2022年9月23日金曜日

中心力が我なり


 中心力が我なり

宇宙にはたった1つの生命体があるのみ。すべてが1つなる生命体である。無限生命体である。その中に万象万物は無限生命によって具現されている。宇宙は無限生命体であり、永遠である。永遠なる中にあるものはすべて永遠である。人間も永遠なる生命体の中に存在している。よって人間も永遠であるということになる。
何故、人間は有限であると思ってしまうのか?それは形を見るからである。形は現象であり、常に変化して止まない質料である。この見えるものをあると思う心が人間には死があると勘違いをさせている。お釈迦様が色心不二と真理を示されているが、この真理を理解されていない為に生老病死の四苦に未だに惑わされ続けている。
人間は1つなる生命の現われであり、宇宙生命体であるということである。永遠なる生命体であるということである。
1つなる生命とは陰陽の法則であり、中心バランスである。これが永遠なる生命体の根源である。これを神と云い、仏と云い、天照大神と云っている。形あるものの中には必ず中心がある。この中心なるエネルギーが形を現象化させている。これが形を造っている。これが現象を現わしているものである。人間の形は現象、それを現わしている中心力が我である。
我の本性は姿、形ではなく、中心なる生命エネルギーが我である。生命エネルギーは宇宙には1つしかない。万象万物は1つなる宇宙生命体の化身である。宇宙生命体が我である。すべてが宇宙生命体のなかの細胞体である。見えるものをあると信じる心が無限生命の中に居ながら有限なる現象に囚われ、惑わされてしまっているだけである。
1つしかないものを2つに分け、見えるものをあると見てしまうことでエデンの園から追放されてしまう。自分で自分を追放している。エデンの園は自分の内にあり、いつでも帰れるのである。エデンの園は中なる心、中心である。これが我である。


2022年9月22日木曜日

天寵無限と肉体


 天寵無限と肉体

宇宙は1つなる生命体。すべてのすべてありてあるものは1つなる生命体であり、すべてのものは宇宙生命体の中に存在している。人間も然りである。
天寵無限は天は無限なる生命エネルギー体であり、
無限なるエネルギーが様々な現象を現わしている。人間も1つなる生命の現象である。万象万物は見えない生命エネルギーが現象化したものである。形を見るから人間と呼んでいるだけである。
人間の器、神の器をどのように使えば良いのか?宇宙には1つなる生命エネルギーがあるのみである。こ゚の生命エネルギーを肉体を通して現わして行く。万物はそれを忠実に行っている。
万物の霊長たる人間は自由自在に宇宙エネルギー放射することができる。その為に人間という器が造られている。人間の細胞を通して無限大の生命エネルギーを放射させることで、地球の波動を上げて行く。
人類は善悪の木の実を食べた為に1つなる生命に善悪の見方を持ち込み、見えるものに生き、争いの仮相の世界に囚われ、本質に気づかなくなってしまった。本当の我が自分の中にあるのに気づかず、外に求め、自分で創り出した争いの仮相の世界に生きている。
肉体は神によって造られた神の器であり、その中に神が宿っている。我は神の子であり、神の器である。人間という自分は存在しない。見える形を人間と勝手に呼んでいるに過ぎない。
汝の神は汝自身なり。汝の仏は汝自身なり。天照大神は汝自身なり。すべてが1つなる霊である。
宇宙は1つなる見えない生命体であり、霊体である。物質世界ではない。宇宙霊である。それ以外何ものでもない。人間は万物の霊長であり、すべて見えるものはすべて霊の化身である。1つなる霊を色々な云い方をしているだけである。すべてが1つなるものから発生していることに気づけば争いはなくなる。波動が低い為に起きる現象であるため、人間、1人1人が波動を上げて行く以外にない。争いで争いを無くすことはできない。



