今まで学校教育で答えを外に求める知識の教育をされて来た。与えられた問題に対して答えを出す形で。人から問題を出してもらわないと答えを出せない。
これを幼稚園から大学まで知識の学びをさせられ、真理の学びは一切してこない。人に云われたものをするのは完全にこなすことはできるが、応用問題は難しい。
今の教育は優秀なロボット作りである。今や機械に使われている?
宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、万象万物、人間はその中に具現している。永遠なる全知全能の中に。外から知識を入れなくてもすべてを持っているのです。
宇宙は無限生命体であり、普遍生命体であり、生命は観自在、無碍自在の無形無双の生命 である。生命は見えないため、見える形態を使って自らを顕している。
人間という現象も「宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれた」と。人間は父、母が造ったのではない。中性の法則が現象として顕しているだけなのである。
人間の現象を顕している生命は全知全能であり。外から何も得ることはないのである。
完全なる全知全能の力と知恵を人間の肉体媒体を使って生命エネルギーを放射するために造られている。消え行く現象の中で、生命、神が生きることはしないのである。
無所得の愛の放射をするための媒体が人間という媒体なのである。人間は神によって造られた神を顕す道具なのである。それを勝手の自分のものであると使っているだけなのである。盗人なのである。本当の我は神の分霊なのです。人間は存在しないのです。無我なのです。
見るるものを自分と見間違ってしまったために地上界をメチャメチャにしているのが仮相の人間である。本来の我は万物の霊長である神の子なのである。
外を見たために波動を下げ、見える現象をあると信じてしまったのである。
自我人間が壊してしまた地球環境の修復は1人、1人のバランスを整えることで可能である。地球のバランスを整えるにお金はかからない。
自分自身の波動を上げることで地球バランスを整えることができる。
1人、1人の心の切り替えで地球バランスを戻すことができる。毎日の生活の中で可能である。自分自身が地球バランスを崩していることに気づいたものから切り替えをして行く。
自らの波動を上げることで低波動には巻き込まれなくなる。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2024年1月2日火曜日
すべての答えは汝の内にある
自問自答とは
自問自答とは
自問自答、自分に質問をして自分で答えを出す。すべて一人であるということである。宇宙は1つなる生命体であり、現象万物は1つなる生命であるということになる。内は全知全能の力、知恵であり、1つなる生命であるということである。
これは現象である人間が生きているのではなく、1つなる生命が現象形態を顕し、内なる全知全能の力、知恵を肉体を通して顕しているということになる。神が神自身の判断で知恵を出し、現象肉体を維持管理しているということになる。すべての答えは自分の中にある。外なる知識は自分の井戸を掘る為の道具の一部に過ぎないのである。知識では生命の井戸を掘ることはできないのである。
意識の井戸は自分でしか掘ることはできないのである。人間が教育を受けてこの世に貢献していると思っているが大きな間違いである。人間がこの世で貢献していることはすべて神の御業なのである。
私は何処何処が教育であると思う。人間は細胞体の集合体であり、その形が人間の名前であることを知らなければならない。人間が存在するのではなく細胞体が存在していることに気づかなければならない。すべては1つなる宇宙生命細胞体の中の一部の細胞体であることに。
地球の様々な地震、気候変動を人間は災害と呼ぶが、人類が引き起こしている人災なのである。
人類の教育はこれさえも解からない程度の学問ということになる。
答えは裡にあり、全知全能の知恵は裡にある。本当に自分は裡にある。
宇宙は神一元であり、1つなる神、仏は汝の内にあり。汝そのものが神なのである。
ブッタも汝の主は汝の内なる自灯明、法灯明であることを知りなさいと云われている。
キリストも愛ということで内なる生命が我であることを示されている、
すべてのすべてありてあるものは神であり、我である。すべては1つなる生命のみが実在している。見える現象、万象万物は 1つなる宇宙生命の化身として顕れているだけで、我も内なる生命の顕われとして現象している。自問自答とは内なる我、神に問いかけているのである。答えは外にはないのである。宇宙は神一元であり。神以外実在しているものはないのである。
すべてが神、仏であり、現象は神、仏の顕れである。神、仏が別に居て人間が存在するということはない。無限宇宙の1つの中に2つは存在しないのである。あるのは原因なき原因があるのみである。
2024年1月1日月曜日
生命が現象を顕している
宇宙は1つなる生命のみが実在している。
この実在が本源本質であり、これを神、仏と呼んでる。神、仏とは生命のことである。
神、仏とは法則のことであり、キリストは愛と云い、生命のパンと云い、仏陀は慈悲と云い、中道と云っている。宇宙は完全バランスの中性なる永遠なる生命体。原因なき原因が宇宙の1つなる無限生命、普遍生命である。
この本源本質が様々な環境の波動において様々な形態に変化し、生命が宿り、現象化している。
見えない生命は様々な形態を造り、現象化している。現象化しているものがあるのではなく、現象化させているものがあるのである。本来の我は高バイブレーションの我であり、観自在、無碍自在の無形無双の空の我である。今生は仮の宿から本宿に戻る為に現象界で休憩しているのである。本宿に飛び立たなければならないが、この現象界にまだ未練があり、腰の重い人類であり、我である。
