2023年11月22日水曜日

内は天 外は地


内は天 外は地

天が我を造り、我の形態の中に天が宿り、天が現象肉体を顕し、働いている。
内は天、外は地であり、内と外は1つである。
天地一体である。
内は高波動で見えないもの、外は低波動で見えるもの。内なるものが外なるものを顕している。

外だけの見えるものだけが存在することはない、内なくして外はない。内なるものが外なるものを顕している。内なくして外はない。
内は愛なり 外も愛なりである。愛により現象化している。
宇宙は愛の法則によって現象化し、現象という形を通して生命を顕している。
大宇宙は小宇宙であり、小宇宙は大宇宙である。1つなる法則、完全バランスが生命であり、宇宙は永遠なる完全なる生命活動をしている。
 

無限生命 普遍生命


無限生命 普遍生命

すべては1つであり、区切りがない1つの生命体である。
宇宙は1つ。宇宙は1つなる生命であり。天の中に島宇宙があり、島宇宙の中に銀河系宇宙があり、銀河系宇宙の中に太陽系宇宙があり、太陽系宇宙のなかに地球があり、その中に人間という現象体がが存在している。この生命体は1つの宇宙生命体であるということである。1つの生命体の中に様々な形態が顕わてている。これらの現象を顕しているものはすべて1つなる生命であるということになる。
この無限大の生命体の中に万象万物が現象化している。1つの大生命の中に顕れている。宇宙生命が本体であり、その中に様々な形の衣装をつけた生命の化身が顕れている。
宇宙には1つなる生命が多神を顕している。見えるものがあるのではなく、見えない生命が見えるものを顕している。見えない生命は見える衣装を着けているだけである。
宇宙は愛の生命体、中性なる生命体、無限なる生命体、普遍なる生命体。見えない1つなる生命体が実在しているだけである。これを神、仏と呼んでいる。すべては1つ。すべてが神、仏なら、我も神、仏ということになる。すべては1つの宇宙生命体が実在しているだけである。
人間も見えない宇宙生命体が形を止っているだけなのである。

 

生命とは


生命とは

宇宙生命とは生命エネルギーのことであり、すべてはエネルギーのことである。この生命エネルギーが様々な形態を造り。その中に表裏一体で宿って形態を動かしている。
聖書に書かれているように
「すべてのすべてありてあるもの」が神、生命エネルギーである。こ゚の生命エネルギー、中性エネルギーのことを生命、神、仏という名で呼んでいる。宇宙そのものが神、仏なのである。
すべてエネルギー
固体エネルギーは固体はエネルギーであると。液体エネルギー、気体エネルギー。万象万物は生命エネルギーが形を止ったものである。すべては1つの生命エネルギーの化身である。
1つの中には分離するものはない。争いも対立もない。対立があるというのは分離感でものを見ていることになる。戦争を起こしているということは神への反逆行為であると云わざるを得ません。

神への反逆とは自分への反逆である。神なる我が反逆を起こすということは完全なる自分を不完全にしてしまうため、波動を上げることができず、本来の高波動の我に戻るまで再生されてしまう。この現象界で本当の自分に気づき、生命の我に気づく。その為の現象界である。
完全なる生命に対してアンバランスにすることは反逆行為であり、自分で犯した罪は自分で報わなければならない。自己責任である。自分で直さなければならない。誰も手を貸すことはできない。心の問題だからである。罪とは人間同士の罪ではない。神との契約違反のことであり、自分自身だからなのである。自分の悔い改めなのである。自分で犯した罪は自分で償う。神である我が、人間として生きた罪は自分で償う。
肉に生きるは死。生命に生きるは永遠。

 

天地一体とは


天地一体とは

天は生命、地は現象。天地一体。1つのものである。見えないものが見えるものを顕している。顕すものがなければ顕れることはない。
宇宙は1つなる生命体であり、生命とは絶対バランスであり、愛の法則である。見えないものもバランス。見えるものもバランス。すべてはバランス。1つなる生命は永遠なる完全バランス。永遠なるバランスの中に万象万物が現象化している。現象は完全バランスが故、現象を顕している。完全の中に居るのだから、すべては完全である。完全の中に有限は存在しないのである。すべては1つである。様々な形態があるということは現象であり、消えれば元の状態に戻る。故に見えるものは有限なのかと納得できる。
別々にあるということは1つの生命ではなくなる。永遠とは永遠に無くならないものを指す。有限な消え行く現象界には本物はないということである。
本物というのは永遠に消えることのないものを指す。現象の中には1つとして消えないものはない。現象は消えないものによって現象化している。現象から現象を造ることはできない。
故に天地一体であり。実在しているのは天のみが独存している。生命のみが独存している。
現象があると思うことは天地二体になるというこである。この世に自分という姿、形は存在しない。生命の顕す媒体があるだけである。




