2022年6月27日月曜日

本物と偽物


 本物と偽物

本物は永遠にあるもの。なくならないもの。偽物は消え行くもの。宇宙は1つなる生命体であり、絶対になくならないものが1つなる宇宙生命である。これだけが実存しているだけである。見えるものはすべて1つなる生命の現象になる。1つなる生命が多神を造る。多神は1つなる生命の現象ということになる。多神とは見えるものすべてである。宇宙には1つのものしか存在していないということになる。
人間も現象であり、実在してはいない。見えるものをあると信じる心が惑わしているだけである。本物は見えないエネルギーである。見えるものは見えないものの現われであり、実在しない現象である。見えるものは見えないものによって現象化しているだけに過ぎない。
本物は見えない。現わしている本質が質料を通して見える形となって顕れている。本物とは宇宙の1つなる見えない生命だけがあるのみである。見えるものはすべて偽りの現象である。 


2022年6月26日日曜日

不安、恐怖が起きる生き方は間違っているというメッセージである。


 不安、恐怖が起きる生き方は間違っているというメッセージである。

宇宙の1つなる生命は姿、形はない。姿が見えない為、質料を通して現わしている。
宇宙エネルギーは完全なる全知全能の力であり、知恵である。形を持たないが故に不安。恐怖を持つことはない。人間は生命の結果として現象化している。現象なので、実在しない。其処には悩み、苦しみはない。人間の現象をあると信じる心が 作り出す幻影である。
生き方が間違っているというメッセージなのである。完全の中に不安、恐怖はあり得ない。
現象の中に本物は存在しない。不具合を起こしているということは間違いの人生に生きているということである。宇宙内で争い、憎みあいをしているものは波動の低い所に居るということになる。それを通して学んでいるのである。人間の現象はなくなっても生命は消えることはない。氷が水になり水蒸気になっているだけである。氷が自分だと思っているとまた氷に生まれてくるだけであると。病気もメッセージであり、仮相の人間を生きようとするために起こる現象である。人類救済は1人、1人の波動を上げることである。最低の波動領域の現象界から離脱して行くこと争いをなくす方法である。1つなる生命が多神を創る。多神は1つなる生命の現われであることに気づけば争いは無くなる。完全発酵すれば害を与えることはなくなるが、未発酵の状態の時には害を及ぼす。石炭は固体、石油は液体。どちらも未だ未発酵の状態であり、害を及ぼしてしまうが、気体になれば害を出すことはなくなる。人間は今、固体の石炭の状態、未発酵の状態にある。


2022年6月25日土曜日

中心力とフリーエネルギー


 中心力とフリーエネルギー

人間の身体は小宇宙であり、大宇宙である。宇宙は永遠なる絶対バランスであり、人間も大バランスの中に存在している。人間の中に中心がある。これが宇宙と一体化になる道である。宇宙は絶対バランスの生命体である。フリーエネルギーである。宇宙は1つなる大バランスのエネルギーである。人間も小宇宙であり。無限大のエネルギーそのものである。人間は形を見て人間と思ってしまう為、本源は永遠なる生命であるが形を見て小さな形に囚われ、本来の大宇宙そのものであることを忘れ、無限の中で有限なる生き方をしている。形はエネルギーがなくなれば存在できなくなる。
人間は死ぬ時、魂が抜けたという言葉をさりげなく使っている。魂が自分であることも知っている。魂は永遠である。魂は死なないことも理解している。それでも人間の死を認めてしまう。
宇宙は1つなるエネルギーである。生命は姿、形ではない。見えないエネルギーである。
人間は形を見ないと安心しない。無形無相の見えないものは信じない。
人間の姿、形は肉体に内在している見えない中心力のエネルギーがなければ人間の形は存在しない。人間を作っているものが本当の自分であり、永遠なる生命である。見える姿、形が自分ではなく見えないエネルギー体である。姿、形は見えない我の現象である。人間は永遠なるフリーエネルギーである。肥田先生が「天寵無限」という言葉を使われるが、無限なるエネルギーと受け入れる器が同じでなければ受け入れることはできない。肥田先生が云われるように人間は神の子であり、神の器であるということが理解できる。


2022年6月24日金曜日

意識が自分?肉体が自分?


