2023年12月7日木曜日

神とはバランスのことであり、愛であり、慈悲である

神とはバランスのことであり、愛であり、慈悲である

この絶対バランスが宇宙生命の本体であるが、目には見ることができない。こ゚の生命によって様々な形の現象が顕わている。顕れているのであって現わしたものと顕れたものは別々なものではなく、1つなのである。原因結果は1つなのである。
見えない生命の顕われは現象を通して生命を顕現させるために造られた神の被造物なのである。神の宮、仏の宮なのです。1つの生命が現象を顕していると理解できれば、生命同士で争うことはなくなる。
爭うことで更に自分の波動を下げ、本当の高バイブレーションの我には戻れなくなってしまう。カルマの上書きをしてしまう。現象界で生きるのではなく、自ら下げてしまった波動上げるために現象化しているのである。本来の我は光である。
今まで人間と思ってきてしまった現象から実在の高波動に我に戻って行く世界が現象界である。
自由意志が持たされており、自ら波動を下げてしまった自分、下げてしまった波動は自己責任で行なわなければならない。やるもやらないも本人の自由ということになる。

 

2023年12月6日水曜日

現象という迷い道


現象という迷い道

宇宙は1つなる神1元であり、無限生命である。区切りのない無限大の生命、神である。無形無双の神である。神によってすべての現象は造られている。
神そのものは気体生命体であり、気体生命体が細胞を造り、集合化し、現象化させている。
現象化されたものは低波動になってしまう。現象を顕している高波動の造り主は現象の中に宿り現象化させている。意識が内なる高波動を意識していれば、現象に留まることはなくなるが、意識が外なる現象に意識が向いてしまうと低波動のなってしまう。
問題なのは低波動に自分が下げてしまった波動は自分で元に戻さなければならない。意識の問題であり、自分で上げなければならない。
元の高バイブレーションンの気体生命に戻るまで再生される。
外に意識を向けることの意味を理解しなければならない。
形を見るから人間と思ってしまうが、内なる細胞から見れば生命である事に気づく。
外なるものは内なるものの反映である。霊肉一体、自分の中に神が存在するということである。1つである。



 

すべてのすべてありてあるものは神である


すべてのすべてありてあるものは神である

読んで字の如く、すべては神であるということである。見えるものも見えないものも神。聖書にそのように書かれている。それを認めるだけではないか。
宇宙そのものが神である。神様が他にいるのではないと云っているのに神を外に求めてしまっている。
なぜ外に神を求めてしまうのか?
それは現わしているものが見えない霊であり、現象だけが見えている為に現象だけがあると信じてしまっているためである。
見えるものには必ず顕しているものが存在している。原因結果の法則である。
今まで見えるものだけをあると信じて来てしまったためにこの先入観はから離れることができないのである。一度信じてしまうと聞く耳を持たない。自分の思い込みで真理に素直になれない。すべては1つである。1つでなければ無限生命にはならない。
地球からロケットを打ち上げた時、地球には仕切りがないことに気づいているではないか?
仕切りがないということは1つであると云うことではないか。この世は浮世とも呼ばれている。
宇宙は1つの霊体であり。霊が現象化しているということを認めない。宇宙霊、宇宙は霊であることを。地球を惑星と云う。惑星とは惑わす星と書く。現象という意味である。
地球という現象、太陽系という現象、見えるものはすべて見えない生命、神、愛の法則の顕われである。
問題なのは霊が本体であり、これが本当の我であることを忘れ、見える現象に生きてしまうと本当の我に戻ることができない。生老病死の四苦に囚われ、これに気づくまで人間をしなければならないということである。
これは人間という現象には自由意志が備わっているため、これを犯すことはできない。現象界から本当の我に戻る為に現象界の仮の宿に今。滞在している。
1つの生命体の中で、争いすることは現象という波動の低い見える外側の姿の中に本当の我が宿っていることに気づくために現象界がある。病気も死も本来の我に気づくためのものである。本来の我は神であり、仏であり、生命エネルギーそのものである。
すべてのすべてありてあるもの 神である。法則である。神とは法則のことである。
自分の中に天国が存在している。三位一体である。天国も地獄も1つである。地獄は自分が創る迷妄である。天国には姿、形は存在しない。無形無双の神霊が実在するだけである。
自我から聖書を読むと真理は紐解けない。真理は1つなのです。2つあるということは間違いである。すべては1つなる生命の現象であり、自分の所の宗教が1番正しいというのは宇宙の法則から外れている。それに執着するものは本来の我に戻ることはできなくなってしまう。



