2023年10月5日木曜日

見えるものはすべて現象であり、この現象に持て遊ばれている仮相人間。


見えるものはすべて現象であり、この現象に持て遊ばれている仮相人間。

原因、結果の法則がある。現わされているものには必ず、顕しているものがある。
顕しているものと顕れているものは同じもの。
色心不二である。
人間も現象であり、つくり主がいることを忘れて自分が生きていると錯覚している。
この分離感が本当の自分を見失わせている。見えるものに生きようとすると外部からエネルギーを得なければならなくなる。外部からエネルギーを得ようとすると力のあるものの言うことを聞かなければならなくなる。管理された中で生きなければならなくなる。
現象は永遠ではない。本来の我は永遠であり、現象は本来の我を顕す媒体であり、現象の中に本当の我が宿っているのである。
現象は無くなることはないが、変化して止まない世界、諸行無常の世界である。
現象に生きる人間は形が変化して見えなくなることを疑わずに死と呼んでいる。
宇宙は完全バランンスの永遠なる生命体であり、この中で、有限なる仮相界に生きようとしている。

ハツカネズミが円筒形の中に入れられて餌を与えられ、早く回すと沢山の餌が与えられ、進んで、自分で回転を速め、エネルギーを使い果たし、亡くなって行く。このエネルギーは誰が使うのですかね? 
人間は人の為に働いているというが、文明が発達すればするほど天変地異になる。この勘違いに気づくために様々な異変が起きている。人類が間違った生き方を改めるものである。


2023年10月4日水曜日

ミクロの世界がマクロの世界を現わしている


 ミクロの世界がマクロの世界を現わしている

人間と云う見える現象を顕微鏡で覗くと様々な細胞が集まり、活動している。人間は細胞の集合体であり、人間と云う存在はない。形の名前を人間と云っているだけである。細胞は常に分裂を繰り返している。こ゚の分裂が遅れると病気、死ということになる。
ミクロの世界は限りなく小さく、限りなく大きい。原子と電子の世界である。このミクロの完全バランスが陰陽の法則であり、フリーエネルギーであり、永遠なる生命体である。
宇宙は1つなる完全なる法則、この法則が宇宙である。永遠なる無限大の生命体である。
その中にすべての万象万物が現象化している。1つなる生命が現象化させている。
すべての万象万物は生命エネルギーによって具現化されている。人間も然り、人間も永遠なる生命体の中に居て自らエネルギーを調達することではなく、無限大の宇宙エネルギーを受け流す受信器として造られている。人間と云う現象の形は陰陽のバランスによって現象化されている。神の受信器なのである。ミクロの生命エネルギーをマクロの形態受信器を使ってエネルギーを放射させる媒体である。1つなる無限生命の中に有限なる消え行く人間は存在しない。1つなる無限生命の中にあるように見えるのは実際にはない仮相の形があるだけである。万象万物はすべて仮相である。実際にあるのは原子と電子があるだけである。


争いの根源は分離感である。


 争いの根源は分離感である。

人類は未だかつて争いから抜け出せない。何故抜け出せないのか?分離感を持ってしまう為に抜け出せない。この分離感が善悪の木の実である。
人間誰もが幸せになりたいと思っているが善悪に木の実を食べている限り、幸せになることはできない。宇宙は1つなる生命体であり、永遠なる生命体である。この中に人間は現象化している。永遠の中に現象化しているということは初めから永遠なのである。誰が永遠なる中に居りながら有限なる現象に生きるようにしたの?それは見えるものがあると信じる心が永遠なるものを有限なるものにしてしまっているだけである。
永遠なるものが我なのに諸行無常の変化の止まない有限なる現象の世界に生きてしまっている。形は消極なので、また人間として生まれ、生老病死の世界に戻ってくる。
何故、又人間として生まれてくるのかというと波動が低い為にまた同じ波動に戻るだけである。悟りのことを悟空という。空を知るということは見えないものは高バイブレーションの為に見えないだけである。私を含め、形を現わしているということはまだ波動が低いということである。

