2024年1月29日月曜日

内は造り主 外は破壊屋さん


内は造り主 外は破壊屋さん

宇宙は1つなる生命体。1つなる生命が様々な形態を造り、生命エネルギーが宿り働いている。
現象は内なる生命によって造られたもの。
造り主は永遠なる生命、造られたものは消極で変化して普遍原質に戻って行く。
原因は生命でありすべてのものを創造する力である。その現象として結果の見える現象が顕れている。外なるものは諸行無常の変化に世界である。質料は変化するだけで無くなることはない。不増不減である。変化しているだけなのである。
外なるものは破壊屋さんと云うのは現象をあると思う心迷妄が造り出す。迷妄の心は自我の心が造り出す。
人類はどうしてもこの迷妄から離れることができない。それを理解させるためにお釈迦様、イエスが降りて来られたが。
それが理解できずにまた誤謬化させてしまった。宇宙は1つなる愛の生命体なのである。原因なき原因、無形無双の生命体、永遠なる宇宙生命体の中に居る永遠なる生命が人間という仮相を通して顕れているのが我なのである。我は宇宙生命、神なのである。すべての万象万物は神なのである。神を外に向けて商売をしているのが、今の宗教である。自分自身が神なのにお金を取って神を外に向けさせている。無料なら良いと思うのですが、おカネが関わるとそれは嘘であるということです。宗教でお金を払っている人は騙されているということになる。
自分が神なのですから。






 

2024年1月28日日曜日

内なる良心 外なる邪心


内なる良心 外なる邪心

宇宙は1つなる生命体であり、1つの心、良心があるだけである。人間は外なる現象を見てあると信じてもう1つの心を持ってしまった。邪心である。
これが善悪の木の実である。
現象は内なる良心が、生命が現象化させている。外の現象を見てそれを信じてしまった。
外なる現象は消え行く存在であり、生命が質料を通して顕れているに過ぎない。
この現象は内なる良心によって造られ、見える形として現象化しているだけなのである。
善悪の木の実と云うのは見えるものをあると思う心、邪心を自ら造ってしまった。実際にない心を。この良心(実在)と邪心(偽心)の2心、善悪の心を造ってしまった。
宇宙は1つなる生命体である。1つの中に2心は存在しない。
ハルマゲドンとは内なる良心と自分が創り出した邪心との戦いである。
人類はこの善悪の心の分離感から抜け出せず、1つなる良心、永遠なる生命に戻ることができない。
人間という姿、形は造り主である神が神我を顕現する為に造られた神の被造物なのである。
それを勝手に自分と思い違いをして勝手の使って道具を消滅させている。
自我で使う為、エネルギーが不足し、バランスを崩し、病気になり、消滅して行く。これを人間は死と呼んでいる。
神の顕現道具、神の宮を自分だと思い、使っているだけなのである。
本来の我は神なのである。宇宙は1つなる神1元、良心の世界が実在しているだけである。



 

見えるもの 見えないもの


見えるもの 見えないもの

宇宙は1つなる生命体であり。見えない世界である。
この見えない生命体が様々な形態現象を顕し、生命が働いている。
現象が生きているのではない。現象を顕しているものが生きているのである。
宇宙は1つの生命体であり。それ以外実在しているものはない。生命が実在であり、これを愛、霊、光と呼んでいる。また神、仏とも呼ぶ。
見えないものが形態を使って顕れれいる。見えないものはこの形態を使わないと顕すことができない。
原因、結果の法則であり。見えないものが結果として顕れているだけである。
すべては1つなのである。見えない世界が見える世界を顕している。宇宙は中性である。永遠なる世界が中性であり、久遠の世界である。これが宇宙の本源本質である。
見えるものはこの見えない本源本質の現象である。
この呪縛から人類は離れることができない。善悪の木の実を未だに食べ続けている。
汝の仏は汝の内にあり。自灯明、法灯明が仏なのであることに気づきなさいと云われている。
キリストも汝の神は手よりも足よりもl近い所にいると。



 

