2023年10月6日金曜日

一切皆苦とお釈迦さんは云っているが本当?


一切皆苦とお釈迦さんは云っているが本当?

生きることは苦であるとお釈迦様は云われているが、本当にそうなのだろうか?
だから現象は諸行無常だから囚われずに生きなさいと。この考え方は現象から物事を見ている。
現象は必ず顕しているものがある。必ず原因がある。現象を治そうとしても原因は治らない。

お釈迦様も色心不と云われている。原因と結果は1つであると。結果は現象であり、変化して止まない世界である。原因は普遍不動の生命が現象を顕している。
宇宙は1つなる生命、陰陽の法則の中性生命体である。こ゚の本源本質から万象万物が現象化している。宇宙生命には苦は存在しない。善があるのみである。現象を見るから善悪があると思ってしまう。これが人類の善悪の木の実である。
生老病死は現象界を認めるために発生する。問題は現象の四苦があると思っている状態から取り除くことはできない。対処療法になってしまう。
宇宙は1つなる生命体であり、完全なる永遠なる生命であるという原点から考えないと根本治療にはならない。原因から考えないと涅槃を目ざす時、挫折してしまう。

 

生命は観自在、無碍自在の形を持たない生命体


生命は観自在、無碍自在の形を持たない生命体

宇宙の本源本質は形を持たないミクロの生命体。
この生命体が現象化して形態を造り顕れているだけである。
見えるものは見えない生命の表現媒体であり、見えるものは現象で見えない生命が造っているのである。
人間という形の質料は常に変化して止まないものである。生きているのは見えない生命が質料を造り、生命が質料を動かしているのであり、人間は実在していない仮相なのである。この仮相をあると錯覚して人間は迷い道に迷い込んでしまった。
これが人間の犯した罪である。人間という姿、形は宇宙の中性の法則の結果であり、質料が形を止っているだけである。人は霊止(ヒト)とも書く。
形があると思う心が消え行く泡に持て遊ばれてしまっている。
これが最大の落とし穴なのである。質料が形を止って生命エネルギーが宿っているだけなのです。存在しているのは形ではなく、見えない生命エネルギーがあるだけである。
生命は観自在、無碍自在の光体が存在しているだけである。
キリストはこれを愛と云い、仏陀は慈悲と云われ、これを説かれ、生老病死の四苦から解放させようとされた 。この法則を神、仏と云い、宇宙そのものである。すべてのすべてありてあるのもは神であり、仏である。万象万物は神、仏の化身である。宇宙は善のみが存在する。現象だけを見ようとする為に善悪の木の実を未だに食べ続けている、すべては1つなる中性なる無限大の完全バランス。完全バランスであるが故、万象万物を現象化させることができるのである。現象に生きようとして見えるものだけに生きようとする為、完全なものの中に居ながら、不完全なる生き方して仮相に囚われて生きているのが人間である。これは宇宙法則の法則違反であり、反逆である。

宇宙の塵にて造られた人間云う形を自分だと錯覚しているだけである。自分は父、母から生まれたのだと思ってはおりませんか?

 

人類の最大の敵は自分自身なり


人類の最大の敵は自分自身なり

人類は未だに争いで明け暮れている。何故、人間だけが争いから抜け出せないのだろう?

宇宙は1つなる生命体であり、こ゚の生命体の中で現象化して生命のみが生きている。
何故、人類は争いを起こしてしまうのかというと、1つの生命体が現象化しているものだけを実在していると錯覚して、消え行く現象に生きようとする為に分離感が生まれ、自己保存の為に争いを起こしてしまう。
1つなる生命を見えるものと見えないものに分離させるために起きる現象である。
人類がこの事に気づき、1つなる生命が多神を造っていることを理解できれば争いはなくなる。自分で自分を殺しているようなものなのです。
争いの原因はこの分離感から生じるものなのである。
1つなる生命が様々な形態を顕しているのなら、無限大の生命から現象化すれば、争うことはないではないか。この現象が人類の進化を遅らせている。
実際は見えないものがあって、見えるものはないのである。

この現象は実在しないことを理解し、現象は内なる心が現象化してる。
波動が低い為に現象化しているものは仮相であり。仮相は生命エネルギーの宮であり、生命エネルギーを地上界に放射する媒体として肉体細胞が存在している。
この現象に生きてしまうと自縛してしまう。人類はこの仮相界から抜け出せない。
この仮相界から抜け出すにはお金は必要としない。心の切り替えだけである。
一人、一人が自分自身と向き合うことで争いはなくなる。すべては1つであるという意識が人類の救世主になる。すべては外を見てあると思う心が争いを起こしているだけにすぎない。
万象万物は生命エネルギーによって顕れている。この世は仮の宿、俗世、浮世の現象界である。

見えるものの仮相に生きることは地球のバランスを崩すことになる。人間がこの仮相界で生きることは地球を壊しているということである。
人間だけが地球を壊していることに気づかない。その中で争い、自分だけが生き延びようとしている。自分で自分を殺している。自分でバランスを崩し、アンバランスで起きる災害を天災と呼ぶ。
人間の心が地球のバランスを崩していることに気づけば、地球の修復にお金はかからない。
心が現象を顕しているのだから。


