2024年1月28日日曜日

見えるもの 見えないもの


見えるもの 見えないもの

宇宙は1つなる生命体であり。見えない世界である。
この見えない生命体が様々な形態現象を顕し、生命が働いている。
現象が生きているのではない。現象を顕しているものが生きているのである。
宇宙は1つの生命体であり。それ以外実在しているものはない。生命が実在であり、これを愛、霊、光と呼んでいる。また神、仏とも呼ぶ。
見えないものが形態を使って顕れれいる。見えないものはこの形態を使わないと顕すことができない。
原因、結果の法則であり。見えないものが結果として顕れているだけである。
すべては1つなのである。見えない世界が見える世界を顕している。宇宙は中性である。永遠なる世界が中性であり、久遠の世界である。これが宇宙の本源本質である。
見えるものはこの見えない本源本質の現象である。
この呪縛から人類は離れることができない。善悪の木の実を未だに食べ続けている。
汝の仏は汝の内にあり。自灯明、法灯明が仏なのであることに気づきなさいと云われている。
キリストも汝の神は手よりも足よりもl近い所にいると。



 

2024年1月27日土曜日

宇宙神 宇宙心


宇宙神 宇宙心

宇宙神、宇宙心。宇宙は神であり、心である。
心は神であり、神は心である。
神は1様である。何故1様なのか?宇宙は中性だからである。中性は創造の原理であり。絶対バランス。愛、陰陽の法則、永遠なる常在が宇宙である。
原因が宇宙であり、心は意識であり、絶対バランスであるが故に1つなる生命体である。
宇宙そのものが生命であり、1つなる生命の現象が現象万物として顕れている。
すべてのすべてありてあるものはこ゚の1つなる生命の化身が万象万物である。
この心がすべての中心になる。中心は生命エネルギーである。完全バランンス。光、愛、心が無限大の生命である。
この無限大の永遠なる生命は観自在、無碍自在なる不変不動の生命である。
霊は気であり、宇宙は見えない気体の世界である。高バイブレーションの世界である。
これが我の世界であり、神の世界である。すべての本源本質である。
神とは神様がいるのではない。法則のことである。フリーエネルギーのことである。これを愛、波動、バイブレーション。微生物とも云っているだけである。
人類は外に神を求める為、惑わされ続けている。未だにこの呪縛から解放されずにいる。
この分離感が低波動になり、現象から抜け出せない。生命が我であり、現象は生命の化身である。現象人間が自分であるという心が低波動の現象から抜け出せにくくしている。この世の現象の克服が我の何を差し置いても成さねばならないことである。
宇宙は1つの生命体。我も宇宙の中の生命体である。宇宙生命は永遠なる生命である。
死は存在しない。
命に生きるのか?肉体に生きるのか?の選択は自分で決めなくてはならない。



 

生命の象(カタチ)


生命の象(カタチ)

宇宙生命は1つなる生命体である。見えるものはすべて1つなる生命の現象結果である。生命は見えないがすべての現象の本源本質である。
気象とは気の象である。すべて見えるものは見えない生命の象である。
人類はこの現象だけに囚われて見えるものだけを見て判断をしてしまっている。現象は刻々と変化してしまう。雲は形を止って見える形を顕しているが雲を顕しているものは水蒸気なのである。水蒸気の結果が雲なのである。お役目が終われば元の空に戻る。現象界は常に変化して止まない現象である。
原因である生命は久遠常在のものである。見えるものは変化して止まない有限なる世界である。
人類はこの現象が見えない生命が形を止っていることに気づかない。その為に分離感で争いを繰り返している。人類はこの現象から自らを克服していかなければならない。
現象界で人間を動かしているのは肉体ではなく、意識である。意識は見えない。意識は生命である。よく考えれば見えないものが動かしていることに気づく。
思ったことが顕れる。想念は実現の母である。すべての現象は見えない気の象なのである。


 

2024年1月26日金曜日

すべて持っています


すべて持っています

宇宙は完全完璧な生命体。この中に居るものはすべて完全なのである。完全なる中に不完全は存在しないのである。人間も完全なる故に現象化している。
完全なる中で何かを得ようとしなくても良いのである。外から求めるものは必要ないのである。
得ようとするものは奪われる。すべて持っているのに更に得ようとする。これが持っているものも奪われる。あるのに更に求める。人類はすべて持って生まれている。これをどのように使うかである。
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと云われている。
宇宙は創造に原理である。想ったことが顕れる世界である。
外なる現象に意識を合わせると外なるものが顕れる。人間という現象は内なる生命の現象の顕れであり、本当に自分は内なる生命が我なのである。全知全能の力が知恵が我なのである。
すべては1つなる生命の御業が現象道具を通して行う。
人間は完全なる神の顕わであり、人間ガ知識を学んで何かををすることではないのである。
御業を成しているのは生命が御業を成しているのである。





 

現象界で何をすべきなのか?


現象界で何をすべきなのか?

