2022年8月19日金曜日

中心力が我である


 中心力が我である

一般的に人間が自分だと思っている人が大方であると思いますが、宇宙は無限生命であり、無限生命の中に有限なるものは存在しない。万物は現象である。聖中心道は宇宙の無限大の生命エネルギーを肉体を通して現わす媒体として使って行く。天寵無限という言葉は人間が居て、宇宙の力を引き出すことではない。人間は宇宙の塵に息を吹き込まれた存在なのである。人間が中心ではないのである。人間は宇宙細胞の小さな細胞であり、生かされている存在である。宇宙力は高バイブレーションであり、人間の自我では引き出すことはできない。無我、自分を捨て宇宙と1体になって初めて無限大のエネルギーと知恵が引き出すことができる。
形あるものには必ず中心があり、中心より宇宙エネルギーが流れ、肉体を維持している。中心力が我である。自分があると思う者は使う事はできない。人間、本来無我なのである。
肥田先生は宇宙と1体となり、この無限大のエネルギーを肉体を通して現わしている。肉体を使って人生を豊かに生きる為に使うものでは無い。宇宙の高バイブレーションの波動を引き込むことで周りの波動を上げて行く。地上界の波動が上げれば争いがなくなる。争いは波動が低い為に起きる現象である。
人間はこの世に何のために生まれて来たのか?お金を儲けるため?結婚して子供を作るため?
そうではない。本当の我に気づき、現象界の波動を上げ、解脱する為に生まれて来ているのである。この世に現象として現れているということは見えるものに囚われ、波動を上げることができず、この現象界に留まっているのである。キリストが「この世で富める者はラクダが針の穴を通るが如し」と云われている。私を含め地上界に形を現わしているものは自分の波動を上げることができず、さ迷っている者の仮の宿である。


2022年8月18日木曜日

神は愛の科学


 神は愛の科学

宇宙は1つなる生命体、1つなる生命が万象万物を現象化させている。見えるものはすべて1つなる生命の現われである。万象万物は1つなる生命の法則によって現象化している。1つなる根源の法則によって現象化している。人間も然り。
この1つなる神の愛の法則によって自然界も現象化している。人間は見えるものだけをあると信じ、現わしているものを見ない為に様々な横暴を働き、自然界のバランスを崩している。
人間は無限生命の中に現象として現れていることに気づけば争いはしない。宇宙は1つなる家族である。見える現象がなぜあるかというのは「すべてのすべてありてあるものは1つなる生命」であることに気づく為に現象がある。現象界は実在しない仮相の幻影の世界であり、この仮の宿で、幾ら働いて財を残してもすべて消えてしまう。見えるものに囚われるとお釈迦様が云われるように生老病死の四苦を持ち込み、不安、悩み、死の恐怖に取り付かれ、人生の荒波に持て遊ばれてしまう。波動を上げることができない。実在しない仮相界で現象界から離脱して波動を上げ、高バイブレーションの神の本宿に戻る。神の愛の法則によって現象界を離脱して行く。宇宙は物質世界ではない。霊界であり、波動の世界である。
想念の世界である。実在するものは愛の法則であり、宇宙科学である。原子と電子の法則の世界である。この見えない法則を神、仏と呼んでいる。




2022年8月17日水曜日

光陰矢の如し


 光陰矢の如し

一般的に月日のたつのは早いという意味で使っているが、光には時間はない。あるのは光によって映し出される質料が陰、影である。影は消え行く存在であり、人間のことを現わしている。人間は宇宙の塵、質料であり、影は光によって動かされている。人間も陰であり、光によって人間の形態が造られ、光によって生かされている。人間は宇宙の塵で人間の形を造り、息を吹き込まれたと聖書にも書かれている。人間は宇宙の塵で形が造られそれを人間と名付けているに過ぎない。形の名前が人間と言う呼び名である。人間は実在しないということになる。
人間の本体は陰に宿る光である。光が影を現象化している。光と影は一体で動く。
光が我であり、影は肉体であり、1つである。肉体を自分と思ってしまうと偽りの自分に生きることになってしまう、生老病死の四苦に惑わされ、生きることになる。偽りの人生になってしまう。本来の我は永遠なり生命、宇宙生命である。宇宙霊光であり本来の我に戻って行く。



2022年8月16日火曜日

無我の境地


 無我の境地

何かをする時、心を1つにしなさいと云う。
心って何?1つの心とは宇宙は1つなる生命体であり、すべてを1つとして行動をしなさいということである。1つということは宇宙は1つの生命体であり、自分を捨てて1つの心になる。心は1つ宇宙の心しかないのである。人間は色々な知識を学んで能力出そうとするが、能力を捨てることであることに気づかない。能力は学ぶものでは無く、自分を捨てることで能力が出てくる。力は作るのではなく、すべてを捨てた時、入ってくる。無我ということは自分を無くす状態になって始めて知恵、力を使うことができる。宇宙の中に居て自分を捨てるということは宇宙と一体になるということである。自分は存在しないということである。自分を持っていると力が使えない。
無我の境地とは自分をなくすことで能力が出てくる、これが宇宙の法則である。
人間は存在していない。人間が存在していると思う心が心が自分を縛っている。




