2022年5月3日火曜日

人間という枠の中で生きる為に争いを引き起こす。


 人間という枠の中で生きる為に争いを引き起こす。

宇宙は1つなる生命体である。1つの中に2つはない。見えるものは見えないものの現われであり、1つである。見えるものをあると信じる心が分離感を生み、争いが生じる。現象なので実際にはないものである。人間も見えないものの現われ、万象万物は見えないものの現われ、現象であり、故に地球は空に浮いているのである。浮世なのである。人間は空の現われ、消えて行く存在であることをお釈迦様は解き明かしてくれた。色即是空、空即是色、色心不二である。
キリストもすべてのすべてありてあるものは1つなる生命、神であると。
無限生命の中に居て消え行く幻の有限なるものから離れなければならない。
地球は天と地に分けた地の星である。この地の波動の低い地球を光る星にするために万物の霊長たる人間が存在しているのである。このことが理解できなければまた天変地異に巻き込まれ、宇宙の中性の力によりまた元に戻されてしまう。幾度となく繰り返されてきた天変地異。ノアの箱舟である。文明が発達すると天変地異が起こる。これは文明の作り方が間違いであるということに人類は気づかなければならないが、まだ人類は幼児期の為、自分が創り出した人災を災害と呼んでいる。波動の低い水の惑星から光る惑星に変えることができるのは地球に住む我々、人類なのである。地球人の使命である。光る星に変える鍵が中心力、宇宙の愛の法則、陰陽の吸引の法則なのである。
神という言葉を正しく認識しなければならない。宗教家が使う言葉ではない。見えないものを神と云っている。中心力、生命、陰陽の法則を神と云っているのであって、神様がいるのではない。神、仏というのは1つなる宇宙の生命体のことを云っている。万象万物はこのエネルギーによって具現されている。すべてが神であるというこである。すべてが絶対バランスの中で生命循環をしている。キリストの云われるようにすべてが神なのである。肥田先生も人間は神の子、神の器であると云われている。神は絶対バランスであり、1つなる宇宙である。宗教という字は宇宙を示すと書く。見えるものはすべて宇宙の子である。神である。神が神を求めることはない。




2022年5月1日日曜日

中心が仏であり、キリストであり、中心は我が中にある。


 中心が仏であり、キリストであり、中心は我が中にある。

中心が生命であり、仏であり、キリストである。
宇宙は陰陽のバランスであり中心である。形あるものの全てには中心がある。中心が神であり、絶対バランスが神である。肥田先生が人間は神の子であり、神の器であると云われるのはこのことである。
すべて中心バランスが生命であり、このバランスが崩れると生命エネルギーが滞る。これが病気である。気のエネルギーバランスが不調和を病気という。
中心がすべての根源である。宇宙はこの絶対バランスである。バランスが生命である。
すべてに中心があるということは1つである。陰陽に絶対バランスが宇宙である。
絶対バランスが生命である。これを仏、キリストと云っている。これを神と呼んでいるだけである。宇宙の無限生命の中に有限な神は存在しない。神は科学であり、原子と電子である。質料とエネルギーの吸引バランスが生命である。すべてが1つなる無限なる絶対バランスが宇宙であり、万象万物はバランスのなかに現象化している。バランスの中に陰陽のイオン交換が行われる。見えないもの、形のないものを生命、神と呼んでいる。全てが絶対バランス。神なのである。惑星という字は惑わす星と書く。見えるものは全て現象であり、実在していない。





 発酵と輪廻転生


 発酵と輪廻転生

納豆は大豆が納豆菌により発酵をさせたものであり、大豆が納豆になって行く。一度納豆になってしまうと大豆に戻ることはできない。
宇宙は1つの細胞体であり、常に発酵している。よりきめ細かになっている。空である。空は何もないわけではない。見えない発酵体である。更に発酵し続けている。更に微細になって行く。細かくなればなるほどエネルギーが高まって行く。見えないということはエネルギーが高いということである。見えるものはエネルギーが低いということである。
人間は見える存在であり、見えるということは低波動ということである。低波動の為に見えるものがあると信じ、自己保存の為に消えて行くものに囚われ、争いを起こしているのが人間である。宇宙は無限生命であり、1つである。1つの中に有限は存在しないことを人間は認めない。キリストが云われている。死ぬものはまた生まれると。人間の現象が個体からバイブレーションが上がれば納豆が元の大豆に戻ることができない。人間に生まれることは無くなる。戻れるということは大豆がまだ発酵していないということになる。私を含めて形ある物はまた人間として生まれてくる。
虫達を見ると幼虫から変化して蝉になり、カブトムシになり、蝶になって行く。人間も脱皮しなければならないのに芋虫から脱皮しようとしない。青虫も幼虫の時には野菜を食べ周りに迷惑をかけるが脱皮して蝶になれば自分が植物との共存の中で生きることができる。共存共栄が法則であり、万物の霊長たる人間だけがこの法則を犯し、地球のバランスを崩している。人類は今、動植物以下の生き方をしている。仮の宿で何をすべきかを今、問われている。答えは1人、1人の裡にある。
意識を発酵させることで争いをなくすことができる。空は無限大のエネルギーの宝庫であり、誰でも使うことができる。物質を追い求める時代から空を求める時代に変化してくる。




2022年4月30日土曜日

肥田式鍛練者よ。あなたは肥田先生より何を引き継ぐのか?


 肥田式鍛練者よ。あなたは肥田先生より何を引き継ぎますか?