2022年9月21日水曜日

天寵無限と中心力


 天寵無限と中心力

天の無限大の恵み、人間が宇宙に存在して天の無限大のエネルギーを使うのではない。
宇宙は無限大の生命エネルギー体であるということである。人間は宇宙には存在はしていない。仮相である。万象万物はすべて仮相である。人間は見えるものをあると信じているが、見えるものは存在していないのであるでなければ宇宙は存在する事ができない。見えないものが見えるものを現わしている。すべて1つなるものの現れである。見方が逆なのである。逆から見るから不安、悩みが生じてくる。人間は天、生命によって現象化している仮相の存在である。肥田先生は人間からものを見ていない。聖中心という字を肥田式に付けることはしないはずである。人間は神の器であるとハッキリと云われているのは人間の存在の意味を理解されているからだと思います。人間は仮相である。実在していないということを云われている。宇宙は1つなる無限大の存在である。無限大ということは外には何も存在しないということである。この事が理解できれは争いは無くなる。宇宙倫理の書は焼失してしまいましたが、人類救済の書であると感じております。
我々は肥田式を通して何を成すべきか?を考えなければならない。肥田式は21世紀のメッセージでもある。鍛錬を通して内なる中心力を引き出し、地球の波動を上げて行く。肥田式は1つなる宇宙の中心に身体の動きを合わせ、身体を宇宙の波動の受信機として使う。肥田式は非常にシンプルな身体の動きである。真理は1つであり、単純でシンプルである。肥田先生が云われる真善美とはこの宇宙生命の事である。

2022年9月20日火曜日

宇宙は法則、人間も法則なり


 宇宙は法則、人間も法則なり

宇宙は1つなる法則からなる永遠なる生命体である。
人間も宇宙の中に存在している。宇宙の法則に基づいて現象を現わしている。宇宙なくして人間は現象を現わすことはできない。
宇宙は霊体であり、ミクロの世界である。ミクロの世界が細胞集合体として見えている世界。人間も見えない微生物の集合体である。
宇宙の見えるものは見えない微生物の集合体によって現れている。宇宙は見えない細胞体の集まりである。人間は見えるものをあると信じている為、見えないものは信じない。見えるものは実際にないものをあると信じる為、生老病死の四苦に悩まされてしまうことにお釈迦様は気づかれ、伝えようとされたが道を後世の弟子たちが理解できない為、伝えることができない。
色心不二である。
仏教界も生老病死の四苦を見えるものの中で解消させようとしている。四苦は現象であり、現象の四苦は原因である心を変えることで解消される。宇宙は原因、結果の法則である。
見えるものは見えない心が造り出す。不安、悩みがあるということは宇宙の法則に反して生きているということになる。1つなる宇宙生命体の中に善、悪は存在しない.
現象を見てしまう為に善悪を持ち込んでしまう。人類がこれを克服できなければ、21世紀は望めない。仮相の争いの中で生きることになりまた宇宙の中性バランスに再生されてしまう。



2022年9月18日日曜日

筑波山の植物たちと生命


 筑波山の植物たちと生命

筑波山は植物の垂直分布が見られる。3つの森林帯に分かれている。その為、色々な植物が生まれている。ホシザキユキノシタも筑波山の固有種となっている。つくば市の花でもある。ツクバウグイスカズラ、筑波山で発見された植物は多い。貴重な植物のが育っている。最初から固有種のホシザキユキノシタがあったわけではない。後から名前をつけたのである。
人間は宇宙の塵に人間の形を造り、息を吹き込まれた。と聖書に書かれている。人間も後から人間と名前を付けただけの話である。宇宙の生命が造った形に名前をつけている。人間の先祖は人間ではなく、生命である。神である。人間は生命の子である。人間の羊水で造られるため、人間が造ってると勘違いをしているだけである。人間と思っているのは形を人間と云っているだけで人間の中身は細胞の集合体である。宇宙は1つなる細胞体であり、様々なバイブレーションの違いによって様々な形態を現わしているだけである。
現われた形はすべて細胞の集合体の形である。宇宙細胞体の中の小さな細胞体、これを人間と呼んでいる。人間は存在していない。細胞の形を人間と呼んでいる。見えるものは細胞体の集合体でであり、細胞には寿命があり、消えて行く現象である。細胞は新陳代謝により形態を維持している。新陳代謝はバランスによって行われている。人間は人間がいると思っている為、不具合を直そうとするが、宇宙バランスで形態を維持していることに気づかない。キリストは生命に生きよと云われていることに人類は気づかない。
肥田先生も「天真療法」を作られたが、使う人がバランスによって形作られている事に気づかない為に使えない。治癒力とはバランスの事である。中心力である。中心生命力である。
生命は陰陽の法則であり、法則の結果が人間という現象である。人間は菌体バラ んスで形態を保っている。1つの生命体を善玉菌、悪玉菌と勝手に分けて悪玉菌を殺している。善玉菌、悪玉菌は2つで1つである。すべてバランスである。完全なる宇宙バランスを崩して自爆しているのは外ならぬ人間なのである。人間は農薬で土を汚し、水を汚し、空気を汚し、自分が生きる為に必要なものを壊している。大人が自分の欲の為に子供達が生きる環境を奪ってしまっている。肥田先生も云われている「天寵無限」は宇宙は永遠なる生命体であるという事である。人間はその中に生まれ、現象として無限なる生命エネルギーを受けて流す道具、神の器である事を云われている。肉体が宇宙の無限大のエネルギーを使うのではない。無限大のエネルギーを肉体という媒体を使って受けて流す為にある。その為には身体の中心定めなければならない。
肉体の鍛錬ではない。無限なる宇宙に消えゆく存在の人間は存在しない。あるのは宇宙生命体が人間という形を現象化しているだけである。人間は万物の霊長であり、宇宙霊である。




