2022年3月28日月曜日

愉快、爽快、軽快


愉快、爽快、軽快

肥田式の鍛練をされている時、時間を忘れ、鍛錬をされている時、中心バランスが取れているいうことです。
何故、中心バランスが取れていると愉快になるのか?鍛錬をすることで無料の無限なるエネルギーが入ってきているということである。宇宙は善のみであるが、悪があるということはエネルギー不足ということになる。争いを起こす人はエネルギー不足ということである。人類に争いがあるのは分離感の為に外にエナルギーを使ってしまう為、自らのエネルギー不足ということです。エネルギーが充満してくれば外からエネルギーを得ることはしない。心が満たされていないうことになる。
心が満足しない為に外からエネルギーを取ろうとする為である。犬も心が小さな犬程、噛みつく。人類はまだ善悪の木の実を食べているということである。エネルギーが満たされてくると争いは無くなる。宇宙は無限なる無尽蔵のエネルギーの宝庫であることに気づかないだけである。争いが生じるのはこの世の諸行無常の仮相の世界を生きようとし、自己保存の為に争いを起こしているだけに過ぎない。人類は無限なるエネルギーの中に居ながら争いを起こしているのはすべて持っている自分に気づかないだけである。消えて行く世界の中で幾ら物質を自分のものにしても心を満足させることはできないことに気づかない。一時的な快楽にしか過ぎない。争いはバイブレーションが低い為に起きる現象であり、これを克服するには1人、1人の波動を上げることである。この世は霊肉一体になる為の現象界であり、外からエネルギーを奪い合い生きる世界ではなく、自分の裡にある無限大の井戸からエネルギーを汲み出し、現象界から脱皮して行く世界である。中心バランスを取り、波動を上げ、二度とこのバイブレーションの低い現象界に生まれてはならないのである。すべてが神の子であり、高バイブレーションなる我であることに気づく為の現象界であるということである。
キリストが云われている。
 肉に生きるは死、生命に生きるは永遠。であると。
肥田先生も中心の鉄扉を開かずして生涯を終わるものは米を抱いて餓死するが如し。と云われている。バランスを失う生き方は生きていても価値がないと云われている。

無限生命の中に居ながら有限な生き方をしている人類。21世紀はこのことに気づいてくる時代になると思います。


 

2022年3月26日土曜日

何ぜ肥田先生はこの世を「塵の世」と云われるのか?

この世は何ぜ「塵の世」なのか? 

肥田先生は「天寵無限」という言葉を使われる。無限なる生命エネルギーが肉体を通して使うことができるという解釈が一般的であるが、この世に現れているものはすべて結果であり、現象である。無限なる生命が主であって肉体はそれを表現する器でしかない。肥田先生が神の子、神の器と云われるのはこのことである。何故断言できるのかというと宇宙は無限生命体であり、無限ということは1つということである。結果は実在しないということになるからである。見えるものはすべて仮相である。大悟徹底された肥田先生がこのことを知らないはずはない。知らないということになると大悟徹底されていないということになる。この世は何をすべきなのか?宇宙は無限生命であり、永遠なる生命体である。この永遠なる生命体の中に生まれ、育っている人類は永遠なる生命体である。今、結果の現象をあると思う心が塵の世であり、中心力を使い、無限なる生命が本当の自分であることに気づく。これが焼失してしまった宇宙倫理の書で云わんとしたことのように思う。すべてが1つであれば争いは無くなる。この世はこの法則を体験し、理解し、実践する場所である。理解して本宿に帰る。その為の仮の宿であるという意味が塵の世の意味であると感じる。中心力は宇宙の生命エネルギーであり、永遠なるフリーエネルギーである。そのエネルギーは裡にある。裡にあるということは自分自身が宇宙ということになる。お釈迦さんが云われた「宇宙即我」である。誰もが中心を持っている。誰もが宇宙であり、神であるということになる。神という言葉を今まで宗教家の専売特許のように思っていたが、科学的にいうと原子と電子であり、宇宙の原点である。神様がいるわけではない。見えない生命エネルギーを神と呼んでいるだけ。神は「火、水」でありエネルギーと質料である。すべての原点を指している。この世は生きる世界ではない。法則を理解し、脱皮する現象界ということになる。一生懸命、働いても消えてしまう世界。死ぬ時、肉体と意識が離れる。今まで肉体を自分だと思ってきた。それを1人、1人が問われている。肥田先生の無私の生き方を見るとそう思わざるを得ない。
 

