読んで字の如く、すべては神であるということである。見えるものも見えないものも神。聖書にそのように書かれている。それを認めるだけではないか。
宇宙そのものが神である。神様が他にいるのではないと云っているのに神を外に求めてしまっている。
なぜ外に神を求めてしまうのか?
それは現わしているものが見えない霊であり、現象だけが見えている為に現象だけがあると信じてしまっているためである。
見えるものには必ず顕しているものが存在している。原因結果の法則である。
今まで見えるものだけをあると信じて来てしまったためにこの先入観はから離れることができないのである。一度信じてしまうと聞く耳を持たない。自分の思い込みで真理に素直になれない。すべては1つである。1つでなければ無限生命にはならない。
地球からロケットを打ち上げた時、地球には仕切りがないことに気づいているではないか?
仕切りがないということは1つであると云うことではないか。この世は浮世とも呼ばれている。
宇宙は1つの霊体であり。霊が現象化しているということを認めない。宇宙霊、宇宙は霊であることを。地球を惑星と云う。惑星とは惑わす星と書く。現象という意味である。
地球という現象、太陽系という現象、見えるものはすべて見えない生命、神、愛の法則の顕われである。
問題なのは霊が本体であり、これが本当の我であることを忘れ、見える現象に生きてしまうと本当の我に戻ることができない。生老病死の四苦に囚われ、これに気づくまで人間をしなければならないということである。
これは人間という現象には自由意志が備わっているため、これを犯すことはできない。現象界から本当の我に戻る為に現象界の仮の宿に今。滞在している。
1つの生命体の中で、争いすることは現象という波動の低い見える外側の姿の中に本当の我が宿っていることに気づくために現象界がある。病気も死も本来の我に気づくためのものである。本来の我は神であり、仏であり、生命エネルギーそのものである。
すべてのすべてありてあるもの 神である。法則である。神とは法則のことである。
自分の中に天国が存在している。三位一体である。天国も地獄も1つである。地獄は自分が創る迷妄である。天国には姿、形は存在しない。無形無双の神霊が実在するだけである。
自我から聖書を読むと真理は紐解けない。真理は1つなのです。2つあるということは間違いである。すべては1つなる生命の現象であり、自分の所の宗教が1番正しいというのは宇宙の法則から外れている。それに執着するものは本来の我に戻ることはできなくなってしまう。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。