悟りとは何か
孫悟空という寓話がある。悟りとは空であるということである。
宇宙は1つなる見えない生命体。こ゚の生命体が宇宙の本源本質である。生命の根源である。
この中に万象万物は生命の化身として生命により顕されている。悟らなくても初めから悟っているのである。すべて空からすべての現象は顕れている。これから悟ろうとしても悟れない。元の我に帰ることである。悟っている中に生まれていながら、悟りを目指すのは滑稽である。
難行苦行悟りにあらずである。宇宙は無我であり、1つであり。無限生命であり、人間はその中の現象であり、実在はしていない。得ようとするものは奪われる。悟りの中に居て悟ろうとしても悟ることはできない。空ということを知る、理解する。そのものに同化する。
宇宙は初めから永遠なる生命体であり、空なのである。我も初めから空なのである。
神の中に居て神を探しても見つからない。
一番の問題は人間が実在しているという錯覚から離れることにある。この現象界は仮の宿、俗世、浮世と呼ばれている幻想の世界である。幻想界から波動の高い実租の世界を見ることはできない。
2023年12月31日日曜日
現象肉体の使い方
宇宙は1つなる高バイブレーションの生命界であるり、見えない世界である。バイブレーションを下げることで現象化されてくる。見える世界も見えない世界も1つの世界である。三位一体の世界である。
人類はこの三位一体の世界を見える波動の低い現象界にだけ目を向けてしまっている。その為現象である生老病死の四苦に囚われ、この生老病死に持て遊ばれている。この低い波動では本当の我の波動に戻ることはできない。
宇宙は1つなる永遠なる高波動の世界であり、この低波動に下げてしまったのは外の現象を観てあると信じてしまったために分離感が起こり、波動を下げてしまった。
高バイブレーションの世界には現象は存在しない。空である。この現象界で成すべきことは下げてしまった波動を上げることが現象界、仮の宿にいる目的である。この世でお金を貯め、豊かに生きる世界ではないのである。諸行無常の様々な現象の中で本当の我に気づく為のメッセージが用意されているのである。この闇のメッセージの中の奥には必ず光がある。これに気づく。闇に飛び込みその奥にあるから光を掴む。この光をつかむまで現象界から抜け出すことができない。これが輪廻である。この世で成仏できなければ死んでは成仏できないと。
肉体の低波動から生命の高波動にバイブレーションを上げ、本来の我、空に戻って行く。
現象界は内なる本来の我に帰る大切な場所なのである。この世でお金儲けをする所ではないのである。
すべては1人なのである
すべては自分。宇宙は1つなる生命体である。
他人はいないのである。1つなる生命が多神を顕している。現象を見るとどうしても外なるものが気になってしまう、外なるものを気にしながら、現象の中で今まで生きてしまっていた。他人を気にしながら生きようとして来た。周りを気にしながら。他人を意識しながら、自分の行動を起こして来た、すべては1人であると思う時、他人は気にならなくなる。不安も悩みを起きて来ない。自分がどうするかだけである。
すべては内なのである。外を見なければ他人は気にはならなくなる。今まで外なる情報に翻弄させられ、不安、悩みを自分の中に外から入れてきたのかと感じる。
相手を陥れようとする時、相手に不安を感じるように仕組んで行く。これを現象界では利用して生きようとする輩がいる。
今は実在しない現象には心を止めない。新聞も、テレビも見ないと仮相の現象社会も気にはならない。現象なる自分にもあまり興味もない、今は内なる我に向き合う自分がいるだけである。
蓮の華
蓮の実は非常に硬い。人間の自我に例えている。
すべての植物は光に向かって伸びて行く。
宇宙は完全なるプロフェクトバランス、中性である。全知全能の力、知恵でもある。万象万物、人間はこの宇宙力によって現象化している。現象化しているものの中には必ず造り主が宿っている。原因結果の法則である。原因結果は1つである。宇宙は1つなる生命体であり、生命は光であり。霊光である。
人間も消え行く現象であるが現象の中に光の種が蒔かれている。この光の種が蓮の実である。
泥の中に蒔かれた光の種に気づき、諸行無常の変化の中で本当の我に気づき、華を咲かせて行く。泥は光の栄養であり、これを力の原動力にし、芽を出し、地上界で華を咲かせる。
華を咲かせることを悟りと云われている。現象の我から空の我に戻る。
汝の内に仏の種が、神の種が蒔かれているのである。宇宙は1つなる生命体、光である。
光りの中にいる分光が我である。光の中に闇は存在しない。形を見てその形を自分と錯覚していることが闇なのである。ないものをあると信じる心が本当の自分を見失わせている。
蓮の華の種は自分自身の中に蒔かれている。こ゚の種が神、仏なのである。お釈迦様も自灯明、法灯明、汝に主としなさいと。自灯明、法灯明が仏であり我であることに気づきなさいと。
現象の人類すべての人の中に神の種、仏の種が蒔かれている。これを人類はこの神の種を開花させて行く。この神の種は1人、1人が自ら華をさかせる。この花を他人に頼って開花させようとすると食いものにされてしまう。甘い蜜を吸わて開かず仕舞いになる。
外に答えを求めるなかれである。神、仏は全知全能であり、全知全能の力、知恵は汝の内にありである。この華が本当の我なのである。現象界でこれに目覚め、自覚することが現象界で成すべきことである。
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