宇宙は1つなる実相界である。永遠なる久遠の世界である。
この中で万象万物は現象化している。久遠の世界で息をしている。
人類は地球という波動の低い所に現象化している。
現象は波動が下がることで現象化される。
人類はこの波動の低い状態の中で生かされている。人類が生きているのではなく、人類という姿、形に宿り、生命が宿っているだけのことである。人間の姿、形には何の力もない。
生命が人類という姿、形に宿り、生命活動をしているだけである。
人間には知恵も力もない。生命、全知全能の力、知恵を肉体を通して顕している。神の御業で行っているだけなのである。これを勘違いをして自分の力で行っていると人間は勘違いをしているだけなのである。
人間は神によって造られた神の宮であり、神のエネルギーを顕現する為に造られている。
人間という姿、形は神の宮であり、神によって造られた神の道具なのである。人間は道具の名前なのである。人間という存在は宇宙には存在しない。現象は実在していないのである。
人間は神の道具であり、道具は神の御心を素直に顕現しなければならない。
我は神の道具であり、神そのものである。造り主が神なら、造られたものも神である。
人間という仮相から脱皮し、神としての仕事をしなけれなならない。それが神我顕現である。
仮相の姿,形に惑わされてはいけないのである。神としての使命を果たさなければならない。
仕事をして元の天上界に戻らなければならない。仕事先で遊んでいてはならないのである。
我は人間という仕事道具を使って神我顕現の仕事をしなければならない。
できなければ、できるまで地上界から離れられない。輪廻を繰り返し、できるまで帰ることはできないのである。

 

2024年1月25日木曜日

ダイヤモンド宮殿の使い方


ダイヤモンド宮殿の使い方

すべては1つなる生命の顕われであり、1つとは神であり、仏であり、生命、光である。
1つなる生命の光を細胞を通して外に顕現させるために肉体細胞が現象化されている。
この肉体細胞は内なる光を顕現する為に造られている。この肉体を光る細胞体にすることで顕現させる。光る宮殿、ダイヤモンドの宮殿。初めからダイヤモンドの宮殿なのであるが、この宮殿に1つなる良心だけのものに、外から邪心という心を入れてしまっている。その為、ダイヤモンドの宮殿は外に顕現できないでいる。人間という自我が遮っている。
この自我という邪心を取り除くには光をより強くすることで邪心という影は消えて行く。
内なる光を意識し、光の強さを増して行く。
人間という意識が自我であり、邪心である。このダイヤモンドの宮殿は神の顕現道具であり、人間のものではないのです。人間と思っている肉体も神によって造られた顕現道具なのである。人間と思っているのは神の顕現道具に人間という名前を付けているだけなのである。
我は人間ではなく、神の子であり、神の器なのである。
神に似せて造られた万物の霊長なのである。
 

神、仏とは何ぞや?


神、仏とは何ぞや?

神、仏とは何かを聞いたことがない。宗教というイメージは葬式しか思い浮かばない。お釈迦様は亡骸は焼いてガンジス川に流しなさいと云われていながら、今の仏教は亡骸をお墓を作り、大切に葬る。魂が抜けているカルシュウムを大切にし、お経を唱え、お布施を頂いている。お釈迦さんが云っていることとは違いではないか。
イエス、お釈迦様はお墓を作って祀りなさいとは云っていない。
イエス、お釈迦様は何を云おうとしていたのか?。キリストも釈迦も宇宙の法則を示していたのである。
人間は実在していない。生命の現象である人間に囚われて生きてはならないことを云われている。1人、1人の中に生命、神、仏が宿り、人間という現象を顕している。本来の我は生命である事を云われている。宇宙は生命体であり、宇宙即我とお釈迦様は云われている。釈迦はその事を慈悲という形で話をしている。キリストは愛という形で話されている。
神、仏とは宇宙生命のことなのである。宇宙法則、永遠なる法則、その法則の現象として万象万物が現象化している。人間もである。人間は生命であり、生命が仏であり、人間という現象の中に宿る法灯明、自灯明が仏であり、我なのある。
現象が我ではなく、内なる法灯明、自灯明が我であることを示そうとしたのである。イエスも汝の神は手よりの足よりも近い所にいると。
お釈迦様、イエスは同じことを云われている。このことが理解できずに子羊達は毛をはぎ取られている。赤ずきんちゃんである。宗教家達もこれを知らないで罪を犯している。
私の近くでも葬式に数百万を要求されて檀家をやめた人もいる。幾らで良いですよと云いながら少ないと文句を言う。これがお寺のイメージですね。葬式の時だけ顔を出す。お寺って何だろう。コロナで檀家を抜け出す人が多い。私もお墓は必要のないことが理解できたので処分し、今まで続いた来た宗派からも離れました。
そろそろ葬式仏教も終わりのように感じます。お釈迦さんがこのように言っている、この経典にはこのように書かれているとか?
仏の教えは色々と言うが、仏とは何かということを説明できる坊主がいない。言って欲しい、仏とは何かを?これを知らないで法を解いても意味がない。原点が解らないものが法を解く資格はないと思うのだが?如何ですか?間違っていますか?