2024年4月30日火曜日

爭いは分離感から起きる


爭いは分離感から起きる

宇宙は神1元、永遠なる生命体である。原因なき、原因。初めから永遠なる宇宙の中に存在しているのである。全知全能の中に存在している。神の中に存在している。
神の中に居て人間は争いをしている。自分は神であることを知らずに。
無限生命、神の中に有限なるものは実在しない。すべて見えるものは神の化身であり、神そのものである。見えるものは現象なので、形態は普遍原質に戻るだけである。不増不減である。
現象をあると信じる心が1つのものを2つに分けてしまう。現象は変化して止まない諸行無常の仮相を人間は奪い合いをしている。幻想の中で生きようとしている。
すべては神であり、永遠なる神の中で有限なる幻影に溺れている。
無限の神の中に有限なる見えるものは存在しない。見えるものは神の化身なのである。現象をあると信じる心か抜け出すまで、輪廻で再生させられる。
人間は万物の霊長であり、仮相界で生きることではなく、本来の使命を果さなければならない。すべては神の中に、永遠なるなかに初めから存在している。すべては1つの宇宙生命体の中の天国に住んで居る。天国は我が中にある。永遠なる神は我が中に存在している。




2024年4月29日月曜日

人間は神の御心を顕現させる表現媒体


人間は神の御心を顕現させる表現媒体

宇宙は神一元の世界。神は1つなる愛の完全バランス、永遠なる愛の生命体である。
この愛のバランスの法則によって生命が現象化している。宇宙の万象万物は1つなる愛のバランスにより、現象化している。
宇宙は1つなる無限生命であり、この中に見えるものは存在しない。仮相現象である。人間も現象であり、見えるものは1つなる神の現象が顕れている。見えないものが見えるものを顕している。原因、結果は1つである。
造り主は神、愛の法則、造られたもの、被造物は神の化身である。
見えるものはすべて神の被造物、見えるもの、見えないものは2つで1つである。
人間は神に似せて造られている。自由意志を与えられている為、現象を見て自分が生きていると勘違いをして自らを自縛させている。
人間は神によって造られた神を顕す顕現道具であり、すべてが神なのである。
宇宙は神の愛のみが実在しているだけである。人間も神の化身。神は人なり、人は神なりである。
仮相の人間を演じることで、分離感になり、争いを起こし、1つなる愛の生命体の中で殺し合いをしている。人間が仮相に生きることは地球のガンである。
神の愛の法則違反である。この法則違反により、天変地異が繰り返されている。
人間には神に似せて造られている。地上界で人間が成すべき本当の使命に気づき、神の子としての使命を果さねばならない。


 

我は無形無双の意識なり


我は無形無双の意識なり

宇宙は1つなる意識なり。意識は見えない、無形無双の意識なり。
神意識、神は意識である。宇宙は1つなる神である。
すべては1つの神である。神は生命であり、宇宙には神が実在している。神は特別な存在するものがあるのではない。無限大の質料と無限大の霊エネルギーが存在しているだけである。光が存在している。これが神なのである。宇宙の中性エネルギーが実在している。これを神、仏と呼んでいるに過ぎない。今まで見えない神を特別視されてきたが、宇宙そのものが神であったということである。
宇宙はすべてが神であり、仏なのである。神様、仏様を祀っているが、神、仏の中に初めから住んで居るのです。神、仏を外に求めてはならない。外に求めると宗教に食い物にされてしまう。自分そのものが神、仏なのである。宇宙の法則が神なのである。
宇宙は無形無双の神であり、光であり、1つなる神が万象万物を顕している。見えるものがあるのではない。見えない1つなる神、仏が万象万物、人間を顕している。これに惑わされているだけです。
宇宙生命は見えない。無形無双の知的生命が形を通して顕しているだけなのである。
無限なる愛の知的生命体、無形無双の生命体が現象として顕れているだけなのである。
無限の中に有限は存在しない。これに人類は騙されているのです。本源本質は光なのです。
人類はこの事に気づく時期に来ている。人間が科学文明を発達させていると思っているが、知的生命体が人間の媒体を通して顕しているだけなのである。
人間の形にはそのような能力は持ち合わせてはいない。生命の顕現道具なのである。




 

2024年4月27日土曜日

肉体は意識によって動かされている


肉体は意識によって動かされている

宇宙は1つなる生命体。コスモ細胞体である。
宇宙は1つの体である。万象万物もコスモ細胞体の中の細胞体である。島宇宙も、銀河系宇宙も太陽系宇宙も地球も人間もすべてコスモ細胞の中の細胞体である。
すべては1つなのである。コスモ細胞の中の細胞。宇宙は1つの体、永遠なる神の御神体である。
見える現象は内なる意識によって現象媒体を通して顕している。現象は道具であり。道具が自分で動くことはできない。意識によって初めて動くことができる。
想念の通りに肉体は動いてくれる。人間が動いているのではない。
宇宙は1つなる生命意識しか存在しないが。意識の仕方は自由である。
現象を見て見えるものがあると信じても現象を動かすことができる。
この現象に意識が向いてしまうと波動が低くなり、現象の実在しない生老病死の四苦に捕まり、輪廻に振り廻され、気づきまで再生される。
想念は実現の母であるが、何処を意識するかは本人の自由意志に委ねられている。
想ったことが肉体を通して顕れる。
「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」
現象に生きるは死であるとイエスが云われている。永遠なる生命のパンを食しなさいと。