2022年3月23日水曜日

真誠とは

真誠は無限エネルギーを引き出す無我の境地

肥田先生はキリスト教徒とであるが教会に通ってはいない。聖書の中に「すべてのすべてありてあるもの 神である」と書かれている。
1つなる神が多神を創る。日本でも八百万の神と云われ、すべてに神が宿っていると云われる。
1つなる神というのは無限生命エネルギーであり、宇宙は無限大の生命エネルギー体である。この無限なる生命エネルギーが様々な形態を通して現わしている。人間もこの生命エネルギーによって生かされている。生命エネルギーはバランスで生命エネルギーが生まれる。このエネルギーを引き出すには中心バランスによって宇宙の無限なるエネルギーを引き出すことができる。
「真誠」ということは神と一体となる時、引き出せるもので、只、中心を取れば使えるものではないこと語っている。無我になって自分を無くした時、無限エネルギーそのものになり、引き込んでいる。自我では引き出せないことを云われている。人間、誰もが生まれた時には無邪気であり、邪気がないのであるが、生きて行く内に心が曇ってくる。肥田式は心身強健術であり、心と肉体のバランスを取り、霊肉一体になることで宇宙エネルギーを引き込む鍛錬であるということである。肥田先生が肥田式の型は中心力と云われている。肥田先生が3大学4学部を同時に卒業されたが、自分の為には大学には行っていない。すべて村の為である。
「得ようとするものは奪われる」幾ら形をなぞっても肉体鍛錬だけでは片手落ちである。
心と肉体を同時に鍛錬できる体系に肥田式はなっている。宇宙は陰陽の吸引バランスで永遠なる生命体であり、その中に万象万物は息している。万物の霊長と云われる人間は永遠なる生命体ではないのか。形が消えるだけで本質はなくならない。勝手に有限と思っているだけではないのか。故にこの世を塵世、俗世、浮世、仮の宿と呼んでいる。



 

2022年3月18日金曜日

座禅、立禅、動的禅、武禅

座禅、立禅、動的禅、武禅、すべてが中心力

肥田式強健術の簡易強健術はグンゼの女工さん達の為に肥田先生が造られた体操です。肥田式は気合応用が肥田式強健術になります。
動きながら、中心軸によって動く鍛錬である。
日常の動きの中で中心軸をずらさない動的禅である。
簡易強健術は準備動作と本動作に分かれますが、気合応用強健術は本動作から入ります。
中心軸から鍛錬をして行きます。中心力を身に付けるのではなく、自分の中に中心を確認をしてから行う。その為には足の親指、足の踵、足の垂直、足の角度、股関節が重要視されます。
カヤ棒と云われていた青年が必死の気で生み出し、自分で実験しながら道を示してくれている。人間誰でも持っている中心軸、中心より無限の無尽蔵のエネルギーが無料で入ってくる。
エネルギーは力であり、知恵である。人間1人、1人は宇宙エネルギーが使える宇宙の子である。殆どの方々が肉体に力があると思っている。肥田先生は無限のエネルギーは天の恵みであるとおっしゃっておられる。人間は宇宙エネルギーによって生かされているということになる。宇宙エナルギーの化身が人間であるということになる。此処に21世紀を生きる鍵が潜んでいる。肥田先生は戦時中を切り抜ける為に身体の強健を目指されたが、この中心力は肉体鍛錬から意識鍛錬に姿を変え、人類が21世紀を生きる基本ベースに成り得るものである。
肥田先生は蜂蜜に対して人ものを取ってはイケない。一匹のハチが一生かけて集める蜜はスプーン1杯だそうです。それを万物の霊長と云われる人間が横取りをする。恥ずかしいではないか。人間は自然界から略奪をしてはいけない。神の子と云われ、神の力、知恵を使えるのに。
21世紀は空より無限大のエネルギーを引き出し、使う時代になってくる。それには1人、1人の意識を変えて行かなければならない。それには中心力が有効な手段である。
 

2022年3月17日木曜日

人間は中心力を汲みだす井戸ポンプ

人間は中心力を汲みだす井戸ポンプ

中心力は無限の宇宙エネルギー。汲めど減らない無尽蔵の全知全能のエネルギー。これを肉体を通して汲みだす井戸ポンプのようなものである。
形を持つものには必ず中心がある。その形の中心からエネルギーが放出し、形態を現象化させている。人間は意識により無限の生命エネルギーを汲み出すことができる。肥田先生は自分の肉体を使って実験され、目に見えない無限のエネルギーの引き出し方を示してくれた。誰もが持っている形。これを使って無尽蔵の知恵、力を汲み出せるということである。人間は神の子であり、神の器であると云われている。人間は身体を使って働いてお金を貯めて幸せになることではなく、宇宙の無限大の汲んでも減らない全知全能の知恵、力を顕す媒体であるということになる。
中心力を身に付けると外から得ようとしなくなる。争いを起こさなくても良くなる。誰もが無料で使える力である。能力は脳幹部思考停止によって入ってくる。今まで能力を身に付ける為に教育に使っていた時間とお金は必要が無くなる?
21世紀は全てが根本的な所から変化する時代になってくる。今までの価値観ではなくなる。
人間という概念も波動という概念に変化して行きます。今の宇宙科学も燃料を使ってロケットを打ち上げているようだと宇宙にガソリンスタンドを作らなければならない。結果から結果を作る時代から原因から結果を生み出す時代に。空から無尽蔵のエネルギーを取り出す時代になってくる。その為には人間意識が変わって行かなければならない。無料で使える中心力を身に付ける肥田式強健術は非常に有効な手段であると思います。

