2024年1月1日月曜日

生命が現象を顕している


生命が現象を顕している

宇宙は1つなる生命のみが実在している。
この実在が本源本質であり、これを神、仏と呼んでる。神、仏とは生命のことである。
神、仏とは法則のことであり、キリストは愛と云い、生命のパンと云い、仏陀は慈悲と云い、中道と云っている。宇宙は完全バランスの中性なる永遠なる生命体。原因なき原因が宇宙の1つなる無限生命、普遍生命である。
この本源本質が様々な環境の波動において様々な形態に変化し、生命が宿り、現象化している。
見えない生命は様々な形態を造り、現象化している。現象化しているものがあるのではなく、現象化させているものがあるのである。本来の我は高バイブレーションの我であり、観自在、無碍自在の無形無双の空の我である。今生は仮の宿から本宿に戻る為に現象界で休憩しているのである。本宿に飛び立たなければならないが、この現象界にまだ未練があり、腰の重い人類であり、我である。






 

悟りとは何か


悟りとは何か

孫悟空という寓話がある。悟りとは空であるということである。
宇宙は1つなる見えない生命体。こ゚の生命体が宇宙の本源本質である。生命の根源である。
この中に万象万物は生命の化身として生命により顕されている。悟らなくても初めから悟っているのである。すべて空からすべての現象は顕れている。これから悟ろうとしても悟れない。元の我に帰ることである。悟っている中に生まれていながら、悟りを目指すのは滑稽である。
難行苦行悟りにあらずである。宇宙は無我であり、1つであり。無限生命であり、人間はその中の現象であり、実在はしていない。得ようとするものは奪われる。悟りの中に居て悟ろうとしても悟ることはできない。空ということを知る、理解する。そのものに同化する。
宇宙は初めから永遠なる生命体であり、空なのである。我も初めから空なのである。
神の中に居て神を探しても見つからない。
一番の問題は人間が実在しているという錯覚から離れることにある。この現象界は仮の宿、俗世、浮世と呼ばれている幻想の世界である。幻想界から波動の高い実租の世界を見ることはできない。





2023年12月31日日曜日

現象肉体の使い方


現象肉体の使い方

宇宙は1つなる高バイブレーションの生命界であるり、見えない世界である。バイブレーションを下げることで現象化されてくる。見える世界も見えない世界も1つの世界である。三位一体の世界である。
人類はこの三位一体の世界を見える波動の低い現象界にだけ目を向けてしまっている。その為現象である生老病死の四苦に囚われ、この生老病死に持て遊ばれている。この低い波動では本当の我の波動に戻ることはできない。
宇宙は1つなる永遠なる高波動の世界であり、この低波動に下げてしまったのは外の現象を観てあると信じてしまったために分離感が起こり、波動を下げてしまった。
高バイブレーションの世界には現象は存在しない。空である。この現象界で成すべきことは下げてしまった波動を上げることが現象界、仮の宿にいる目的である。この世でお金を貯め、豊かに生きる世界ではないのである。諸行無常の様々な現象の中で本当の我に気づく為のメッセージが用意されているのである。この闇のメッセージの中の奥には必ず光がある。これに気づく。闇に飛び込みその奥にあるから光を掴む。この光をつかむまで現象界から抜け出すことができない。これが輪廻である。この世で成仏できなければ死んでは成仏できないと。
肉体の低波動から生命の高波動にバイブレーションを上げ、本来の我、空に戻って行く。
現象界は内なる本来の我に帰る大切な場所なのである。この世でお金儲けをする所ではないのである。
 

すべては1人なのである


すべては1人なのである

すべては自分。宇宙は1つなる生命体である。
他人はいないのである。1つなる生命が多神を顕している。現象を見るとどうしても外なるものが気になってしまう、外なるものを気にしながら、現象の中で今まで生きてしまっていた。他人を気にしながら生きようとして来た。周りを気にしながら。他人を意識しながら、自分の行動を起こして来た、すべては1人であると思う時、他人は気にならなくなる。不安も悩みを起きて来ない。自分がどうするかだけである。
すべては内なのである。外を見なければ他人は気にはならなくなる。今まで外なる情報に翻弄させられ、不安、悩みを自分の中に外から入れてきたのかと感じる。
相手を陥れようとする時、相手に不安を感じるように仕組んで行く。これを現象界では利用して生きようとする輩がいる。
今は実在しない現象には心を止めない。新聞も、テレビも見ないと仮相の現象社会も気にはならない。現象なる自分にもあまり興味もない、今は内なる我に向き合う自分がいるだけである。




 

