2022年10月7日金曜日

自分を捨てた時、力が出てくる。


 自分を捨てた時、力が出てくる。

力とは中心力である。中心力は裡にある。
何故、自分を捨てる時、力が出てくるのかと云うと自分を人間だと思っていると小さな力しか使えない。人間とは宇宙の1つな生命エネルギーの化身であり、宇宙は全知全能の力であり、知恵である。
この力を人間という小さな器の人間があると思う心が無限大の力を使えなくしている。
団体競技で心を1つにしなさいと云われる。これは自分を捨てて1つになりなさい。宇宙は1つという意味である。自分を捨てるということは人間は存在しない。勝手にいると思う心が力を出せなくしている。宇宙には人間は実在していないのである。実在とは無くならないということである。見えるものはすべて消滅して行く。実在はしていない。現象は必ず現象を現わしているものがある。
それは宇宙生命、中性エネルギーが創造原理であり、陰陽の法則である。
人間も精子と卵子の結合により、生命が宿り形が具現されてくる。そこには人間は存在していない。形を人間と呼んでいるだけである。姿、形をあると思う心が自分を縛り全知全能の力を使えなくしている。全知全能の力が万象万物を現象化させている。
力を出せる人は自分を持っていない。人間は自分が生きる為に存在していると思っているから力が使えない。宇宙から見ると全知全能の宇宙力を人間と云う媒体を使って放射させるために神が人間という媒体を造っている。人間は存在していない。神の力を下す受信機である。人間と思ってしまうと神とのチューニングが合わず、自ら無限大の力が使えなくしてしまっている。肥田先生も最初から無我である。

2022年10月6日木曜日

気はバランスなり


 気はバランスなり

宇宙は中性バランス。永遠なる中性バランス。
宇宙は生命であり、生命は中性バランスである。生命は霊であり、エネルギーである。エネルギーは気である。
宇宙は気エネルギーそのものである。こ゚の生命エネルギーが万象万物を造り、その中に生命が宿り、生命活動をしている。
人間は生命エネルギーによって具現された現象である。人間は現象であり、単独では生きることはできない。万象万物も同様であり、宇宙の生命エネルギーによって生かされている存在である。宇宙の万象万物はすべて宇宙生命の化身である。見える化身の中に必ず、宇宙生命が宿り、化身を動くものにしている。すべて1つなる生命が有るのみである。
人間は仮相、現象でありながら、自分が生きていると錯覚している。人間は宇宙のバランスより造られる生命エネルギーが造り主であり、結果として人間、万象万物が現象化している。
造られた人間がいるという心が肉体のバランスを崩してしまう。ないものをあると思う心が自分を縛ってしまう。宇宙は気エネルギーだけが存在している。この宇宙の気がすべての万物の宿り、生命が気が生きている。人間が生きているのではない。人間は気の現われであり、気そのものが人間の姿、形を現わしている。人間がいるのではなく、見えない気が人間という質料に宿り、動かしているに過ぎない。
人間が力を出そうとする時、何処から出ると思いますか?内なる中心から力が出てくる。中心から気エネルギーが出て肉体を動かしているのである。
中心力である。肥田式で中心力を身に付けるという云い方をするが、中心力が我であり、現わす媒体として肉体があるのである。これが肥田先生が云われる神の子、神の器ということである。すべての人間は神の子、神の器である。肥田先生は肥田式でこの中心力のことを云われている。中心力が神であり、我である。バランスが神であり、我である。人間という存在は仮相である。この世は俗世、浮世云うことである。
見える現象界は何故あるのか?
人間と云う現象をあると思う心が波動を下げた結果として造り出した仮相界である。想ったことが現われる世界が宇宙生命体である。「想念は実現の母」と云われる霊波動の世界である。


2022年10月5日水曜日

人間はこの仮相界で何をしなければならないのか?


 人間はこの仮相界で何をしなければならないのか?

