2023年12月20日水曜日

善悪の木の実は自分を成長させる


善悪の木の実は自分を成長させる

宇宙は1つなる見えない生命界であり、万象万物は1つなる生命の化身である。完全完璧なる永遠なる生命体。
人間と名付けられた神の化身には自由意志が与えられている為に、現象をあると思い違いをしてしまった。神の働く場を。神のみが独存しているのである。
神は無形無双の生命であり、神の現象、神の化身を自分であると錯覚し、神との分離感が起きてしまった。宇宙には人間は存在しないのである。存在していたのなら、宇宙は成り立たないのである。
我は神の化身、神を顕す器であり、神そのものであることに気づかない為に実在しない仮相の姿、形の神の働く器を自分と錯覚し、変化して止まないものに囚われ、生老病死の実在していない仮相の四苦を自ら抱え込み、死に対する恐怖、不安、悩みを自ら四苦を抱え込む。
現象は本当の自分に戻る為の気づきのメッセージの為に用意されている。生老病死の現象を通して早く気づきなさいと。最大の気づきのメッセージは天変地異である。
天変地異は太陽系に影響を与えてしまうためやってはいけないことなのであるが、これに気づかない未だ幼児期な人類なのである。
善悪の木の実をは本来の我に気づくためのメッセージなのである。天変地異の最大の気づきのメッセージが来る前に気づかなければならないのであるが。このメッセージは完全バランスを崩すことにより起きる現象であり、1人、1人の意識のバランスが崩れなければ天変地異は起きないのである。地球の、乱れは人間の意識の乱れ、心の乱れ、物質寄りの意識を直すことで地球の乱れは修正できる。1人、1人の意識の切り替えで可能なのである。お金はかからない。 






 

2023年12月19日火曜日

人間という呪縛


人間という呪縛

人間とは何か? 
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。
人間は宇宙の中で生まれた現象である。宇宙の現象である人間が宇宙はどのようになっているかをさがしても宇宙の中にいて宇宙を探しても見つけることはできない。宇宙の外にでれば見つけることはできるかも知れないが?
人間は宇宙生命体の中で造られた現象であり。見えない宇宙の法則を探すことはできないだろう。
問題は人間が実在しているということを信じ、人間に生きていることが問題なのである。
人間は人間が生きるためには造られてはいない。宇宙生命のエネルギーを人間という器を通して顕現するために生命エネルギーによって造られた媒体であることを理解し、本来の使命を果たさなければならない。人間として生きるということは神への反逆なのである。
人類は今まで何をしてきましたか?
自然を破壊し、1つなる生命によって現象化している人間を分離感の為に殺し、自己保存の為に生きている人間。これが現実ではないか。人間は本来万物の霊長である。神に似せて造られたものなのであるのに。
現象に生きるため生きるから分離感で争いを起こす。生命に生きれば人間という呪縛から離れ、解放される。すべてっ自分で自分に呪縛をかけているのである。






 

2023年12月17日日曜日

霊的な食べ物


霊的な食べ物

宇宙は1つなる生命エネルギーであり、生命エネルギーが万象万物を顕している。
見えるものは見えない生命エネルギーによって現象化されている。
人間も生命エネルギーによって具現化されている。
姿、形ののあるものはすべて生命エネルギーの化身になる。 
仮相の人間は本来、生命エネルギーが形を止っているのだから、生命エネルギーが顕しているのだからエネルギギーを外部から取ることはないが、現象の姿、形の人間を信じているため、外部からエネルギーを調達しなけれなならない。外部から取ろうとするエネルギーも生命エネルギーによって現象化されているものなのである。
本来の我は生命エネルギーであり、生命エネルギーを放射する為に造られた顕現道具を自分と見間違え、外部からエネルギーを取る入れようとしている。
人間から見るから霊的な食べ物とか正食とかいう云い方をするが、すべての人間が食べようとしているものは生命エネルギーによって造られたエネルギーの化身である。
人間も生命エネルギーの化身であり、本来はキリストが云われるように何を食わんと何を飲まんとわずらうことなかれ。なのである。
自分は原因なる霊的我なのか、現象の結果なる我なのかである。
原因に生きるは永遠、結果に生きるは死であるとキリストが云われている。



 

