この世は現象を通して見えない我を確認する場所である。
宇宙は1つなる無限大の生命体である。1つなる無限大の生命の中に人間という有限なる見えるものは存在するのか?
それは無限なる生命が現象として現わしていることに気づかなければならない。
宇宙は永遠なる生命体であり、永遠なるものの中には有限的な見えるものは絶対に存在しない。何ぜ見えるものがあるのだろうか?何ぜ人間が現象化しているのだろうか?人間には何のお役目があるのだろうか?
地球は地の星である。見えるものは現象の世界である。見えるものは実在していない。地球って見える。地球は実在しているの?それだけ地球は波動の低い星だということである。実在していない星、地球惑星と云い、惑わす星と書く。人間はこの中に存在している。現象化している。何故、何故、何故?
人間は万物の霊長と云われているのに宇宙は無限の永遠なる生命体でありながら人間は有限な生き方しかできないのだろうか?人間はそのような人生しか歩むことしかできないのだろうか?悲しい人生しか送ることがきないのだろうか?この世で幾ら財を成しても死んでは持って行けない。幸せになる為に一所懸命に働いてお金を貯めているのに?
宇宙は完全なる永遠なる世界である。本当の幸せは見える世界にはなく、見えない世界に本当の幸せがあることに気づく為の現象である。本当の幸せは自分の中にあることに気づく為の現象界、幻の世界がこの世である。仮の宿である。青い鳥は外に求めるものではなく、最初から自分の中にあったことに気づくために実在しない仮相界がある。本来の我に気づく場所である。本来の我は死なない我であり、その確認をする場所が仮の宿、俗世、浮世と呼ばれているこの世である。何でもありの世界で様々な経験を通して本当の自分に気づく世界。死んでも死なない世界であり、安心して学べる世界である。キリストが肉に死ぬものはまた生まれると云っている。人間に与えられた使命は人間の固体から離脱し、波動を上げ、地の星を光る星にすることにある。