本源本質が真理である。
1つなる生命は我が中に実在している。真理は手よりも足よりも近い所に存在している。
真理が現象を顕している。現象をあると信じることで真理から外れてしまう。
真理は我が中にあり、真理に生きるは永遠であるが、見える現象に生きることは有限になってしまう。肉に生きるは死であるとイエスも云っておられます。現象意識から実相意識になるまで、輪廻で再生させられる。
真理に生きるか?現象の人間に生きるか?は本人の自由意志を犯すことはできない。



実在は永遠 現象は有限


実在は永遠 現象は有限

宇宙は1つなる生命体。久遠の生命体。1つなる生命体のみが実在である。その他に実在するものは存在しない。
現象は見えるもの。見えるものは1つなる実在の化身として現象化している。現象は変化して止まない消極なるものである。現象が永遠になることはない。
人類は見えるものがあると信じ、仮相を実在と見誤り、仮相の中で生きている。
我の実相は永遠である。見える形をあると意識した為に、永遠なるものから有限なる生き方になってしまった。宇宙は永遠である。永遠の中で、有限なる現象に生きているのは自分自身である。現象をあると信じる心が有限なる仮相を造るのである。想念は実現の母である。
この世は霊界であり、想ったことが顕れる世界である。


 

2024年3月29日金曜日

永遠なる生命が生きている


永遠なる生命が生きている 

茄子が生きているのではない
生命が生きている

キュウリが生きているのではない
生命が生きている

ライオンが生きているのではない
生命が生きている

象が生きているのではない
生命が生きている

人間が生きているのではない
生命が生きている

見える現象が生きているのではない
生命が生きている

宇宙は1つなる生命が
万象万物を通して生きている



真理は宇宙法則


真理は宇宙法則

宇宙は1つなる生命である。無限生命、普遍生命である。すべては1つである。
1つなる生命が多神を造る。すべての多神は1つなる生命によって現象化されている。
宇宙は物質界ではない。霊界である。現象は変化して止まない世界である。この中に万象万物、人間も現象化している。現象を顕している世界が実在界である。
人類は人間は神に似せて造られた特別な存在なのであるが、人間は万物の霊長の仕事をしていない。人間には与えられた仕事があるのだが、仕事を全うせず、地上界で傍若無人に振舞っている。真理を知らない振る舞いの罪を犯している。
現象界は人間が生きる世界ではない。
地上界に生命エネルギーを顕現させる使命が人間には与えられている。
宇宙の法則は真理であり、法則違反で人類は永遠なる生き方から有限的な生き方を強いられている。
現象に生きるは死、生命に生きるは永遠。人類は永遠なる世界の中で有限な輪廻の中で生きている。
宇宙は神一元の世界である。見えるもの、見えないものすべて神なのである。
見えるものだけを見て外に神を求めている人類。これに早く気づくことが人類の大きな進化である。人間は神によって顕されている存在であり、神そのものが人類なのである。
聖書に書かれているように「すべてのすべてありてあるものは神」なのである。
宇宙には神以外、存在していないのである。現象を見るから神を外に求めてしまうのである。












 

2024年3月28日木曜日

現象をあると思う心が地獄の住人である


現象をあると思う心が地獄の住人である

宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、1つと云うことは完全であるということである。
原因、結果の法則、これは1つの法則である。
原因は神であるなら、結果も神である。
これを神と現象である人間を分けてしまった為に永遠なる生命を分離させ、有限なる現象に分けてしまった。これがエデンの園から追放されたということになる。
1つの生命は永遠である。こ゚の生命を見えるものだけを見て見えない生命を切り、有限なる現象に生きることになってしまった。
現象と生命は2つで1つなのである。生命と現象は切り離せないのである。
木から花を切り取り、花瓶に挿すようなものである。有限になってしまう。
人間も同じである。生命から現象を切り離したら永遠なる生命から切り離すことになる。
現象に生きるとは生命から離れて生きるということになる。
完全なる中に居て有限なる地獄界に生きる。これは自ら現象を認めることで自分で地獄界の迷妄に入ってしまうのである。人間は存在しない、存在すると思うから生老病死の四苦に囚われてしまう。イエスが云われる肉に生きるは死であると。生命のパンを食せよと。