2022年7月23日土曜日

1つなる生命の現われ


 1つなる生命の現われ

宇宙は1つなる生命体。生命は見えない。万象万物は1つなる生命が現象化しているもの。
見えない生命は何かの媒体を使わないと現わすことができない。その波動領域の質料に宿り、生命を現わしている。現われているものは形態に宿る見えない生命が形態と一体となり、見えない生命が姿、形を通して現れている。隠れ蓑として宿っている。本質は隠れ蓑である。
天と地に分けられた惑星、地球。この地の星の波動を上げる為に人間という万物の霊長と云われる形態が造られている。地の星から光る星に波動を上げる為に。
自然界には自由意志はない。人間にだけ自由意志が与えられている。こ゚の自由意志を使って人間という形に宿る宇宙生命の分霊と宇宙生命が一体となり、地上界に光を注ぐ。これが宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれ、生きるものになった人間のやるべき使命である。
宇宙は無限生命であり、有限なる人間は存在しない。現象である。
宇宙生命は自分を現わす為には何かの媒体を使わなければ現わすことはできない為に。万象万物の形態を使って現わしている。万象万物すべてに宇宙生命体が宿っている。宇宙生命体の化身が万象万物である。万物の霊長に与えられている使命は地の星を光る惑星にするために人間に自由意志が与えられている。人類はこの自由意志を見える現象に使って自縛している。
万物の霊長の使命は人間を生きるのではない。人間という道具、器を使って地上界の波動を上げることである。人間の裡に宿る意識波動を使うことで、波動を上げる。人間は神の波動を上げる器であり、器に宿る神の子である。
宇宙の全知全能の知恵、力を引き出して使うことで、地球の波動を上げて行く。その力は裡から引き出して行く。「神の知恵、力は汝の内にあり」である。 



2022年7月22日金曜日

人間と企業JV


 人間と企業JV

宇宙は小宇宙の集まりである。小宇宙は大宇宙の中に存在している。万象万物は大宇宙の中の小宇宙である。人間も宇宙の中の小宇宙であり、人間の中でも細胞の集合体を作り、1つのjv企業体として現象化している。仕事が終わればjv企業体は解散し、又小さな会社に戻るようなものであり、JV企業体が解体しても集合化した企業が無くなる訳ではない。人間も姿、形がなくなっても死んでなくなることはない。見えなくなるだけである。
人間という細胞の集合体は1つなる宇宙細胞体の中の1つであり、万象万物はすべて宇宙生命体の一部である。すべては1つの宇宙生命体の中の小さな1つの細胞体であり、全体である。
全ては1つ。見えるものだけがあるのではない。見えるものは見えないものが宿り、見える現象を現わしている。すべては1つのものの現われである。




2022年7月21日木曜日

聖書とは!仏書とは?


 聖書とは!仏書とは?

聖書、仏書に書かれているものはすべて1つなる見えない生命、宇宙生命体、宇宙の本源、本質のことを現わそうとしている指南書である。書かれているものは見えないものを現わそうとする為の例えである。見えないものを現わす為には見えるもので説明しなければならない。その例え話をそのまま受け取ってしまうと間違いを起こしてしまう。すべては1つなる生命を現わそうとする例えの話である。例え話をそのまま使う為、色々な宗教が生まれてしまう。宗教戦争になってしまう。すべてが1つであれば争いはない。
宇宙は1つなるバイブレーションの世界である。聖書はバイブルと云われているのはバイブレーションのことである。バイブレーションは目には見えない。この波動が生命である。
この1つなる生命を神と呼んでいる。神様が別にいるわけではない。もし神様いるとするなら宇宙は無限神、宇宙神にはならない。無限ということは1つであるということである。
すべては1つなる生命の現われ。様々なバイブレーションの中で様々な形態が造られ、1つなる生命が宿っている。
万象万物はすべて1つなる生命の化身になる。日本では八百万の神と呼ばれている。様々な神がいるのではなく、様々な形の中に1つの神が宿っている。でなければ無限宇宙にはならない。様々な形はあってもすべて1つなるものの現われである。
肥田先生は宇宙倫理の書でこれを現わそうとしたと思います。真理は1つしかない。この真理が第3次世界大戦を防ぐために書かれた書であることは間違いはないと確信する。
宗教という字は宇宙を示すと書く。宇宙は1つなる無限生命体である。真理は1つである。沢山の宗教があるということは真理ではないということになる。1つなる真理は争いのない世界である。


2022年7月20日水曜日

宇宙の本源、本質は1つなる無限生命体である。


 宇宙の本源、本質は1つなる無限生命体である。

宇宙の完全なる生命体が現象として万象万物を現わしている。見える生命体として。すべて宇宙法則に基づいて生かされている。宇宙の中に存在するものは1つの宇宙生命体として活動している。
人間も宇宙の永遠なる生命体の中におり、生かされている。自ら働いて生きるものではない。すべて持っている存在であり、無限の生命エネルギーの放射体として現象化している。人間は無限大の宇宙エネルギーを肉体を通して、受け流す器として造られ現象化している。
生命エネルギーが万物を造っている。人間は今、動植物からエネルギーを頂いている。すべての原点は生命エネルギーであり、本源はエネルギーであるから敢えて動植物から取ることをしないで直接エネルギーを取り出すことができるように造られている。肥田先生は「蜂蜜の話の中で他人のものをとるな」と云われている。
全ては気体の現われであり、この気体が本来の我である。姿、形は持たない気体が我になる。
真理は1つであり、1つの中に自分は存在しない。宇宙は1つなる生命体なら、我は宇宙生命そのものではないか?宇宙即我とお釈迦様が云われいるがすべての根源は1つなる宇宙生命以外存在しない。これを如何に実感し、そのものになって行くかが今生での使命である。