自然界の作用、反作用


自然界の作用、反作用

宇宙は愛の法則であり、自然界は愛の作用、反作用が働く。宇宙は愛の法則なるが故に現象界では作用、反作用のエネルギーの法則が働く。
グライダーもヨットもこの作用、反作用の力を利用している。自然界はこのエネルギー、神のエネルギーを使っているというよりも神、生命が自然界ではこのエネルギーを通して生命活動をしている。
越冬する為に生死を掛けて8000メートルのヒマラヤ超えをするアネハツル。
アネハツルは8000メートルのヒマラヤを超えるのに上昇気流を使う。山の雪が温められると其処に上昇気流が発生する、この上昇気流の外側には必ず打ち消す下降気流が起きる。
上昇気流を捕らえるには下降気流に飛び込まなければ上昇気流を捕まえられない。
必死の覚悟で何度も何度もトライし、下降気流に押し戻され、羽を痛めながらヒマラヤの屋根を超えて行く。作用、反作用は2つで1つである。下降気流の奥には必ず上昇気流が確実にある。これが 自然界の法則である。この法則を理解し、目の前の事柄に前向きに挑戦して行く。
目の前の事柄はすべてエネルギーなのである。
鳥たちも自分の力を使わずにこの上昇気流によって生かされているのである。
人間という現象には内に上昇気流が存在しているのである。
キリストが云われるように必ず、確実に手よりも足よりも近い所に光の種が蒔かれている。
光りによって現象化してる。現象化しているものがあるのではなく、顕しているものが実在ししている。その顕しているものは現象の中に宿っている。これが本当の我である。

 

2023年12月5日火曜日

宇宙は1つなる生命エネルギー体である


宇宙は1つなる生命エネルギー体である

宇宙は1つなる無形無双の生命体である。
この宇宙生命が万象万物を現象化させている。
人間は存在してはいないのである。
存在していると思うから間違いを起こす。
人間が考えて知恵を出し、地上界に存在しているのではない。
人間の媒体を使って御業を成しているのは宇宙生命なのである。人間という現象人間が勝手に神の知恵と力を勝手に使っているだけなのである。これだけの生命のメカニズムを人間が造ったのではない。自分が創ったのであればDNAの解析などする必要はないではないか?
それでも人間が存在していると思っている。
すべてのすべてありてあるものは1つなる生命があるだけである。この1なる生命が我であり、我は姿、形ではない。無形無双の愛の生命エネルギー、宇宙生命体の一部であり、宇宙生命そのものである。
1つの中に様々な生命は存在しない。宇宙は無形無双の霊であり、様々な霊は存在しない。
霊は光であり、日本の天皇も天の白い王と書く、白光である。天皇という意味はすべての国民に光を与える存在いう意味である。1人、1人が天皇なのである。これが生命であり、宇宙の本源本質である。宇宙生命体が様々な形態を顕し、生命活動をしている。
1人、1人が自らの波動を上げ、現象波動からバイブレーション上げ、神の波動に上げて行くことをするための現象界である。形を見てしまう為に自ら造る自分のサタン、自己メッセージに邪魔をされているだけである。これが本当の人類救済である。
すべては1つなので、自分の波動を上げることが全世界の波動を上げることができる。
すべては裡にあり。青い鳥である。我も我、他人も我、自他一体、すべては1つの中にいる。
人間は幸せの中に居て幸せを求めているようなものである。1人、1人が現象界から離脱することが使命である。
現象界は大切な所です。現象界がなければ本来の我には戻ることはできなくなる。宇宙の浮遊電子になってしまう。
本当の自分を自分の中に求めることができないものは外に答えを求める。外に教えを乞う。
自分が何であるかを自分に問わず外に伺う。見つかるはずがない。神の中に居て神を探すようなものである。外には答えがないことを知るまで。本来の自分が神であることを知るまで。
これが奴隷ということになる。神に助けて下さい、助けて下さい。と言って内に答えを求めない。一番怖いのは自分が学んでいると自負し、答えを外に求める奴隷であることに気づかないことである。