 意識が自分?と肉体が自分?

肉体は意識によって動かされている。肉体が動く時、必ず先に意識が動く。何処に行きたい。何をしたいと想念が動くと肉体は忠実に動いてくれる。嬉しいと思えば嬉しい表現をしてくれる。悲しいと思えば悲しい表現をしてくれる。肉体は心の想いに忠実に動いてくれる。意識によって肉体は動かされている。
宇宙は1つなる生命体であり、意識も1つである。人間は1つなる宇宙生命の現象であり、意識は1つなる宇宙生命の意識である。この意識で人間は動かされている。宇宙は完全バランスであり、バランスが生命であり、人間は宇宙生命のバランスによって生命活動をしている。
人間は宇宙生命の中で生かされていることに気づかず、宇宙の意識によって動かされていることに気づかず、人間は肉体に生きようとする為、バランスを崩してしまう。意識はエネルギーであり、自我で動こうとする為、エネルギーを取り込むことができなくなってしまう。
中心力とは宇宙エネルギーのことであり、内圧を上げることでエネルギーが引き込まれてくる。内圧を上げるということは意識圧を上げるということである。肥田式で使う中心力10、部分力9ということは中心バランスが取れないと肉体を自由自在にコントロールすることができない。意識はバランスである。中心力10、部分力9で動く時、身体を壊すことはないと肥田先生は断言している。
意識が肉体にあり、肉体を鍛えて能力を出そうとしても出ることはない。意識が自分であると思う時、中心バランスが取れ、全力が使える。全力とは自我の全力でなく、宇宙力のことである。宇宙は陰陽の法則、完全バランスによって永遠なる生命体を成している。
肉体が我ではなく、意識が我なのである。想念は実現の母である。想ったことが現われる世界である。投げかけたものが帰ってくる。自分の意識の仕方で変ってしまう世界である。今の自分は自分でシナリオを作り、自分で動いている。本来の我は肉体ではなく、見えない意識、霊意識が我である。

2022年6月23日木曜日

この世は現象を通して見えない我を確認する場所である。


 この世は現象を通して見えない我を確認する場所である。

宇宙は1つなる無限大の生命体である。1つなる無限大の生命の中に人間という有限なる見えるものは存在するのか?
それは無限なる生命が現象として現わしていることに気づかなければならない。
宇宙は永遠なる生命体であり、永遠なるものの中には有限的な見えるものは絶対に存在しない。何ぜ見えるものがあるのだろうか?何ぜ人間が現象化しているのだろうか?人間には何のお役目があるのだろうか?
地球は地の星である。見えるものは現象の世界である。見えるものは実在していない。地球って見える。地球は実在しているの?それだけ地球は波動の低い星だということである。実在していない星、地球惑星と云い、惑わす星と書く。人間はこの中に存在している。現象化している。何故、何故、何故?
人間は万物の霊長と云われているのに宇宙は無限の永遠なる生命体でありながら人間は有限な生き方しかできないのだろうか?人間はそのような人生しか歩むことしかできないのだろうか?悲しい人生しか送ることがきないのだろうか?この世で幾ら財を成しても死んでは持って行けない。幸せになる為に一所懸命に働いてお金を貯めているのに?
宇宙は完全なる永遠なる世界である。本当の幸せは見える世界にはなく、見えない世界に本当の幸せがあることに気づく為の現象である。本当の幸せは自分の中にあることに気づく為の現象界、幻の世界がこの世である。仮の宿である。青い鳥は外に求めるものではなく、最初から自分の中にあったことに気づくために実在しない仮相界がある。本来の我に気づく場所である。本来の我は死なない我であり、その確認をする場所が仮の宿、俗世、浮世と呼ばれているこの世である。何でもありの世界で様々な経験を通して本当の自分に気づく世界。死んでも死なない世界であり、安心して学べる世界である。キリストが肉に死ぬものはまた生まれると云っている。人間に与えられた使命は人間の固体から離脱し、波動を上げ、地の星を光る星にすることにある。

