2022年11月13日日曜日

生命は法則なり、我も法則なり。


 生命は法則なり、我も法則なり。

宇宙は絶対バランス。バランスが生命であり、こ゚のバランスなくして生命が生まれることはない。
宇宙は原因なき、原因。初めから絶対バランス、絶対調和、中性なる生命体が宇宙である。宇宙は1つなる生命細胞体である。宇宙は1つの躬である。
宇宙の中で人間は見える存在ではない。あまりにも小さく、存在すらわからないほどミクロの存在である。人間を造っている細胞体は更にミクロである。人間には外を見る為に五感が備わっている。本来は内なる生命が肉体を維持しているが、外を見る五感も使えるようになっているため、見えるものに生きてしまっている。本来は内なる生命が生命エネルギーを放射させるために造られているものを五感で使って肉体に生きてしまっている。五感を使って肉体を使うと裡からのエネルギーではなく、外部からエネルギーを取るようになり、肉体を自分として生きてしまう。
裡からの生命エネルギーを外に出す為に造られている器を外からエネルギーを入れて使ってしまうため、不調和を起こしてしまう。裡から使うことでバランスが保たれているものを真逆に使ってしまっている。宇宙は永遠の法則であり、真逆の生き方から法則が我であることに気づくための現象界である。法則を知り、法則の我に戻って行く。我は1つなる宇宙法則なり。


2022年11月12日土曜日

仮の宿からの離脱


 仮の宿からの離脱

人類は宇宙生命体の中に存在している。見える形があると思う心が、錯覚を生み、人類が迷路の中から抜け出せなくしている。有限な現象をあると信じ、人間は死ぬものであると信じて疑わない。
宇宙は永遠なる死なない生命体ありながら、形が消えることを死と呼んでいる。現象は見えない生命の現われであり、現象が変化しても生命は死ぬことはない。宇宙は1つなる生命体が様々な形態を造り、その中で1つなる宇宙生命が活動をしている。様々な形態に死があるとすると宇宙は永遠ではなくなる。
生命とは生命質料と霊エネルギーの絶対調和、バランスが生命であり、宇宙はこ゚の絶対バランス、中性生命体で永遠なる生命が保たれている。
見える現象は見えない意識で動かされている。肉体が意識を持って動いているのではない。
死ぬ時、意識が無くなったという言葉を使う。肉体と意識が分離する。意識が肉体から離れてしまう。本当の自分は姿、形ではなく、見える姿、形に宿る生命が我であり、肉体が我ではない。肉体に宿る意識が我であることに現象界で気づいて行く。
見えるものに囚われてしまうと見えない生命に気づかなくなってしまう。生命が見える肉体を動かしていることに気づくには心を多く使うことで気づいて行くことができる。この気のエネルギーは無料であり、無限大である。無限大の我であるが故に使えるエネルギーである。使えるということは自分がエネルギーであるということである。本来の我はエネルギー体そのものであったということである。見える我から見えない我に意識を切り替えて行く。仮の宿からに脱皮は意識の切り替えで行う。宇宙は1つである。1つの中には他のものは存在しない。すべて宇宙生命があるのみである。宇宙は1つなる家族、1つなる生命である。すべての国、民は1つなる生命である。すべては1つである。こ゚の中には争いは起きることはない。見えるものをあると思う心が争いを引き起こしている。日本には「おもてなし」と云う言葉がある。表ではなく見えない心でもてなすということである。