蓮の華


蓮の華

蓮の実は非常に硬い。人間の自我に例えている。
すべての植物は光に向かって伸びて行く。
宇宙は完全なるプロフェクトバランス、中性である。全知全能の力、知恵でもある。万象万物、人間はこの宇宙力によって現象化している。現象化しているものの中には必ず造り主が宿っている。原因結果の法則である。原因結果は1つである。宇宙は1つなる生命体であり、生命は光であり。霊光である。
人間も消え行く現象であるが現象の中に光の種が蒔かれている。この光の種が蓮の実である。
泥の中に蒔かれた光の種に気づき、諸行無常の変化の中で本当の我に気づき、華を咲かせて行く。泥は光の栄養であり、これを力の原動力にし、芽を出し、地上界で華を咲かせる。
華を咲かせることを悟りと云われている。現象の我から空の我に戻る。
汝の内に仏の種が、神の種が蒔かれているのである。宇宙は1つなる生命体、光である。
光りの中にいる分光が我である。光の中に闇は存在しない。形を見てその形を自分と錯覚していることが闇なのである。ないものをあると信じる心が本当の自分を見失わせている。
蓮の華の種は自分自身の中に蒔かれている。こ゚の種が神、仏なのである。お釈迦様も自灯明、法灯明、汝に主としなさいと。自灯明、法灯明が仏であり我であることに気づきなさいと。
現象の人類すべての人の中に神の種、仏の種が蒔かれている。これを人類はこの神の種を開花させて行く。この神の種は1人、1人が自ら華をさかせる。この花を他人に頼って開花させようとすると食いものにされてしまう。甘い蜜を吸わて開かず仕舞いになる。
外に答えを求めるなかれである。神、仏は全知全能であり、全知全能の力、知恵は汝の内にありである。この華が本当の我なのである。現象界でこれに目覚め、自覚することが現象界で成すべきことである。



 

現象界は魂の休憩所


現象界は魂の休憩所

宇宙は三位一体の世界であり、1つの世界である。
天国も地獄も同じ世界の中にある。宇宙は天国しかないのであるが、地獄は現象を見て自分が造る迷妄の世界である。実在はしていないのである。
宇宙は波動の世界であり、高バイブレーションの世界が生命の世界、見える現象界は低波動の世界。
人間も高バイブレーションの生命から現象化している。鉱物も植物も動物も同じ生命体なのである。人間には自由意志が持たされているため、この自由意志を自由に使うことができる。
これを誤って現象の低波動で使ってしまったために、波動を下げてしまった。 
この現象界は下げてしまった波動を上げる為の休憩所なのである。本当に自分に帰る為の。
宇宙は1つなる生命体であり、完全完璧なる永遠なる世界である。この完全なる世界の中で不完全を起こしている自分に気づき、悔い改めをして本来の我に目覚めて行く場所である。
生老病死はその為の気づきのメッセージなのである。宇宙には生老病死は存在しない。
人類はこの気づきメッセージをそのようには取らず、人間は存在していないのに病気を克服させようとしている。考え方が真逆なのである。結果で結果を治すことはできないのである。
結果で結果を治そうとし、原因を治さないため為に医療が発達していると云いながら、病人は増えるばかりである。人間は宇宙法則違反をしなければ病気は減ってくる。病気は気の病、エネルギー不足なのである。永遠なる宇宙の法則の法則違反が病気を起こす。心と肉体のアンバランスが病気の元である。
宇宙は1つなる無限生命であり、無限生命の中に有限なる人間は存在しないのであることに気づかなければならない。細胞が新陳代謝をしているのであり、細胞体の形の名前を人間と名付けているのである。
この現象界は生命によって現象化していることに気づく為の場所なのである。
この大切な再生の休憩所を自ら壊してはならないのである。人類はこの休憩所を維持する為の地、水、火、風を壊し、これに気づかず、地球を更に壊し続け、豊かな生活を求め続けている。








  
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
 

2023年12月30日土曜日

真理は1つ


真理は1つ

宇宙は無限生命である。無限の中に2つは存在しない。宇宙は1つなる生命、創造原理が様々な形態を顕し、その形態の中で生命活動をしている。顕しているものは様々あるが、顕しているものは1つなる生命。様々な形態に宿り、御業を成しているのは1つなる生命である。自分の御業を成しているのも1つなる全知全能の生命、神である。人間には神に似せて造られている。人間にだけ自由意志が与えられている。想ったことを自由に顕すことができる想念である。
この想念を人類は仮相の現象である人間をあると信じ、仮相でこれを使ってしまった。
本来は実相なる我が使うべきものを波動の低い現象で使ってしまったために波動を現象意識に落としてしまった。現象に内在している生命意識の高波動に合わせていれば。現象界に囚われることはなかった。人類は殆どがこの自縛に囚われてしまっている。その為、分離感が起こり、争い、対立を起越している。宇宙は1つなる生命体であり、不変不動である。こ゚の中性なる永遠なる生命体の中で、人間は有限なる生き方をしている。本来は永遠なる生命体の中にいるのに。
すべては1つなのである。原点は1つ。真理は1つ。すべての本源本質は1つなのである。
宇宙には1つなる真理のみが実在している。見えるもので本物は存在しないのである。見えるものはすべて仮相である、偽物である。人類の99・99%これに気づかない。
これからの人類の課題である。