2023年10月3日火曜日

天国に居ながら地獄の世界に生きている人類


 天国に居ながら地獄の世界に生きている人類

宇宙は1つなる完全完璧な永遠なる世界である。
この1つなる生命を見えるものと見えないものに分けてしまったために地獄界を自ら造りだしてしまった。これが善悪の木の実である。この迷妄から抜け出せない人類。
宇宙は完全完璧な永遠なる生命体であり、外部からエネルギーを入れて生きる世界ではないのである。1つなるものを見えるものだけがあると信じている為、外部からエネルギーを取らざるを得なくなった。人間、万物は宇宙の生命エネルギーによって創造されている。宇宙は生命エネルギー体である。人間も生命エネルギーによって現象化している。エネルギーが外部からエネルギーを取ろうとする。すべての万象万物は生命エネルギーの現象であり、形になったエネルギーの取り合いを人類はしている。見えるものはすべて1つのエネルギーの結果である。
見えるものは見えないエネルギーの現われであり、宇宙は見えない無限大のエネルギーであり、見えない無限大のものから取り出すことで資源争いはしなくても良い。
善悪の木の実を食べることを止めれば、無限大のエネルギーを得ることができる。
キリストは「得ようとするものは奪われる」と云っているように、2元論から1元論になることで21世紀は争いのない高度の社会が生まれてくる。モノを追い求める生き方は峠を越したように思う。

2023年10月2日月曜日

人類の進化は分離感の克服にある


 人類の進化は分離感の克服にある

創世記にあるように人類は善悪の木の実を食べ続けている。この善悪の木の実を食べることをやめない限り、人類の進歩はあり得ない。
宇宙は1つなる生命体であり、1つなるものを2つに分けてしまう分離感は宇宙創造に原理からはずれてしまう。人間は自分で生きようとするから間違いを起こす。人間は宇宙生命のエネルギー放射体であり、全知全能の知恵、力を受けて流す媒体にしか過ぎない、これから人類が1つなる生命意識に目覚めることで宇宙力が使えるようになる。
今の宇宙科学もロケットに燃料を積んでいるようでは先が見えている。UFOのように走りながら燃料を補給しなければ、宇宙にガソリンスタンドを作らなければならない。これから空エネルギーを使う時代に入ってくる。それには人間の意識の改革が必要になる。
原因、結果の法則であり、意識が低い状態では良いものは造れない。造るのは人間ではなく、意識である。人間は意識を表現する媒体にしか過ぎないのである。


2023年10月1日日曜日

神と人間は別のもの?


 神と人間は別のもの?

創世記に人類は神によって創造されたと記されている。もしこのことが嘘なら聖書には書かれていないはずである。
人間は神によって創造されたなら人間も神であるということになる。原因と結果は同じものである。
人間は見えるものだけを信じるため、人間と神とを分離させてしまった。宇宙は1つなる永遠なる生命体である。1つの中に2つは存在しないのである。現われているものはすべて1つなるものの化身である。分霊であると云っている。分霊であるということは宇宙は霊であるということになる。人間は万物の霊長である。すべては霊である。見えない存在であるということである。人間は見えないものを信じない。
1つしかないものを2つあると思う心が分離感を生み出す。分離感は見えるものをあると信じる心であり、見えるものは1つなる永遠なる生命体であることを忘れ、外部からエネルギーを取って生きることではなく、裡にある無限大のエネルギーを放射させることであることに気づけば争いなどしない。エネルギーの放射体が外部からエネルギーを取らなくても良い。人間は万物の霊長であり、鉱物、植物、動物よりもっともエネルギーが高いものが低いものからエネルギーを取ることはないではないか?
人間、1人、1人の中に全知全能の知恵、力が内在されている。社会を変えようとするのではなく、1人、1人が変わることで、社会が変わって行く。社会を変えるののお金は必要なない。1人、1人の意識を変えることだけである。今の現象は1人、1人の心が造り出している幻想であり、幻想は消えてなくなるものである。
2元論は地獄の法則であるが、1元論は天国の法則である。意識次第で天国にも地獄にも行けるということである。現象界は2元論なので地獄界ということになる。何でもありの世界であるということである。

2023年9月29日金曜日

完全の中に不完全はない


 完全の中に不完全はない

宇宙は完全完璧な生命体である。完全なる生命体の中に不完全は存在しない。
形態が顕れるということは完全なる調和の元に現象化されている。完全なる形態を使えば問題はないのであるが、生きて行く内に不安、恐怖、悩みを抱えてしまう。この不安、恐怖、悩みは外を見るが故に自ら造ってしまう。自分で自分を苦しめている。完全なる中で不完全はないのである。外を見て人間を生きようとする為に起きる現象である。この現象界で成すべきことはこの世で幸せを求めることでもなく、お金を儲けをする為でもないのである。自分で下げてしまった波動を上げる為にこの世にいるのである。
今まで神の波動を自ら下げてしまった波動を自ら上げて行く場所である。
見えるものは諸行無常の変化の世界であり、この中に入ってしまうと中々抜け出せない。
見えないものは本物の世界であり、本当の自分に向き合って生きることが波動を上げることである。