人間は「宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれた」人間は宇宙生命によって造られた宇宙生命の道具である。道具は使う為に存在する。人間と云う道具はどのように使わなければならないのか?
神によって造られた自然界を見ると答えが出てくる。
宇宙はバランスで生命活動をしている。地球も宇宙の相似形であり、すべて現象界もすべてバランスで生命を維持している。人間も同じであるが、人間には自由意志が与えられており、この自由意志を勝手に使い、神の道具を自分と勘違いをして自分を生きようとして宇宙力が使えない有限なる自縛の人生を選んで生きている。
本来の神の道具の使い方は宇宙の無限大の生命エネルギーを地上界に放流放射させるために造られている。自分を捨てた時に力、知恵が使えるのは自分という存在しないという事であり、自分は存在しないという事である。自我が邪魔をして力を使えなくしている。
自分いう人間は宇宙には存在しないのである。神の道具を自分と思って使うと自縛する。神の道具を神が使えば宇宙の無限大の生命エネルギーを地上界に降ろすことができる。宇宙は1つなる生命体。すべての万象万物は神の化身であり、すべては神である。
神様が別にいる訳ではない。宇宙の陰陽の法則のことを神と云っているだけである。
人間は万物の霊長であり、1人、1人は神なのである。神は生命である。生命がなくして見える現象は現れる事はない。神を外に求めると何が起こるのか?分離感のため争いを起こすことになる。これが長年続いている宗教戦争である。1つの中に争いは存在しない。1つだから生命なのである。1つでなければ、人間は現象化する事はない。宇宙が1つなる生命故に人間という形が現象化することができるのである。何故争う。現象をあると思う心が争いを起こす。第二次世界大戦世界大戦後、書かれた第三次世界大戦の為に書かれた宇宙倫理の書はすべては1つなる生命体である事が書かれていたのではないかと察する。自分を知らないから争いを引き起こすのである。争いを起こさない方法は1人、1人の意識を自然法則の分離意識から、1つなる宇宙生命意識に変える事により可能になる。


2022年10月4日火曜日

生命はバランスなり


 生命はバランスなり

宇宙の中で現象化している万象万物は宇宙の絶対バランスによって現象化している。宇宙は中性バランスであり、絶対なる無限バランスである。宇宙にある見えないもの、見えるものすべてバランスの中にある。
すべての根源はこのバランスが宇宙生命の本体である。自然界はすべてこの生命バランスによって現象化されている。
人間も現象である。見えるものは宇宙生命体のバランスがなければ現象化することはない。人間は実在していないということになる。でも見える人間はいると信じて疑わない。
実在とは永遠ということである。見えるものの中には永遠なるものは1つとしてない。
見えるものはすべて宇宙生命のバランスの現われである。人間、万象万物は宇宙生命体によって造られているということは人間も宇宙生命体であるということになる。見えない宇宙生命体を神、仏と呼んでいる。宇宙生命体の中に現象化されているものはすべて神ということになっる。
宇宙は神なり、我も神なり。宇宙は生命であり、絶対バランス、中性バランス、これが宇宙であり、神であり、これ以外宇宙には何も存在しない。仮相の人間がいると思ってしまう為に分離感の為に争いを引き起こしてしまう。

2022年10月3日月曜日

すべては1つ


 すべては1つ

見えるものは様々あるが、宇宙は1つなる無限生命体である。1つなる中に見えるものは存在しない。有限なるものは存在しない。よって見えるものはすべて1つなるものの現象であるということになる。
1つと云うこと意味を持った言葉がある。
  • 天地一体
  • 自他一体
  • 霊肉一体
  • 表裏一体
  • 色心不二
すべて見えるもの、見えないものは1つである。見えるものは見えないものによって見える姿、形を現わしている。見えないものがなければ見えるものは現れることはできない。
宇宙は波動の世界であり、バイブレーションが下がると見える姿、形を現わす。バイブレーションが上がると見えなくなる。人間は姿、形が見えるということはバイブレーションが低い為に見えている。何故、見えているのかというと本来、高バイブレーションなのであるが、見えるものに意識を合わせてしまったために低バイブレーションの見える姿、形を現わしている。姿、形を自分と信じているため、姿、形から抜け出すことができない。現象界に安住し、永遠なる宇宙生命のなかで有限なる幻の中の仮相界で生きている。仮相界は諸行無常の世界。消え行く世界の中で生老病死の四苦に惑わされその中で当たり前に生きている。人間と云う姿、形は宇宙の生命エネルギーを地上界に放射されるために造られた神の器なのであるが、器の形を見て自分と勘違いをして信じて疑わないで生きている。
もし、人間が自分であるというのなら、生まれる時も、死ぬ時も自分でわかるはずである。
人間もすべての万象万物は1つなる宇宙生命の化身である。
見えるものは1つなる無限宇宙の中には存在することはない。こ゚の存在しない消え行くものをあると思ってしまう為、実在しない自分を維持しようとし、自己保存の為に争いを引き起こす。1人、1人が元の神の子に戻り、神の器を使って本来の成すべき使命を果たさなければならない。