人間という枠


人間という枠

宇宙は1つなる生命体であり、1つの中に区切りは存在しない。普遍である。普遍の中に見えるのはバイブレーションの低い方から見るから見えないだけで高バイブレーションの方から見れば見える。自分の立ち位置で見えるものが違ってくる。

会社であれば。社長の見る位置、部長の見る位置、平社員の見る位置、自分の立つ位置ポジションによって見えるものが変わる。社長は会社全体が見得るが、平社員は目先の仕事しか見えない。社長は平社員との誓いは意識の違いである。最初から企業をする人は意識の違いである。意識の持ち方で即、社長にもなれるし、平社員にもなれる。意識次第で何にでもなれる。
内なる思いが具現してくる。「想念は実現の母」である。
人間は意識の持ち方で自由に物事を具現することができる。人間は神の化身を神によって造られている。神の想念によって全知全能の知恵、力を引き出す。その為に造られた神の被造物なのである。
神と被造物は2つで1つである。顕すものがなければ神は表現することはできない。
人間は神の働く道具であり。働く器である。すべて神のもの。見えるものは神の顕現道具であり、人間は神によって造られた神の道具を自分と勘違いをしているだけなのである。人間は形の名前で存在していないのである。勝手に人間と思っているに過ぎない。
人間と思っていることは神への反逆行為なのである。
本来の我は観自在、無碍自在の自由なる空である。人間という枠を外さないと元の自分に戻ることはできない。すべては意識の状態である。今、何を意識しているかが今の自分の位置ポジションである。それ以上、以下でもない。その意識の状態が天国か地獄かを決めているだけである。この現象界は地獄ということになる。自分も人間という枠に自らを閉じ込めているのであるが。





 

2023年11月21日火曜日

2つの分離感


2つの分離感

分離感とは1つのものを2つに分けて見てしまうことである。宇宙は1つなる生命であり、1つである。
見えるものは見えないものの顕れなのであるが、見えないものが見えるものを顕していることに気づかず、見えるものだけを見てしまう。
宇宙は物質界ではなく、霊界である。霊界の中には分離はないのである。故に無限生命、普遍生命と呼ばれている。
人間も霊体なのである。万物の霊長と呼ばれている。
分離感を持ってしまうとどのようになってしまうかというと見えるものは現象であり、消えて行くものがあると思ってしまうことで、自己保存の法則が働き、対立、争いが起きてしまう。
消えて行く現象の中で争いを起こしても霊は無くなることはないが、顕しているものと顕されているものは1つなのです。2つで1つなのです。顕しているものがあるのであって、現象は同じ顕す媒体である。媒体は消えて行く存在なのである。外から見るから現象があると思ってしまう。これが見えるものだけをみる分離感。

もう1つの分離感は霊だけがあって見えるものはないのだから見てはいけないという分離感。
見えるものと見えないものは2つで1セットなのである。
見えるものは見えないものの顕れであり、2つの分離感も外から見るから起きてしまう。内から見れば分離感はなくなる。1つのものを内から見るのか、外から見るのかである。
八正道の正しく見るというのは内から見るということである。




 

2023年11月20日月曜日

人間の形態何ぜ存在するのか


人間の形態何ぜ存在するのか

大宇宙と小宇宙は相似形であり、同じ法則で成り立っている。
水蒸気が水になり氷に変化するようにすべて1つであり、同じものである。色心不二である。
バイブレーションの違いで様々な分子構造が造られ、様々な形態が造られ、現象化している。
原点は気の世界、生命の高バイブレーションがバイブレーションの変化の中で様々な形態の分子構造を造り、生命が分子構造に宿り、生命活動をしている。
すべての現象は生命波動によって顕されている。宇宙は1つなる中性なる高波動の世界。
波動によって人間の姿、形が現象化されている。形態を通して生命エネルギーが生きているのである。
人間という形態は神に似せて造られていると云われているのは自由意志が与えられているということである。この自由意志の放射媒体を自分と錯覚し、人間という現象形態に生きてしまっている。本来の使命は生命エネルギーを放射する為に造られた神の器なのである。
消え行く仮相世界で豊かに生きる為に生命が人間を顕しているのではないのである。
人間は万物の霊長であり、万物は霊なのである。
やるべきことをしなければならない。万物の霊長としての使命を果たさなければならない。
仮相界で成すべきことは生命エネルギーを霊の使命として波動の低い地上界に降ろすことである。 我々は人間の形をした霊なのである。形に生きると現象界に自縛してしまうのである。