2022年6月14日火曜日

見えるものはバランスで現象化している


 見えるものはバランスで現象化している

見えるものは見えない生命体の集合体である。
ミクロの世界である。顕微鏡を覗くとミクロの生命の世界が見える。目に見えない微生物達が生きて活動している。この微生物の集合体が現象となって顕れている。人間という形も微生物の集合体である。微生物たちは新陳代謝を常に繰り返し形態を維持している。この新陳代謝は宇宙の中性バランスによって行われ、空エネルギーによって万象万物は息している。
宇宙はバイブレーションの世界であり、見えるものはバイブレーションを下げた状態である。
コップに入れた水に振動を与えると輪ができる。宇宙も渦の回転である。
人間の身体も宇宙と同じであり,左右の役目が違う。左から入って右に抜けて行く。身体の中心がホワイトホールになる。中心バランスが根源生命である。
中心は高波動であり。外側の見える形態は中の生命を守る為の鎧のようなものである。鎧が生きているのではなく。鎧の中の70兆個の微生物群が分裂を繰り返しては消え。生命活動をしている。微生物は中心バランスによって生命活動をしている。肥田式強健術の中にある「天真療法」はこの宇宙バランスを使っている。これを治癒力と呼んでいる。宇宙は最初から1つなる完全バランス生命体である。宇宙の中に居るものはすべて完全であり、神一元である。宇宙神。宇宙は神であり、万象万物は神の化身である。宇宙が神ならその中にいるものはすべて神になる。素直になれば誰でも自分は神であることに気づく。


2022年6月11日土曜日

求めて行くものは外にはない


求めて行くものは外にはない 
全ては裡にある 我が裡に神が居る
全知全能の神が居る 全知全能の仏が居る
本当の自分は自分の中に居る
現象界の中で本当の自分に気づく 
自分の中に居る神に気づく 実感して行く
外に求めることなかれ
汝の神は汝自身なり 汝の仏は汝自身なり
中心バランンスが宇宙であり 神であり、仏である
宇宙は中性なり 愛なり 
我も中性なり 愛なり
全ての根源は1つである


2022年6月10日金曜日

何ぜ?この世を仮の宿と云われているのか。

 

何ぜ?この世を仮の宿と云われているのか。

この世に現れているものは現象である。1つなる生命が八百万の神を現わしている。宇宙は完全なる1つなる生命体であり、その中で1つなる生命体が様々な形態を現わし、生命活動をしている。
宇宙には原因、結果の法則の中で生かされている。見えるものは見えない原因の現われとして見える現象の結果がある。現象界に現れているメッセージを理解して行く。
  • 一所懸命働いで財を成しても形態が消えれば持っては行けない。
  • 自分で生まれる時も死ぬ時も決められない。
  • 心臓は寝ていても止まらない。呼吸も止まることはない。
  • 筋肉も自分では動かすことのできない筋肉がある
  • 死ぬ時、肉体と意識が分離してしまう。
  • 超能力は人間の思考停止によって使う。
これらのことを見ても人間は自分が生きていると信じて疑わない。
宇宙は中性バランスであり、こ゚のバランスが生命であり、その現象が万象万物である。
「すべてのすべてありてあるもの、1つなる生命であると」
この世の現象から本当の自分に気づいて行く。故にこの世を仮の宿、俗世、浮世と呼ばれている。すべての万象万物は完全なる宇宙の中に生まれ、育って生命によって生かされている。
すべて完全なのである。現象は変化の中にあり、これを見てあると信じる心が自分を自縛してしまう。生き方を完全なるものの考え方から生き方を変えて行く。現象界で絶対にバランスを崩さない。グライダーの如く向かい風に向かって飛んで行く。グライダーはバランスで飛んでいるのである。中心バランスが自分なのである。グライダーが自分ではなく、反作用にのエネルギーが我である。我は姿、形ではなく、見えない空エネルギーが我である。
今まで形を自分だと信じてきた自分から見えない空エネルギーが本当の我であることに気づく。その為の現象界、この世は本宿に帰る途中の仮の宿である。