2022年10月2日日曜日

たった1つの生命の法則


 たった1つの生命の法則

人間は精子と卵子の結合により、生命が具現化してくる。見えないミクロの世界で人間は造られる。宇宙も見えない陰陽の法則により造らている。この見えないミクロの世界で造られた細胞が集合体となり、見える形になってくる。最初にあるのは見えないミクロの世界で造られたものが現象化している。見えないミクロの生命の法則によって具現化され、見える集合体になる。宇宙は1つなる中性なる生命が様々な波動の条件の中で生命が具現されてくる。
宇宙の中で具現されているものは様々なバイブレーションの違いによって多種多様の形態の生命体が出現している。これを後から名前をつけているだけである。
人間も実在していない。実在とは永遠ということである。人間は消え行く存在である。有限である。この消え行く仮相の人間をあると思うと造り主と造られたものが2つで1つであるものを見えるものだけをあると思うと消え行く見えるものの中で生きようとするため、争いが生じる。見えるものは見えないものによって造られており、見えないものは1つなる宇宙の生命体がすべての見えるものを現象化させていることを知れば、永遠なる生命体として生きることができることをキリスト、お釈迦さんが云われている。宇宙生命が様々な現象を現わしている。
宇宙は物質界ではなく、霊界である。人間は万物の霊長と呼ばれている。
生命は1つであり、見える様々な形態は現象である。
すべてのすべてありてあるものは1つなる宇宙生命である。宇宙生命体の中に万象万物は現象化されているだけに過ぎない。


2022年10月1日土曜日

本当の我とは


 本当の我とは

原因、結果の因果の法則がある。現われているものには必ず現わしている原因がある。
見えるものには必ず現わしているものがある。
人間も現れであり、現わしている原因がある。
人間の内部は細胞体である。細胞体の集合体が人間の形をしている。細胞体は目に見えない。顕微鏡で覗くと小さな生き物が活動している。人間はミクロの細胞体の集合体であり、ミクロの細胞体が人間の形を現わしている。生きているのは見えない細胞の集合体である。人間が生きているのではない。形は生きていない。細胞は宇宙生命バランスで生きていることに人間は気づかず、バランスで生命活動をしている微生物を善玉、悪玉と勝手に決めつけて悪玉菌を取り除こうとする。2つで1つであることに気づかない。人間も宇宙の法則で生かされている。
人間は自分で動いているように思っているが、人間の肉体自身には動く力はない。意識が肉体を動かしている。
  • 何処へ行きたい。
  • 何かをしたい。
  • 何を食べたい
すべて心の想いが肉体は動かされている。意識の忠実な表現媒体である。肉体が自分なのか?見えない意識が自分なのか?ということになる。本当の自分は見えない意識が本当の我である。
良いことを意識すれば良いことが現われ、悪いことを意識すれば悪いことを肉体は表現してくれる。病気を意識すれば病気を表現してくれる。肉体が勝手に病気になるのではなく、自分意識が表現してくれているだけである。肉体は操り人形、ピノキオである。
意識は見えない。見える肉体が自分ではなく、見えない意識が本当の我である。原因は見えない宇宙の陰陽の創造原理、結果は見える現象人間になる。本当の我は意識である。