2022年8月15日月曜日

中心バランス

 

中心バランス 

宇宙は1つなるバランス生命体。完全なる中心バランスである。中心バランスとは陰陽の調和であり、其処には中性の光が生まれる。これが力であり、知恵である。宇宙の全知全能の知恵が宇宙の力である。宇宙はこの光の王国である。
宇宙のこの無限なる絶対調和が宇宙の本源、本質である。宇宙の創造神である。これが宇宙の見えない本源、本質である。万象万物はこ゚の完全バランスの中で生かされている。
宇宙はこ゚の1つなる中心バランスによって構成されている。モノが具現するのも中心バランスであり、ものが消えるのもこのバランスが崩れる為の起きる。原点は変化することはないが見える現象だけが変化する。
人間の現象もバランスを失う為の形は見えなくなるだけで本源本質はなくなることはない。人間は姿、形がなくなることを死と呼んでいるが、形はなくなっても本質はなくなることはない。モノが現象するのはバランスであり、消えるのもアンバランスである。
宇宙はすべて絶対バランスである。この中で万象万物は現象化している。生命が様々な形態を現わしている。人間も同じである。バランスで姿、形を現わしている。
人間が病気になるのはこのバランスを自ら、狂わしている為に起きる現象である。
肥田先生が「天真療法」でこの事を説いても皆、医者に走ってしまう。人間は神によって造られた器である。人間は生きる為に存在しているのではない。神の器として存在しているのである。人間は存在しないということに気づかない人類。生命は宇宙生命であり、其処には個人的な人間は存在していない。肥田先生はこのことを知って居られた。肥田先生の言うことを素直に聞くものだけが回復している。我欲の強いものはバランスを失い、肉に死んでしまっている。中心バランスが生命であり、本当の我である。人間は神の子であり、神の器である。自分は存在しないのである。



2022年8月12日金曜日

仮相の我から実相の我へ


 仮相の我から実相の我へ

宇宙は1つなる無限生命体である。1つの中に2つは存在しない。見えるものはすべて現象であるということになる。無限生命ということは生命は無限であり、無限ということは見えない生命体であるということである。無限ということは永遠ということである。見えるものは無限生命の仮の姿であり、現象である。現象は消えて行く存在である。
人類はこの仮想の姿、形をあると信じ、本来の実相の我を忘れ、見える仮相の我に生きてしまっている。本当の我は無限生命であり、永遠なる神の生命体であることに気づかないでいる人類の現状である。仮相に生きてしまうとアンバランスを生み出してしまう。地球のアンバランスを招き、自縛の道をたどることになる。無限生命は完全バランス、こ゚の完全バランスを自ら崩してしまう。1つなる無限生命の中には争いはないが、仮相の世界には分離感のため、争いを引き起こす。争いはアンバランスの結果である。有限なる我から無限なる本当の我に戻る。
人間という仮相の現象の自分から実相の見えない永遠なる生命に戻る。
宇宙には有限なる見えるものは存在しない。見えるものはすべて仮相である。
色即是空、空即是色、色心不二であり、見えるものは見えないものの現われであり、生命の化身である。八百万の神は1つなる生命の化身である。すべては神であり、無限生命である。




2022年8月9日火曜日

見えるもの、見えないもの


 見えるもの、見えないもの

宇宙は唯一の生命体であり、これだけが独存する。
1つの中に2つは存在することはない。見えるもの、見えないものすべて1つである。見えるものは1つの中の現われ、現象である。宇宙は1つなる細胞体であり、見えないものも細胞体であり、その中には時空間は存在しない。1つなる宇宙細胞体、1つなる生命体、宇宙に存在し、見えるものは人間小宇宙の中の臓器のようなものである。宇宙は1つの神体である。すべては1つの宇宙生命体。
1つの中にある見えるものは実在しないことを理解しなければならない。人間はこれが理解できず、現象界の幻想に生き、無いものをあると信じるため、分離感が生まれ、争いの中に自己保存の為に生きてしまっている。宇宙は無限大の質料と無限大のエネルギーが宇宙生命体であることに気づかない。気づけば争いはしない。消え行く幻想の中から脱皮ができずに人類はいる。仮相の中で自分が一番偉いと思い違いをしている。滑稽である。これに気づいた1人、1人が自分の波動を上げ、現象界から離脱して行く。これが現象界で成すべきことである。