姿、形の背後にあるもの
姿、形は現象であり結果現象である。現象を顕しているものがある。見えるものは必ず顕しているものがある。宇宙は1つなる無限生命体である。これ以外何もない。生命は見えない。法則である。
この法則が万象万物を顕している。顕しているものと顕れているものは同じものである。色心不二である。
原因、結果である。この2つで1つであることを忘れ、見えるものだけをあると思う心が分離感を生み出してしまう、分離感は完全なるものを不完全にしてしまう。意識の問題である。
不完全にしてしまうとそれを完全にしようと外部からエネルギーを得ようとする。
其処に争いが起きる。善悪の木の実と云うのは分離感である。
人類はこの分離感に気づくまで、修行をさせられる。
姿、形は外なるもの、外なるものは内なるものが顕している。見えるものの背後にあるものが実在しているものである。背後にある原因が我であり、現象の結果の我は仮相である。
仮相は内なる生命の操り人形であり、何の力も持ち合わせていない。生命の現わす媒体としての器である。