2022年6月22日水曜日

真理は1つである。


 真理は1つである。

真理は1つである。宇宙は1つなる生命体であり、1つの中に様々なものは存在しない。宇宙は1つなる生命が様々な形態をつくり、その中で1つなる生命が息している。人類は様々な形の現象を見てそれをあると信じ、部分的な見方をしてしまう。其処に争いが起きてしまう。争いは1つなるものを様々な形をあると思い、その中で自分が一番正しいと思う心が引き起こしてしまう。
宇宙は完全なる生命体であり、その中には不調和はない。不調和があるとすればそれは想いが間違っているということである。完全の中に不完全はあり得ないのである。
人類は見える結果形態を持っている。見える形態は現象であり、それをあると信じて分離感を持ってしまう。
宇宙は完全なる生命体であり、その中に居るものはすべて完全であるという意識から物事を考えて行く。其処には争いはない。1つの中に争いは生じない。部分的な不完全な見方、分離感から、争いを起こす。エネルギーは宇宙には無尽蔵に存在している。人間はエネルギーが質料を変化して現象を現している。人間はエネルギーの器である。宇宙の無尽蔵の生命エネルギーを放射させて行くことが人間という器に与えられた本来の使命である。すべて持って生まれている。この世を生きるのではなく、人間という神の器を使って無限大のエネルギーを1人、1人が引き出して行く。現象界は生きる世界ではない。自分が自分に気づく為の仮相界である。人間という現象、結果から物事を考えると必ずアンバランスを起こす。人類が高度の文明を築くと必ず起こしてしまう天変地異。これは人類の生き方が間違っているというメッセージである。人類が成長するには宇宙真理からの発想でなければ人類の進化はない。1人、1人は神の子である。答えは人類の1人、1人の中にある。


2022年6月21日火曜日

宇宙は1つなる愛の生命体である。

 

宇宙は1つなる愛の生命体である。

宇宙は1つの生命体である。1つということは2つはないということである。善悪は存在しないということである。何ぜ人類には善悪があるのか?
1つのものを2つに見てしまう結果、善悪が生じてしまう。1つの中に有限なるものは存在しない。見えるものをあると思う心が善悪の心を生み出している。
見えるものは結果であり、見えるものには必ずそれを顕す原因がある。それが見えない陰陽のバランスである。波動の違いによって水蒸気は水になり、氷になる。すべて同じものである。見えるものは波動が低い為に見える姿、形を現わす。見える人間の波動はエネルギーが低い。その為に分離感が生まれ、争いを引き起こしている。
宇宙は1つなる生命体である。その中に地球という惑星の細胞体があり、その中に人間という細胞がある。すべて1つなる宇宙細胞体であるが、人類は仮相の形を見てあると信じ、自分が一番偉いと思い込み、バランスが生命であることに気づかず、地球のバランスを自分が生きる為に崩している。それを平気で天災、災害と呼んでいる。自分達は悪いことはしてはいないと思っている。このようなアンバランスの現象は人類が本当の我に気づく為にある。宇宙は1つなる永遠なる生命であることに気づくある。現象は実在していない。仮相界であり、見えるものはすべて現象であり、地球も現象であり、天変地異が起こっても本源、本質はなくはならない。万物の霊長と云われる人間はこのことに気づき、本当の我に気づかなければならない。すべては1つの愛の永遠なる宇宙細胞体であり、人類はその中の一部であり、宇宙そのものであることに気づかない。人類は1人、1人が自分の波動が上げ、この波動の低い世界から抜け出さなけれなならない。現象界は昆虫が脱皮するように人間も人間という芋虫から脱皮するためにあるのである。消え行く現象、幻の世界に幸せは絶対にあり得ない。現象界は気づくための世界である。この世で幾ら財を成しても死んでは持ち帰れないことを知っていながら現象界を生きている。宇宙は無限なる永遠なる生命体であり、無限なる生命であること有限な生き方を通して気づく為のものであることに気づく。現象界を楽しむも脱皮するも本人の自由意志である。