2024年1月27日土曜日

宇宙神 宇宙心


宇宙神 宇宙心

宇宙神、宇宙心。宇宙は神であり、心である。
心は神であり、神は心である。
神は1様である。何故1様なのか?宇宙は中性だからである。中性は創造の原理であり。絶対バランス。愛、陰陽の法則、永遠なる常在が宇宙である。
原因が宇宙であり、心は意識であり、絶対バランスであるが故に1つなる生命体である。
宇宙そのものが生命であり、1つなる生命の現象が現象万物として顕れている。
すべてのすべてありてあるものはこ゚の1つなる生命の化身が万象万物である。
この心がすべての中心になる。中心は生命エネルギーである。完全バランンス。光、愛、心が無限大の生命である。
この無限大の永遠なる生命は観自在、無碍自在なる不変不動の生命である。
霊は気であり、宇宙は見えない気体の世界である。高バイブレーションの世界である。
これが我の世界であり、神の世界である。すべての本源本質である。
神とは神様がいるのではない。法則のことである。フリーエネルギーのことである。これを愛、波動、バイブレーション。微生物とも云っているだけである。
人類は外に神を求める為、惑わされ続けている。未だにこの呪縛から解放されずにいる。
この分離感が低波動になり、現象から抜け出せない。生命が我であり、現象は生命の化身である。現象人間が自分であるという心が低波動の現象から抜け出せにくくしている。この世の現象の克服が我の何を差し置いても成さねばならないことである。
宇宙は1つの生命体。我も宇宙の中の生命体である。宇宙生命は永遠なる生命である。
死は存在しない。
命に生きるのか?肉体に生きるのか?の選択は自分で決めなくてはならない。



 

生命の象(カタチ)


生命の象(カタチ)

宇宙生命は1つなる生命体である。見えるものはすべて1つなる生命の現象結果である。生命は見えないがすべての現象の本源本質である。
気象とは気の象である。すべて見えるものは見えない生命の象である。
人類はこの現象だけに囚われて見えるものだけを見て判断をしてしまっている。現象は刻々と変化してしまう。雲は形を止って見える形を顕しているが雲を顕しているものは水蒸気なのである。水蒸気の結果が雲なのである。お役目が終われば元の空に戻る。現象界は常に変化して止まない現象である。
原因である生命は久遠常在のものである。見えるものは変化して止まない有限なる世界である。
人類はこの現象が見えない生命が形を止っていることに気づかない。その為に分離感で争いを繰り返している。人類はこの現象から自らを克服していかなければならない。
現象界で人間を動かしているのは肉体ではなく、意識である。意識は見えない。意識は生命である。よく考えれば見えないものが動かしていることに気づく。
思ったことが顕れる。想念は実現の母である。すべての現象は見えない気の象なのである。


 

2024年1月26日金曜日

すべて持っています


すべて持っています

宇宙は完全完璧な生命体。この中に居るものはすべて完全なのである。完全なる中に不完全は存在しないのである。人間も完全なる故に現象化している。
完全なる中で何かを得ようとしなくても良いのである。外から求めるものは必要ないのである。
得ようとするものは奪われる。すべて持っているのに更に得ようとする。これが持っているものも奪われる。あるのに更に求める。人類はすべて持って生まれている。これをどのように使うかである。
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと云われている。
宇宙は創造に原理である。想ったことが顕れる世界である。
外なる現象に意識を合わせると外なるものが顕れる。人間という現象は内なる生命の現象の顕れであり、本当に自分は内なる生命が我なのである。全知全能の力が知恵が我なのである。
すべては1つなる生命の御業が現象道具を通して行う。
人間は完全なる神の顕わであり、人間ガ知識を学んで何かををすることではないのである。
御業を成しているのは生命が御業を成しているのである。





 

現象界で何をすべきなのか?


現象界で何をすべきなのか?

宇宙は1つなる実相界である。永遠なる久遠の世界である。
この中で万象万物は現象化している。久遠の世界で息をしている。
人類は地球という波動の低い所に現象化している。
現象は波動が下がることで現象化される。
人類はこの波動の低い状態の中で生かされている。人類が生きているのではなく、人類という姿、形に宿り、生命が宿っているだけのことである。人間の姿、形には何の力もない。
生命が人類という姿、形に宿り、生命活動をしているだけである。
人間には知恵も力もない。生命、全知全能の力、知恵を肉体を通して顕している。神の御業で行っているだけなのである。これを勘違いをして自分の力で行っていると人間は勘違いをしているだけなのである。
人間は神によって造られた神の宮であり、神のエネルギーを顕現する為に造られている。
人間という姿、形は神の宮であり、神によって造られた神の道具なのである。人間は道具の名前なのである。人間という存在は宇宙には存在しない。現象は実在していないのである。
人間は神の道具であり、道具は神の御心を素直に顕現しなければならない。
我は神の道具であり、神そのものである。造り主が神なら、造られたものも神である。
人間という仮相から脱皮し、神としての仕事をしなけれなならない。それが神我顕現である。
仮相の姿,形に惑わされてはいけないのである。神としての使命を果たさなければならない。
仕事をして元の天上界に戻らなければならない。仕事先で遊んでいてはならないのである。
我は人間という仕事道具を使って神我顕現の仕事をしなければならない。
できなければ、できるまで地上界から離れられない。輪廻を繰り返し、できるまで帰ることはできないのである。