肥田式に何求めますか?この世でお金儲けの為に肉体鍛錬をするためですか?健康を維持する為ですか?人の自由意志は犯すことはできませんが。
中心力とは宇宙力のことであり、肥田先生がこのことを伝えて頂いた。自分は何をすべきなのかを自分で考え、実践して行くことにある。評論家は必要ない。肥田先生が特別ではない。中心力は誰にも備わっている。この力、知恵どのように使うかである。中心力で全ての波動を変えることができる。
自分は小さな存在と思うかもしれないがそうではない。お釈迦様が云われている。「3千人のひもじい人に飯を盛るより5分間霊性でいなさい」と云われている。肥田先生は意識は1つであり、見えないものが見えるものになっているだけである。肥田先生が超能力を出したかが問題ではない。如何に1人、1人の中に肥田先生が引き出した井戸が誰にも持っている。この井戸は意識によって引き出される。想念は実現の母である。すべてが備わって生まれて来ている。この力は無限大である。人それぞれに自分の環境で引き出して行く。すべて無料である。21世紀は空の無限大のエネルギーを引き出す時代になってくる。無尽蔵のエネルギーは中心力、陰陽のバランスより宇宙の無限大のエネルギーを引き出す時代になってくる。
中心力を理解することで肥田先生と同じ力を出すことはできないかも知れないが、1人、1人には肥田先生と同じ知恵、力が備わっている。その力を如何に引き出すかはその人自身である。
肥田先生を崇めたてるのではなく、誰もが肥田先生と同じ能力を持ち合わせている。偶像崇拝は人をダメにしてしまう。肥田式強健術は肉体の中心を取ることにより誰もが宇宙力をが使えることを肥田先生は教えてくれている。風穴を開けてくれたのである。
1人、1人の中に同じ生命エネルギーが宿っている。各自が自分自身の中に求めることが人類救済になる。物質では人類救済はできない。争うも防ぐこともできない。すべては1つなる生命体であることに気づくことですべてが解決する。人類の争いを防ぐには1人、1人の波動を上げて行く必要があるということである。争いは波動が低い為に起きてしまうのである。



 

見えるもの、見えないもの2つで1つである。


 見えるもの、見えないもの2つで1つである。

宇宙には原因、結果の法則がある。原因は見えないエネルギー、結果は質料にエネルギーを宿した見えるエネルギー。色心不二である。
見えるものはすべて現象であり、結果であり幻である。人間は見える姿、形を自分だと信じて疑わない。故に影、幻に本来の我が動かされてしまう。このことをお釈迦さんが解明してくれている。今もこのことに気づく人がいない。生老病死の四苦から今だに抜け出すことができない。
真理を理解して伝える人が出てこなかった。今これが理解し、伝える人が現れ、それを伝えようとする人達が出てきている。この仮の宿でお金儲けに来ているのではない。真理を理解し、本来の自分に気づく為である。答えは全て裡にある。「中心の鉄扉を開かずして生涯を終わるものは 米を抱いて餓死するが如し」である。人間に生まれて来ても死んでいるようなものであると。キリストも云われている。この世は死人だらけであると。



2022年4月29日金曜日

肉体はエネルギーを受けて流す道具である。


 肉体はエネルギーを受けて流す道具である。

宇宙は1つなる生命エネルギー体であり、中性である。すべての原点は中性エネルギーであり生命エネルギーが形を現わし、その中で生命活動をしている。その結果が見える動くものになっている。見えて動いているものはエネルギーの現われであり、現象である。この見える形をあると信じて自縛している。
見えるものは見えないものの現われ、結果である。結果はつくられたもの、つくられたものは消えて行く存在。作り主はなくならない。人間はつくられたもの、人間を作っているものは生命である。生命が宇宙の根源である。根源で生きれば永遠であるが、形で生きれば消えて行く存在である。人間はエネルギーを受けて流す器であることが理解できれば永遠なる生き方、本来の生き方に戻ることができる。中心力、生命エネルギーが原因の我であり、見える人間の形は光を受けて流す道具あり、道具の中に本当の我が息している。これに如何にして気づくかが今生で何を差し置いてもなさねばならないことなのである。


2022年4月28日木曜日

すべてのものは裡から外へ


 すべてのものは裡から外へ

宇宙の因果の法則。すべて見えないものが見えるものを現わしている。中心よりすべてのものが顕れる。外のものは結果であり、結果が結果を顕すことはない。肥田先生が「天寵無限」と云われる。すべて裡から無限大の生命エネルギーが外に顕れてくる。これが宇宙の陰陽の法則である。青い鳥である。
人間も原因、結果の法則で現れている。結果なのである。見えるものはすべて結果である。見えるものはすべて仮相であるということになる。実際にはないということになる。実在していないということである。人間は消えてなくなる見えるものをあると信じて囚われて生きている。波乱万丈の人生を楽しんでいる。
宇宙は有限ではないのである。無限なる宇宙である。永遠である。万象万物はこの中で生かされている。無限大の中に生かされているということは有限的に生きてはならないということである。死に向かって一生懸命働いて財を求めて行く人生に不思議を感じない。宇宙の無限なる中で有限なる結果の人生を生きることではないことに気づき無限なる生き方に気づく為にこの現象界、消えて行く現象があるのである。人間は何をすべきなのかに気づいて行く現象を仮の宿、俗世、浮世と呼ぶのである。答えは外ではなく裡にありである。「敵は本能寺にある」である。
宇宙は波動の世界であり、波動の低い世界を地獄と呼び、波動の高い世界を天国と呼んでいるだけで天国も地獄も波動の違いだけである。見えるものは非常に波動が低い。地獄界であるということになる。想いで天国か地獄に生きるかを自由に変えることができる。想念は実現の母である。裡に生きるは天国、外に生きるは地獄ということになる。
すべては自分が決めるものである。死んだら天国に行けるわけではない。生きているに天国にいなければ、死んでは天国に行けることはないと云われている。裡は天国、外は地獄である。あなたは今、どちらにいますか?天国というのは中心バランスのことであり、善悪のない1つという意味である。