 

地球の乱れ、汚れは人間の心の汚れ


地球の乱れ、汚れは人間の心の汚れ

宇宙は完全なる1つの法則で成り立っている。
この法則によって万象万物は現象化している。
地球は完全バランスで、地上界は素晴らしいバランスを保ち、生命活動をしている。
人間も完全バランスが故に現象化している。人間がいるのではない。生命が人間の形を造り、生命が、生命活動をしているのである。人間というのは生命によって造られ、その形に人間という名前を付けているだけなのである。
人間が何もしなければ水を綺麗で自然環境も美しく保っていることができる。このバランスを崩し、環境を乱し、水を汚し、人間の住む環境も汚しておいて、環境を良くしなければと嘆く。
小学生でも解ることを大人が真面目にやっている。狂っている。
人間の心の汚れが環境の汚れ、水の汚れである。
また綺麗な山に登り、山を汚して降りてくる。美しい所に行き、其処を荒してくる。これが人間なのである。これは分離感からこのようなことが起きる。すべて神の子なのに。1つの自覚があれば汚すことはない。
人間は神の子であるが、分離感でものを見ているため、人間を神の化身として見ることができなくなってしまった。分離感の為、争い、対立を引き起こし、1つの生命の中で殺し合いをしている。人間は万物の霊長と云われているのだが?
人類はこの分離感を克服しなければ、地球を更にアンバランスにさせてしまう。
南極の氷がどんどん解けだしていることには目を向けるものは少ない。目先の利益だけに目を向けてしまっている。心の乱れの結果である。お金では環境は良くならない。心の改革である。自然の環境の改善は心のバランスを整えることで可能になる。
この現象界は本来の我に悖る為の世界であり。自分が本当の自分に悖ることで、地球という波動を上げて行くための場所である。何でもありの世界の中で、本当に我に気づく所なのである。
本来の我は全知全能の力、知恵であり、教育を受けて自分を高める必要はなくなる。
宇宙は無形無双の世界である。無限宇宙、普遍宇宙である。すべては1つである。



 

現象界の優劣


現象界の優劣

宇宙生命は永遠である。現象は消え行く存在である。宇宙で生命の顕われとして現象がある。
現象が単独で宇宙に存在することはないが、人間という仮相は人間を実在し、1番偉いものと信じて疑わない。1番偉いと思っているものが同じ生命の中で争いをしている。人間は万物の霊長と云われているのに? 
現象は1つなる生命エネルギーの結果であり、様々な形があるのであって其処には優劣は存在しない。白人、黄色人、黒人、すべて同じ生命なのである。環境の違いで表面が違うだけなのである。これが理解できず、人種差別をしている。
自分が自分を差別している。これでは仮相界から抜け出せない。これに気づいたものだけが本来の我に戻ることができる。現象界で1つなる生命を傷つけているものは天国、本来の我には戻れない。
この生命が理解できなければ、現象波動から気体波動に変性することはできない。天国に戻れない。
分離感を持っているものは元の天国には戻れない。分離感がなくなるまで人間という仮相界で学ばなければならない。わかるまで人間という仮相現象に再生される。優越感に浸っていることはできても地獄界から離脱することはできない。これが宇宙の法則である。
人種差別するものは神の反虐行為である。すべて1つなる宇宙生命体の中にいるのに。
気づいたものから現象界から離脱して行きましょう。人類救済は1人、1人が自分の波動を上げることである。現象界では人類救済はできないのである。1人、1人が本来の我に気づくことが人類救済なのである。