2022年11月11日金曜日

宇宙意識


宇宙意識

宇宙は1つなる生命体。故に無限なる永遠なる生命体である。すべては1つである。 宇宙は1つの見えない生命生命体。1つの中には2つは存在しない。見えるものは1つなるものの現われということになる。
万象万物は1つなる生命の放射体、1つなる生命の活動。姿、形の生命体があるのではなく、1つなる生命が形態を自ら造り、生命活動をしている。陰陽の法則である。
生命活動は法則に基づいて生命体は活動している。永遠なる生命活動である。
人類は地球という惑星の中で生命活動をしている。人類がいるのではなく、宇宙生命が地球という細胞体を造り、その中に人類という細胞を現象化させている。人類は万物の中でも非常に高い波動を持った形態である。生命エネルギーを多く放射できる媒体である。
宇宙は1つなる無限なる生命体であり、地球という波動の低い惑星を波動の高い惑星にすることで太陽系を安定させることができる。その為に人間と云う形の波動の高い媒体を使うことにより、波動の高い安定した光る惑星にさせることができる。宇宙は1つなる生命体。気体の世界。宇宙は1つなる絶対バランスの世界。
人類は外を見るが故に外の現象をあると信じ、善悪の木の実を食べてしまい、まだ善悪の木の実を食べ続けている。仮相の木の実に気づかない。1つしかないものを2つあると思いから抜け出せない。すべては1つなる生命、1つなる意識があるだけ。この1つなる永遠なる生命の中に居ながら、有限なるものがあると信じ、実在しない生老病死の四苦の中で自縛し、仮相の世界に生きている。
すべては1つなる宇宙生命意識があるのみ、人間という現象意識から1つなる生命意識に切り替える。仮相の地獄界の意識から実相の天国の意識に切り替える。これは人類が現象界で成さねばならない使命である。これは1人、1人が自分の裡に求めて行かなければならない青い鳥である。
宇宙は全知全能の知恵、力である。この全知全能が宇宙生命であり、これが我である。
人間という形態は完全なる宇宙生命体の化身であり、すべてを持って生まれて来ている。
無限生命の放射体として人間の形態は造られている。生命エネルギー放射媒体である。放射体が外からエネルギーを取ることはない。外からエネルギーを取り、人間を生きるのではない。本当の我は姿、形を持たない。生命エネルギーが我であり、ミクロ生命の我であり、ミクロ意識である。


2022年11月9日水曜日

生き方には発酵と腐敗の生き方がある。


 生き方には発酵と腐敗の生き方がある。

自然界には発酵と腐敗がある。人間は発酵食品を利用している。味噌、醤油、納豆等。
発酵と腐敗の違いはエネルギーを入れて行くのか?エネルギーをなくして行くのかの違いである。発酵は芳醇な香りがするが、腐敗はくさい臭いがしてしまう。良い香りの所にはハエは寄り付かないが、くさい臭いの所にはハエがよってくる。
人間の生き方も積極的な生き方は発酵であり、消極的な生き方は腐敗的な生き方である。
積極的な生き方はエネルギーを引き込むが、消極的な生き方は周りからエネルギーを奪ってしまう。積極的な生き方は人を幸せにするが、腐敗的な消極的な生き方は周りを不幸にしてしまう。元気な人の細胞を顕微鏡で見ると赤血球の細胞が小さいが、不安を抱えている人の細胞は細胞が荒い。細胞が細かいということはそれだけエネルギー高いということになる。
荒い細胞は寄り集まっている。類は類を呼び、同じ波動の人たちが集まる。これはエネルギーが低いということになる。元気な細胞は小さく寄り集まっていない。細胞が細かいほど界面活性でよりエネルギーが多く持っている。
このエネルギーはお金がかからない。無料である。使えば使う程、自分が元気になる。自分が元気になることで周りを元気にさせることができる。人を幸せにしようとするするのではなく、自分が元気になることで周りを幸せにすることができる。積極的な生き方が自分を健康にして行く。健康になる為に体を動かすこともさることながら、心が変われば肉体は変わってくる。





2022年11月8日火曜日

パワースポットは汝の内にあり。


 パワースポットは汝の内にあり。

宇宙は中性なる永遠なる生命体である。無限大のエネルギー体であり、すべてがエネルギー体である。
宇宙は見えない永遠なる無限大のエネルギーであり、自然界も宇宙法則の相似形であり、形あるものはすべて生命エネルギーが宿しているが故に形として現象化されている。ピラミットの中心にはエネルギーが存在する。其処にお棺が置かれている。形のあるものはすべて中心があり、其処にはエネルギーが宿り、現象形態を現わしている。人間も身体の中心に生命エネルギーが宿り、形態を現象化させている。
人間は万物の霊長と云われ、鉱物、植物、動物より、高バイブレーションである。最も高いパワーを持っている。この波動を認めないと使う事はできない。見えるものは低波動であり、見えないものは高波動である。人間形態の中心には神の高波動のバイブレーションが宿っている。この高バイブレーションは神であり、宇宙の無限大のエネルギーを受け流す受信機である。人間は神の波動を受け流す媒体が人間の形をしているだけである。人間がこの世で生きる為にいるのではない。エネルギーを受け流す媒体なのである。神は無形無相の高バイブレーションであり、人間の媒体に宿る受信機も同じ神の波動を持っている。こ゚の受信機である高バイブレーションが本当の自分である。自分探しというのはこの神の波動が自分であると実感することである。
パワースポットとは神のエネルギーのことである。人間にはこのパワースポットが人間の中心に宿している。このパワースポットを使い、解脱し、人間を卒業して行く。本来の我、神我に戻って行く。