2022年7月19日火曜日

土壌と意識


 土壌と意識

酸性土壌には酸性の植物が育ち、アルカリの土壌にはアルカリの植物が育っている。虫も酸性の植物には酸性の虫がよってくる。人間は虫がくると殺虫剤で虫を殺す。敵と見てしまう。土壌が酸性体質の為に植物も酸性になってしまう。酸性の虫は中性に戻す為に現れる。酸性の植物がなくなれば、現れることはない。土壌を中性に戻すことで、酸性の虫は来なくなる。すべてはバランスである。土壌と植物は一体である。
人間も同じであり、人間の土壌は意識である。意識したものが顕れてくる。人間は意識が我であり。人間は意識の表現体である。良いことを思えば良いことが現われる。悪いことを思えば悪いことを肉体は表現する。肉体が病むのは心の病みが肉体を通して現れているのである。
人間は肉体が悪くなった時、医者に駆け込む。植物に虫がくると殺虫剤を使って虫を殺す。何故、虫がくるのか?何故、病むのか?を見ない。原因が病をつくっていることに気づかない。
肉体を自分であると思う心が心のバランスを崩し、病気を引き起こす。見えるものは見えないもののバランスで形態を現わしている。すべての本源は心である。意識である。植物と土壌とは1体であり、人間肉体と心も1体である。人間は大宇宙の中の小宇宙であり、小宇宙は大宇宙そのものである。すべては1つなる大宇宙生命体があるのみである。


2022年7月18日月曜日

現象は見えないものを現わす媒体である。


 現象は見えないものを現わす媒体である 

宇宙は1つなる無限なる生命体。1つしかないものの中に2つはない。ということは見える万象万物は存在しないということである。真理は1つである。見えないものがだけがあるということになる。
物事を単純に考えればいいのではないか。
見えるものはすべて1つなるものの化身であるということは人間も現象であるということになる。存在していないということになる。何故人間は生きていると錯覚してしまっているのか?
それは1つなる生命は見えないために、見える質料が動いているように見える。見えないものが動かしているとは殆どそのようには思わない。それに気づく時がある。死ぬ時である。死ぬ時は肉体と見えない意識が分離する。また息が止まると肉体は動かなくなる。こ゚の時に見えないものが見えるものを生かしていることに気づくチャンスなのであるが、殆どのものが肉体に生きているため気づかない。肉体は休んでいても心臓も止まらない。自分と思っている肉体も死ぬ時、自分では決めることはできない。冷静に考えると理解できるが、人間という固定観念があるため見流し、聞き流してしまっている。如何に固定感を取ることが難しいかを感じる。一度思った固定観念は余程のことがない限り漂白できない。知識で解っていてもできない。
素直な心に中々なることができない。幾ら説明されてもこの固定観念、自我からの解放ができない。外を見る心が内なる心を閉じ込めてしまう。肥田先生の「誠」は深い意味を持っている。自分があると思う人間には肥田先生の云わんとすることは理解できない。無我になって初めて理解できる。肥田式を使って少しでも自分の能力を高めようとする自我の人間には肥田式は理解できない。肥田式は目に見えない利動力、生命の気づきの為の鍛練だからである。
中心力とは宇宙であり、我であるから。本当の我は見えない原子と電子である。無限の生命、永遠なる生命が本当の我である。お釈迦様が云われる「宇宙即我」である。
見えるものに生きるは死、見えない生命に生きるは永遠であるとキリストも云われている。
肥田先生は「中心の鉄扉を開かずして生涯を終るものは 米を抱いて餓死するが如し」と云われている。すべて同じ意味である。


      

2022年7月17日日曜日

人間という現象我の克服


 人間という現象我の克服

宇宙内は1つなるバイブレーションによって生命が存在している。バイブレーションの違いによって様々な形態が造られ、その中に1つなる生命が宿り、その形態の中で神の波動を放射している。生きているのである。生きているのは神の波動である。姿、形は神の波動を現わす器である。人間は文明を発達させようとして地球のバランスを崩し、天変地異を繰り返している。この間違いにいまだに気づかない。
人間という波動の低い状態で文明を発達させようとするため、地球のバランスを崩す。
現象の人間は実在しないことを認めることができれば地球は地の星から光る星になる。この任務を人間に与えられている。人間は神の子であり、神の器である。万物の霊長なのである。
全ては1つなる中心生命体が実在している。見えるものはなに1つ実在しているものはない。
すべてのすべてありてあるものは1つなる生命、目に見えない原子と電子、神である。これ以外実在しているものはない。中性なる光だけが実在している宇宙生命体。この中で万象万物は現象化している。1つなる生命が現象化させている。真理は1つである。人間は波動が低い状態が故に姿、形として現れている。人間は宇宙で1番偉い存在であると思っている。
これに気づかない限り、地球の進化は望めない。人類は今、動植物以下の生き方をしていることに気づかない状態である。1人、1人が自分の波動を上げ、この現象界から抜け出すことで人類を救うことができる。