2022年6月9日木曜日

宇宙の根源は中心バランス

 

宇宙の根源は中心バランス

宇宙は1つの細胞体である。すべての万象万物は1つの生命体の中の一部である。全ては1つの宇宙の中で生かされている細胞体である。地球も1つの細胞の中の小さな細胞体である。人間はその地球の中に現象化している更に小さな細胞体である。見える細胞体は集合化して形に現れている。宇宙は1つの細胞体であり、見えないだけで実在している細胞体。空である。見えるものは見えない細胞の集合体である。見えるものは全て中心バランスによって現象化されている。見えるものは細胞体が集合化されているのであって形があるのではない。形は細胞の集合体の現象であり、あくまで集合体が見える形になっているだけである。その見える形に名前を付けているだけで、名前をつけたものがあるわけではない。
日本の漢字は見えないものを顕そうとする文字である。真理である。
見えるものは必ず見えるものを現すものがある。因果の法則がある。見えないからと言って信じないだけである。見えるものがあると信じるなら人間の形は無くなる事はない。実際は消えてしまう現象である事を認めない。人間は消えて行くものをあると信じるが故に生老病死に巻き込まれてしまう.
宇宙の根源は完全なる生命体。この中に居るものは全て完全である。人間の現象も宇宙の中に現象化されている。完全なるが故に現象化されている。現象は幻影なので消えて行く。現象は変化の中にあり、変化して元に戻だけである。変化させているものは変わらない。中心バランスは変化することはない。中心バランスが宇宙の根源であり、このバランスが生命である。



2022年6月8日水曜日

肥田式と遠心力

 


肥田式と遠心力

日本人の使う道具は引いて使うように作られている。ノコギリも外国は押して切るが、日本人は引いて切る。包丁も刀もすべて引き切りで使う。
肥田式の時に使う抜刀の刀も切っ先の遠心力を使う。身体の上半身の遠心力を使うということは切っ先の力を遠心力という力に変え、使う所にその力を使って行く。遠心力は心の力と書く。目に見えない力を使うということである。宇宙のエネルギーを使うということである。こ゚の宇宙の無限大のエネルギーを利用する為には身体の中心バランスが整っていないと無限大のエネルギーを使うことができない。刀も身体の中心と切っ先のバランスを取る必要がある。
人間も肉体と心のバランスを取ることで見えない無料の無限大のエネルギーを使うことができる。宇宙は元々完全バランスであり、エネルギーそのものである。このエネルギーによって人間は作られている。このエネルギーを如何に中心を整え使うかだけである。この無限大のエネルギーは身体の中心バランスを取ることで引き込むことができる。刀も長い方が遠心力が使える。遠心力とは目に見えない無限のエネルギーのことである。
肥田式の型もこの遠心力を最大限に利用しながら心と肉体のバランスを取り、宇宙エネルギーを如何に引き込むのである。宇宙エネルギーによって肉体は生かされていることに気づく為の鍛練である。本当の我は無我であることに気づく鍛錬である。