 

2022年3月15日火曜日

肥田式は21世紀の意識鍛錬である

 肥田式は21世紀の為の意識鍛錬になる

物質文明が終焉を迎えようとしている。幾度どなく繰り返されてきた天変地異。今までのように物質中心のままで行くと地球の存在はない。これを修正する為には1人、1人の意識の改革が必要になる。何故、経済が終焉を迎えるのかというと自分で汚した湖を原因を直さないで、汚れた水を綺麗にしようとしている。これでは幾らお金があってもドブにお金を捨てるようなものである。医療も結果で直そうとする為、ドンドンお金がつぎ込まれる。財政破綻である。世界の経済が原因を直さないで、結果を直そうとして破綻状態に陥っている。善悪の木の実を食べ続けている。
これから新しい一歩が始まる。原因からの発想で行うことで誰もが、人類が幸せに生きられるフリーエネルギーの社会ができる。これが本来の人類の生き方である。これに気づくために転生を繰り返して来た。
その為には1人、1人の意識の改革が必要になる。国が悪いのではない。国をつくっているのは其処に住む国民だからです。国民、1人、1人が責任を持って行く時代になります。
その為に何事にもブレない中心力を身に付ける必要がある。日常生活で自分が生きることで、人が幸せになる生き方が求められる。
3次元は波動の低い固体の現象界である。この現象界をバネにしてグライダーのように生きる力を身に付ける。肥田式の利動力を身に付ける。サーファーが敢えて高い波を求めて行くように。中心力は宇宙力である。それぞれの分野で全知全能の力を引き出す。その為の有効な鍛錬である。中心力は日常生活の中で行うことができる。歩いていてもできる。椅子に座っていてもできる。仕事をしていてもできる。形のあるものには必ず、その中に中心がある。この中心に合わせる。
肥田先生も運動に時間をかけてはいない。中心が取れればと云われる。
今まで、肥田式の鍛練をされている方々を見てきたが、肉体を鍛錬しようとしている。肥田先生は色々な実験をして鍛錬法を生み出されたが、お父さんが仏前の前で「春充ちが夏を越せますように」という父の言葉に肥田先生の心が動いた。心に火花が付き、鍛錬に入られた。この時点でもうすでに心は元気になられている。肥田先生は「必死の気」という言葉を使う。こ゚の覚悟がなければ形を真似ても会得はできない。気によって形はできるものだからです。「腹は造るのではなく、造られる」ものだからです。肥田式はたった一つのことだけを行っているに過ぎない。真理は1つなのです。中心力を身に付けるのではなく、すでに中心は誰にでもあるのです。其処には無限大の力、知恵が湧き出ている。それぞれの分野で自分の井戸を掘り、社会に還元して行く。それぞれの肥田式で井戸を掘って頂きたい。


2022年3月14日月曜日

肉体は意識によって動かされている。

肉体は意識によって動かされている。

肉体は力はない。意識によって自由自在に動かされている。肉体には意思はない。内なる心が動いて心の通りに動いてくれる。悲しければ悲しい表現をするし、楽しければ楽しい表現をしてくれる。
肉体は心の操り人形である。肉体は意識によって創り出される見えないものを表現する媒体である。
肥田先生は大悟徹底され、宇宙から知恵を降ろされている。知恵を降ろす時、五感は邪魔になる。脳幹部の思考停止をすることで全知全能の知恵が入ってくる。能力とは五感を使って行うことではないということになる。
肥田式で行う鍛錬は中心力の使い方の学びである。宇宙の全知全能のエネルギーを引き出す為鍛錬である。肥田先生は人間を神の子、神の器と呼ぶ。人間という器は器を鍛えて使うのではなく、中心力を受けて流す受信機として使う器であるということである。
肥田先生の時代は戦時中であり、戦争の為に肉体鍛錬をされたが、21世紀は心の鍛練に使って行くべきである。心は1つ。人類は1つの中に生まれ、1つの中で育って生きている。争ってはいけないのである。中心力とは1つのエネルギーであるということである。
八紘一宇という素晴らしい宇宙の真理を顕す言葉がある。日本が誤って戦争に利用してしまいました。日本の恥です。すべては1つ、万象万物は1つなる生命の現われであり、人類は皆兄弟、姉妹である。同じ生命で生かされているということである。1つの生命の中で争ってはいけないということを意味している。日本の国旗は1つ目である。物質文明が終焉を迎えました。これからは意識の時代に入って行きます。空より無限のものを取り出す時代に。争いのない世界にシフトして行きます。これからのリーダーは1人、1人がリーダーになります。
不完全な時代から完全な時代に変化して行きます。1人、1人の意識の改革の時代に。