2022年11月7日月曜日

病気は自分の意識が造り出す。


 病気は自分の意識が造り出す。

万象万物は永遠なる完全なる宇宙生命体の中に存在している。永遠なる生命体の中には病気は存在しない。宇宙生命体は無限生命体であり、形は持たない。形を持つのは波動の低い自然界である。
人間は本来宇宙生命体であり、見えない存在であるが、外の見える世界に意識を合わせるため、中々高波動の本来の我に戻れない。現象界は諸行無常の変化の世界であり、この仮相の世界をあると信じる心がある為、この現象界を抜け出せない。小学校の卒業試験にパスできない。
この仮想の現象界をあると認めてしまうと諸行無常の変化の世界の生老病死の四苦に捕まってしまう。本来肉体は意識によって動かされているが、肉体を自分と思っているため、諸行無常の変化に飲まれてしまう。肉体が病気になるのではなく、意識がアンバランスになり、肉体を病気にしてしまっている。肉体は意識の表現体であり、意識に忠実に動く操り人形である。
嬉しい時には肉体は嬉しい表現をするし、意識が悲しいと思うと悲しい表現をしてくれる。
意識に忠実に表現してくれる。
人間は意識の表現媒体であり、肉体を自分と思うのではなく、意識が自分であると切り替えることで病気から抜け出すことができる。肉体を自分と思っている時は生老病死から抜け出すことはできない。本当の我は肉体ではない。意識、心である。肉体は心の操り人形であり、心は肉体の操り人形ではないのである。すべて想ったことが顕れる世界が宇宙生命体である。
見える世界は幻想であり、これに惑わされてはならない。万象万物はすべて現象である。
万象、地球を取り巻く星々を惑星(惑わす星)と書く。幻である。日本語は真理を現わす言葉である。真理は1つなるものである。中性なる愛のバランスであり、すべての原点である。




2022年11月6日日曜日

人間はバランスで生かされている。


 人間はバランスで生かされている。

宇宙は1つなる絶対なる中性バランスが宇宙生命体である。2つで1つの絶対バランス、陰陽の法則である。この中性バランスが生命であり、すべての根源なるものである。これ以外何もない。この根源なる生命は形を持たない。法則が独存している気体の世界である。空の世界、何も見えない世界だけが存在している。宇宙の1つなる生命、空生命が実在している。現象の人間からはこの見えない生命が自分であることは理解し難い。
原因、結果の法則は見えないものが見えるものを現わしている。すべて原因は形を持たない。パンも様々な形のパンを作ることができるが、その材料は1つの小麦粉が原料である。原料は形を持たない。人間も現象化された形であり、様々な形のパンのようなものである。人間の材料は宇宙の質料とエネルギーが材料になる。現象化されるのはバランスによって具現化される。其処に生命が宿り、細胞分裂により細胞が集合化され、見える形になってくる。
見える形の中にある細胞は形が変化してまた原点に戻るが、細胞の集合体の形が無くなることを死と呼んでいるが形が無くなるのであって材料とエネルギーは無くなることはない。見えなくなるだけである。原点は1つ。宇宙は1つなる中性バランス、これが中心生命である。すべて中心バランスによって生命活動がなされている。
自然界もこの宇宙のバランスの見える形のバランスで動いている。人間はこの現象をあると信じてしまう為、形が無くなることを死と呼んでしまう。質料が変化しているだけなのであることに気づかない。雨が降る時、山を見ていると気圧の変化で木々の間から水蒸気が上がり、雲になって行く様子が見える。見えない水蒸気が冷やされて雲に変化して行く様子が手に取るように見える。同じものである。見えないものと見えるものは同じものである。低気圧の時には見えるが高気圧の時には見えない。波動が低くなると見える。人間も形があるということは波動が低いということになる。
見えるものも見えないものもすべて中性バランスの中で変化している。肉体もこ゚の中性バランスで細胞群が働いている。このバランスを崩さなければ病気にはならない。病気は気の病であり、悩み、不安、恐怖を持つことでエネルギーが使われ、エネルギー不足になることが気の病である。人間は仮相の人間を生きようとする為にエネルギーを生老病死の四苦に使ってしまう。病気の原因はアンバランスの生き方により起きてくる。肥田式の天真療法は身体のバランスを整えることにある。