2023年12月16日土曜日

得ようとするものは奪われる


得ようとするものは奪われる

何故、得ようとするものは奪われるのか?
宇宙は1つなる完全なる生命体であり。永遠なる全知全能の生命である。すべての万象万物はこの中に現象として顕れている。現象があるのではない。生命が現象を顕しているだけである。完全なる生命でなければ現象を顕すことはできない。
現象は見えない生命の化身である。化身は生命の働く場であり、生命を顕す道具、器にしか過ぎない。
完全の中に居てこれから学ぼうとするものは我は完全なることを知らない為に答えを外に求める。答えは内にあり、内は完全であることに気づくだけなのである。
神の中に居て神を探している。これでは青い鳥を探すことはできない。
意外と知識では理解していても実際は答えを外に求めてしまう。小さな時から答えは外にあると教えられ、教育されてきているため、答えを内の求める人は少ない。学びとはすべて持っていることに気づくことであることを。

 

2023年12月15日金曜日

現象界は人類の学びの場である


現象界は人類の学びの場である

原因、結果は1つと云うことは原因と結果は同じものであるということある。
同じものであるというのは宇宙は1つなる生命が実在しているということでもある。
原因、結果というのは原因は見えない生命体であり、その生命細胞体が分子構造を組み現象化している。造り主と造られたものは1つであるということである。
宇宙は1つなる完全なる生命体、すべての創造原理である。原因は様々な形態を顕す創造原理、生命である。こ゚の生命が様々な現象を顕している。様々な姿、形があるのではなく、1つなる生命が様々な現象を顕しているのである。考え方が真逆なのである。
現象から見るから、他人がいると思ってしまうが、生命から見ると1つなる生命が様々な現象を顕しているということになる。1つから見ると争いはないが、現象の分離感から見ると対立、抗争と1つの中で争いが起きてしまう。今、人間界で争いが起きているということは実在しない現象の仮相界から見る為、この偽りの世界、仮相界から抜けせないのである。
今生界は本来の我に戻る為の仮相界であり、幼児期な人類の大切修行の場所なのである。
この学びの場所がなければ本来の我に戻ることはできないのであるが、人類は大切な学びの仮の宿を自ら壊している。実相界の無形無双の永遠なる生命界が本来の我であることに気づき、宇宙の三位一体の世界が宇宙生命体であることに気づく。この世はその為の仮の宿なのである。


 

波動の低いものが人に奉仕することはできない


波動の低いものが人に奉仕をすることはできない

宇宙は1つなる生命体である。1つの中に2つは存在しない。自分、他人は存在しない。
すべて自分一人しか存在しないのである。
何故、他人がいるのかというと1つなる生命の様々な現象があると思う心が他人がいると思ってしまうのではないか。
すべては1つなる生命しか存在しない。宇宙は1つなる生命が様々な形態を顕し、1つなる生命が様々な形態に宿り、生命活動をしている。実在しているのは1つである。
様々な現象を見てあると思う心が他人がいると思ってしまっている。
様々な人間がいると思うのではなく、環境によって様々な人間がいるのである。
人間を現象化しているのは1つなる生命であるが、その生命が分離感を持ち、自分があると思ってるだけである。その分離感はエネルギーが低い為に起きる現象である。エネルギーを与えることで、分離感は少なくなり、消えて行く。すべては1つなのであるから相手を変えるのではなく、自分自身のエネルギーを高めることで、相手が自分で変えるエネルギーを与えることができる。キリストが云われるように一番大切なものを与えなさいと云われるのは現象を造っている生命を与えなさいと。生命のパンを与えなさいと。生命のパンを与えるということは自分自身の波動を上げ、人にあげなさいと。波動の低いものが人に本当の奉仕をすることはできないのである。



















 

父が完全であるが如く、そなた達も完全であれ


父が完全であるが如く、そなた達も完全であれ

宇宙は1つなる完全なる生命体であり、永遠である。
すべての万象万物はこの完全なる1つなる生命体の中に存在している。完全なる中に生まれ、育ち、生かされている。
完全なる中において不完全は存在しない。
父が完全であるが如く、そなた達も完全であれというのはすべて完全の中にいるものはすべて完全であり、人間という姿、形を見てしまう為に不完全だと思っているだけなのであると。
現象から見るから不完全に見えてしまうが、内なる生命から見なさいと云われいる。
完全なる内なる生命が外なるものを顕している。外なる姿、形の人間ではなく、内なる生命が我であることに気づきなさいと云っている。生命のパンを食せよと云われ。現象の肉体に生きるは死てあるとも云われている。内なる生命に生きよと。すべては原点から見よと。
お釈迦様が云われる身口意の正しく見ると云うのも1つなる生命から見よと云うことである。