2022年9月17日土曜日

色心不二と墓じまい。


色心不二と墓じまい。

 色即是空、空即是色、色心不二。この言葉は誰でも知っている言葉であるが、色は空であり、空は色である、色と空は1つであるという意味であるが、見えるものと見えないものは同じもの。見えないのが見えるものを現わしている。宇宙は1つなる生命体である。1つなる見えない生命が八百万のものを現わしている。宇宙は1つなる無限生命体である。無限の中に死は存在しない。見えるものの状態が変化するだけである。人間が死ぬということが本当なら宇宙は成り立たない。無限なる中に有限は存在しない。
宇宙は見えない霊界である。人間は万物の霊長と云われ、すべて霊である。見えるもの、見えないものすべて霊である。宇宙の1つなる霊のことを神、仏、天照大神と呼んでいる。
宇宙の根源のことである。この霊が様々なバイブレーションの中で様々な形態をつくり、生命活動をしている。人間は形態の変化を死と呼んでお墓を作り、亡骸を大切にしている。人間は見えない生命によって生かされている存在であり、色心不二ということは見えない生命と見える形に宿る生命は同じものであり、1つであるということであり、形が変化しているだけである。生命は死なないということになる。宇宙に生命は1つであり、宇宙が死ぬことはない。見えるものは見えないものの現われである。死なないのだからお墓は必要ないのではないか。お寺も必要がないではないか。このことが理解できたので、宗派から離れ、墓じまいをしてしまいました。宗教という字は宇宙の教えと書く。真理は1つである。様々な宗教の根源は1つでなければまちがいであるということになる。2つあるといことはどちらかが間違っているということになる。宇宙真理は1つである。1つなる神が多神を造る。八百万の神を現わしているだけに過ぎない。2つあると分離感の為に争いが起きる。争いが起きるということは間違っているということに気づかなければならない。1つなる宇宙には争いはない。


2022年9月16日金曜日

天国は意識次第


 天国は意識次第

「想念は実現の母」何故この言葉があるのだろうか?
意識次第で天国も地獄もあるということになる。この世は見える世界、見える世界は見えない世界が現わしている。想いがすべてを現わしている。想いは誰でも思うことはできる。これをどのように使うかである。「想ったことが現われる世界」
想うことは誰でもできるではないか?その想い方で変ってしまう世界がこの現象界である。
良いものを思えば良いものが顕れる。悪いものを想えば悪いものが顕れる世界、これが霊界である。宇宙である。今、人類は人間と云うものに囚われているため、争いの世界から抜け出せない。宇宙は意識の世界である。物質の世界ではないのである。意識がすべての本源、本質の原点の世界。これが本当の我の世界。天国の世界。天国は汝の内のあり。波動を上げることが天国の世界に入る道である。波動を上げるという事は物質意識から霊意識に変えて行く事である。宇宙は最初から天国であり、霊界である。21世紀は全ての宗教をなくすことで、本来のものが見えてくる。企業でも創始者とそれを引き継ぐ2代目は違ってしまう。2代目はそれを守ろうとするため、間違いを起こす。本質を伝えることができなくなる。
宗教家も自分がキリスト、ブッタになれば良いではないか。原点は1つなのだから。
宇宙は無限生命であり、1つなる生命体である。2つあるとそれはどちらかが間違いである。
宗教と云う字は宇宙の教えと書く。宇宙は1つなる生命体である。この宇宙法則に反するものは生き残れなくなると思う。