2024年4月26日金曜日

肉体は心の表現媒体


肉体は心の表現媒体

宇宙は1つなる生命体。1つなる心が存在するだけである。万象万物は1つなる心の表現媒体である。
人間も宇宙の相似形である。内なる心の表現媒体が肉体と言うより細胞体である。
内なる心とは意識であり、意識したものが肉体細胞を通して顕れる。「想念は実現の母」である。
心とは神であり、人間は心の顕現の宮である。神は無形無双であり、何かの媒体がなければ顕すことができない。媒体を通して顕している。神は見えないが見える媒体を通して顕している。神は人間という細胞を通して顕れている。神は愛の法則の事である。
神は何ぜ媒体を通して顕れようとするのか?
地上界の波動を上げる為に万物の霊長である人間の形態媒体を使い、地上の波動を上げようとしている。神は能動原理であり、フリーエネルギーであり、この中に存在するものはフリーエネルギー化されて行く。
宇宙は1つなるコスモ細胞体である。人間も人間の形をした細胞体である。この細胞体を使い霊肉一体にすることで、地上界を霊化するようになっている。
この神が宿る顕現媒体を自分と錯覚し、神なる我は媒体道具に生きてしまった。顕現媒体は質料細胞のため、新陳代謝により、常に新しい細胞に入れ替わり形態を維持させている。
この変化して止まない細胞は変化して普遍原質の還元される。
宇宙には姿、形は存在しない。人間も仮相媒体であり、これをあると信じる為に、生老病死の仮相の四苦に悩まされてしまう。
人間は内なる心の表現媒体であり。表現媒体は実在しない。宇宙は無限生命、普遍生命であり、無限の中に有限なる姿形は存在しない。表現媒体は使命を果せば変化して普遍原質に還元される。顕現道具を自分と錯覚してしまうと質料意識の為、輪廻で気づくまで再生される。



 

2024年4月25日木曜日

救い主は自分


救い主は自分

宇宙は1つなる久遠なる完全調和、完全バランス。
これが宇宙の本源本質である。
この愛の法則の中に見える現象は存在している。
完全の中に存在している。すべてが天国の中に始めから存在しているのである。
宇宙の全知全能の力、知恵の中に見えるものは現象化している。人間も完全の中に存在しているのである。
人間は完全の中に居ながら病気、死があると信じてしまうのか?
人間は神の生命エネルギーを顕現する為に神によって造られている。神の顕現道具として使うのであれば完全なのであるが。分離感で見えるものをあると信じ、変化して止まなく現象に囚われた為に自らを縛り,変化の世界に身を置いてしまった為に永遠なる生命から有限な生命に自らを下げてしまった。

自ら下げた波動は自ら上げなければならない。自己責任で上げなければならない。意識は他人が上げることはできない。自分は初めから宇宙の完全の中にいる。今も昔もこれからも。天国の従者であることを理解することで、生命エネルギーを地上界に顕現させ、命を果し、天国に戻る。意識の切り替えは自分で行わなければならない。宗教も助けてくれない。汝の救いは汝自身なり。




 

2024年4月24日水曜日

人間意識は制約である


人間意識は制約である

宇宙は1つなる生命意識である。無限生命意識、普遍生命意識である。無形無双の生命意識である。
宇宙には有限なるものは存在しないという意味である。人間は万物の霊長であり、宇宙は霊体であるということであり、霊が現象を顕している。生命の活動の一環として神の愛の化身として現象化させている。
万象万物はすべて細胞体である。1つなるコスモ細胞が分子細胞を造り、様々な形態を造り、生命活動をしている。
宇宙には人間は実在していない。無形無双の生命が神の愛の化身として現象化させている。
地球は見えるものを存在させる為には造られてはいない。地上界の波動を上げる為に万象万物は神の化身として造られている。人間が生きる為に造られているのではない。
万物の霊長である人間は神に似せて造られている。何故、神に似せて造られているのか?
神の生命エネルギーを地上界に顕現させる為に造られている。人間には生命エネルギーを顕現する為に自由意志が与えられている。
この自由意志を見える実在しない現象に使ってしまい、逆に人間という仮相の制約の中で囚われ、見える仮相の制約の中で自縛している。
宇宙生命の顕現道具を自分と思い、諸行無常の変化して止まない仮相世界から抜け出せないでいる。現象から抜け出すには宇宙は永遠なる生命体であり、その中には死は存在しない。死は普遍原質に戻るだけで、普遍不動の世界であることに気づいて行く。
見えない意識が肉体を通して顕れている事実を認め、意識が我であることに気づいて行く。