 

宇宙は目に見えない中性なる生命体である。


宇宙は目に見えない中性なる生命体である。

土も見えない微生物が集合体になり、現象として土に現れているように、人間も微生物の集合体である。バランスが崩れると形を変えて行く。
人間は単独で生きているのではない。万象万物は生命によって形態が造られ、生命によって生かされている。
人間は外なる外観の姿、形をあると錯覚し、消え行く現象に生きてしまっている。
この現象界から如何に抜け出すかが現象界での成すべきことである。
現象界での出来事を見て人間が行なっていることを冷静に見つめて見ると自分達が住む地球を荒らしまわり、略奪し、我物顔で生きている。動植物以下の生活をしている。
このような生き方をしている人間、あまりにも幼稚ではないか?
宇宙は永遠なる生命体である。人間は万物の霊長と云われている。人間には与えられた仕事がある。宇宙は永遠なる生命体であり、こ゚の生命エネルギーを受けて流す道具として一時的に造られている。外からエネルギーを得ようとしなくても良いのである。
生命に目覚めて生きることが今生で成すべきことなのである。
キリストが云われている。肉に生きるは死であると。
現象からに脱却が生命に生きるということである。
 

2023年10月5日木曜日

気づきとは?


気づきとは?

本当の自分に気づくことである。
この見える世界は幻想界、幻想は幻想を顕す原因がある。この顕すものが本当の我である。
現象という波動の低い中にいると波動の高いものに感じることは難しい。現象は波動の高いものが低い波動の現象として現れているだけなのである。
すべて見えるもの万象万物は高バイブレーションの結果なのである。見えるものがあるのではなくて見えないものが顕れているだけなのです。
この事に気づくことであり、宇宙は全知全能の力であり、知恵である。人間が学校に行って学ぶことではないのです。人間という姿、形は全知全能の力を受けて流す受信機なのです。
仮相の姿、形に生きようとする為、地球のバランスを崩している。動植物は地上界で悪いことはしていない。人間という仮相が自己保存のために地球のバランスを崩しているだけです。
人類はこれほど無知なのです。でも人間が一番偉いと勘違いをしている。
すべては1つなる生命であることを知らず、共食いをしている。動植物以下の生き方をしていることに気づかない。人間は万物の霊長なのです。宇宙は霊界なのです。物質界ではないのです。


 

宇宙は見えない微生物の世界、霊界、気体の世界。


宇宙は見えない微生物の世界、霊界、気体の世界。

何故、人間は本源本質を忘れ、仮相の姿、形の現象に囚われてしまったのか?

この解決が人類の最大の乗り越えなけれなならない課題なのである。

これに臨むべき、降りて来られたのが、ブッタであり、キリストなのです。
人間は現象だけを見て、本源、本質を見ないで現象から離れることができなくなってしまった。
宗教は本当は宇宙の法則を示す教えであり、人間は現象だけしか見なくなってしまった。
宗教は現象からしか判断をしなくなってしまい、本質を見ようとしなくなってしまった。
1人、1人の中にすべては存在する。これを云う人がいない。
人間は生きているのではなく、生かされている存在、人間という姿、形には何の力もない。
人類はこのようなことも考えられない幼児期な存在なのです。
ノーベル賞をもらった人達であっても自分の小さなことでしか反応することができない。
ノーベル賞って人類に役立つのですかね。只以前に行われていたこを発見しただけではないのではないのですか?
人類は自分で生きていると思って居るが、逆に生かされているだけなのです。
見えるもの、見えないものすべて1つなる生命の変化に過ぎないのである。

 

見えるものはすべて現象であり、この現象に持て遊ばれている仮相人間。


見えるものはすべて現象であり、この現象に持て遊ばれている仮相人間。

原因、結果の法則がある。現わされているものには必ず、顕しているものがある。
顕しているものと顕れているものは同じもの。
色心不二である。
人間も現象であり、つくり主がいることを忘れて自分が生きていると錯覚している。
この分離感が本当の自分を見失わせている。見えるものに生きようとすると外部からエネルギーを得なければならなくなる。外部からエネルギーを得ようとすると力のあるものの言うことを聞かなければならなくなる。管理された中で生きなければならなくなる。
現象は永遠ではない。本来の我は永遠であり、現象は本来の我を顕す媒体であり、現象の中に本当の我が宿っているのである。
現象は無くなることはないが、変化して止まない世界、諸行無常の世界である。
現象に生きる人間は形が変化して見えなくなることを疑わずに死と呼んでいる。
宇宙は完全バランンスの永遠なる生命体であり、この中で、有限なる仮相界に生きようとしている。

ハツカネズミが円筒形の中に入れられて餌を与えられ、早く回すと沢山の餌が与えられ、進んで、自分で回転を速め、エネルギーを使い果たし、亡くなって行く。このエネルギーは誰が使うのですかね? 
人間は人の為に働いているというが、文明が発達すればするほど天変地異になる。この勘違いに気づくために様々な異変が起きている。人類が間違った生き方を改めるものである。