2022年6月7日火曜日

中心力と不老不死の仙薬


 中心力と不老不死

肥田先生は秦の始皇帝は自分の中に不老不死の仙薬があることを知らなかったと云われている。
宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、万象万物はこの中で現象化しているものに名前を付けているだけである。生きているのは象(カタチ)ではなく、生命が象を動かしている。宇宙には象が生きているものはない。生命の現われが現象化しているだけである。これをあると思ってしまうと囚われになってしまう。宇宙は見えるものがあるのではなく、見えないものが集合化して見えているだけである。中心力とはバランスであり、絶対なる宇宙バランスである。このバランスがなければ見える象(カタチ)、現象は顕れることはない。このバランスがあるが故に万象万物は現象化している。バランスの結果が現象である。
宇宙の原点は絶対バランス、これが全ての根源である。絶対バランスは調和であり、1つということである。1つなる絶対調和の根源があって初めて万象万物は現象化され、宇宙は絶対バランスを保つ事ができる。宇宙には最初から象(カタチ)は存在していない。宇宙は無限生命であり、無限とは1つであり、1つの中に 有限なる象は存在しない。生命は見えないバランスであり、生命が宇宙の塵を集合化させ、現象化させているだけである。見えないものが見えるものを現わしている。
見えるものは見えないものの現われであり、色即是空、空即是色、色心不二である。すべては1つの現われ、見えるものも見えないものもすべては同じもの。これが宇宙の本源本質である。ここからすべてが始まる原点になる。見える様々なものは質料の集合体であり、様々な形は愛の法則によって象(カタチ)という現象に現れている。象は現れ。現れしているものは陰陽に吸引の法則である。これが宇宙であり、我である。
中心力は宇宙の法則であり、生命は不老不死である。秦の始皇帝は存在しない象をあると信じる心が外に不老不死の仙薬を求めていたということである。実在していない現象に秦の始皇帝は囚われていた事を云われておられる。

2022年6月6日月曜日

肥田式は上虚下実の鍛練である。

 


肥田式は上虚下実の鍛練である。

今、人間は筋肉を付けることで力が出ると思っている人が多いと思います。その為に量の筋肉を求める。人間の動き方で上虚下実ということを理解している人が少ない。上半身に筋肉を付けてしまうと上半身の自由性が無くなってしまう。これで能力を逆に落としてしまっている。必要な筋肉は量ではなく、質の筋肉が必要なのである。「伸ばせばバターの如く、縮めれば鋼鉄の如く縮む筋肉」が必要なのである。筋肉の量を付けるということは自分の力で対応しようとするため身体を壊してしまう。部分だけを強化する為身体のバランスを失ってしまう。バランスによって力は出ることを理解していない。力はバランスなのである。バランスがエネルギーなのである。宇宙の法則なのである。肥田先生が中心力10、部分9の割合で動く時、幾ら激しい動き方をしても身体を絶対に壊すことはないと言い切っている。中心バランスなのである。上虚下実ということは上半身を弓のように使うことである。体の字を昔は「躬」という字を当てていた。上虚下実の身体の使い方は下半身の動きと上半身の動き方が違うのである。力で使うことを小手先というのである。伸ばして使うことは無限のエネルギーを引き込み使うことである。日本の古武道の使い方である。肥田式の抜刀も切っ先三寸を使う。引き切りで無限のエネルギー、利動力を使うのである。自然界は全てそのようになっている。渡り鳥はジムで筋肉鍛錬して何千キロも飛んではいない。作用、反作用の法則を使っているだけである。人間はこの現象界でグライダーの如く、向かい風に向かって飛ぶことで、自分はエネルギーによって動かされている存在であり、生かされていることを理解する。ヨットも向かい風に向かって前に進むのである。進む力は自分では出してはいない。エネルギーがヨットを動かしている。ヨットは動かされている。
これを理解するには中心力10、部分9の力の配分で動いている事に気づく必要がある。これが上虚下実の意味である。肥田式はこれを利動力という形で使っている。風の鳥と云われるヒマラヤの8000mの山を越えるアネハヅルは逆風の風に向かってその奥にある上昇気流を命がけで捕まえる。命がけで行動を起こす時、誰でも人間はエネルギー、知恵が使えるという法則を知る。知恵はエネルギーであり、同じものである。学んで使うことではなく、必死の気で動く時、知恵と力が使えるのである。肥田式は1息に命をかける鍛錬である。
逆風はエネルギーであり、知恵である。これが我である。姿、形は知恵を表現する為の媒体である。肥田先生も人間は神の子であり、神の器であると云われている。
抵抗は素晴らしいエネルギーであり、抵抗の奥には本来の全知全能の神の子の我がいるのである。