宇宙の本源本質は形を持たないミクロの生命体。
この生命体が現象化して形態を造り顕れているだけである。
見えるものは見えない生命の表現媒体であり、見えるものは現象で見えない生命が造っているのである。
人間という形の質料は常に変化して止まないものである。生きているのは見えない生命が質料を造り、生命が質料を動かしているのであり、人間は実在していない仮相なのである。この仮相をあると錯覚して人間は迷い道に迷い込んでしまった。
これが人間の犯した罪である。人間という姿、形は宇宙の中性の法則の結果であり、質料が形を止っているだけである。人は霊止(ヒト)とも書く。
形があると思う心が消え行く泡に持て遊ばれてしまっている。
これが最大の落とし穴なのである。質料が形を止って生命エネルギーが宿っているだけなのです。存在しているのは形ではなく、見えない生命エネルギーがあるだけである。
生命は観自在、無碍自在の光体が存在しているだけである。
キリストはこれを愛と云い、仏陀は慈悲と云われ、これを説かれ、生老病死の四苦から解放させようとされた 。この法則を神、仏と云い、宇宙そのものである。すべてのすべてありてあるのもは神であり、仏である。万象万物は神、仏の化身である。宇宙は善のみが存在する。現象だけを見ようとする為に善悪の木の実を未だに食べ続けている、すべては1つなる中性なる無限大の完全バランス。完全バランスであるが故、万象万物を現象化させることができるのである。現象に生きようとして見えるものだけに生きようとする為、完全なものの中に居ながら、不完全なる生き方して仮相に囚われて生きているのが人間である。これは宇宙法則の法則違反であり、反逆である。
宇宙の塵にて造られた人間云う形を自分だと錯覚しているだけである。自分は父、母から生まれたのだと思ってはおりませんか?